手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

原点に帰る  困ったときの秘策

2011-07-28 19:22:38 | 身辺雑記
困らないということは認知症にでもなければならないことだ。誰もが事の大小はあっても、困ったと言う機会は多い。困らないまでも、悩むことは多い。

 ほとんどのことが、それが困った、悩んだそのままでも済むことが多い。でも、何とか新しい解決の道を見つけるとなると大変だ。

 私の今一番大きな問題は、詩吟の教師をしていて、お弟子さんが増えないということです。 是は単に私だけの問題ではなく、私の目撃する伝統芸能関係すべてに当てはまることだ。

 このような大きな問題に抵抗しても仕方が無いかもしれない。しかしこのまま放置できないという気持ちが起きてくる。それなりに考えて何とかしたいとは思っている。

 一番いけないのは、今、週五日、内二つは月3回だけれど、指導に当たっていて、やっている実感があり、その上、1930年生まれという歳のことを考えると、現状でも特に打開しなければならないことも無いのだ。だから積極的に解決策を見つけようとしないのだと思う。

 手稲文化協会が崩壊の直前だったとき、たまたま事務局長に推薦され引き受けた。そこで何としても、50年の伝統のともし火を消してはならないと考えた。

 当時の文化協会は、手稲文化祭を開催する事だけが行事で、場所がコミュニティセンターで、文化祭の演芸を見に来てくれる方は極めて少なく、そんなことから、日舞では主要な先生方は出演しない、子供たちバレェは舞台がゆれて危険だからと出演してくれなくなってきていた。

 結局、折角稽古してきて発表してみ見てくれる人がいない。これじゃやる気も無くなる。道は一つでした、区民センターで文化祭を開催すること。大変な壁がありました。

 まず、区民センターで演芸を実際にやって観客の反応を見る。ということで、新しくチャリティ伝統芸能祭を立ち上げ、手稲区の後援を頂き開催しました。是は大成功でした。

 それを足がかりとして、文化祭の区民センター開催にむけ、ほとんど一人で道を切り開きました。手稲文化協会に加盟している約50の団体の皆様は、稽古の成果を文化祭という場で発表したいということです。一人でも多くの人に見てもらいたいというのは、当然のことなのです。その要求を満たす道は何か。区民センターでの開催。この原点に何としても立つというのが私の気持ちでした。今、文化協会で文化祭以外にも三つの行事を立ち上げていますが、手稲区からの協力も頂き、どれも満足できる成果を挙げています。

 さて、詩吟、私の会は、創立25周年も終わりました。20 周年の年に象堂流を退会して北海道詩吟連盟に加盟させていただきました。そのとき、会員は40名を数えていました。しかし、今はボランティアの会二つを抜かして、三教場で25 名になっているのです。

 これ以上の会員の増強は願いようも無い感じですが、それはそれとして、北海道詩吟連盟6年目を迎えながら、何かなじみきれない感じが私にはあります。そんな感じが会員の中にもあるとすれば困ったことです。
 
 そのあたりの問題をしっかり見つめ直し、私の指導理念をもう一度立て直す必要がありそうだ。原点に帰る。吟道精神に変わりは無いけれど、芸能の真髄は楽しみだ。大きな目で詩吟!!を見つめ、楽しい教室を作り上げる。大会至上主義的なことに惑わされないで行く、そんな教室を目指してみたい。

 秘策はない。ただ原点を見つめ、詩吟をやっていることが楽しいと思えるようにしてあげることが、新しい会員を呼ぶ道かもしれない。
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