手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

温故挑新というのはどうだろう

2012-12-11 18:25:02 | 詩吟関係
 温故知新と同じことと取られそうだが、「挑」は挑むですからもっと積極的な響きがありそうです。

 詩吟の現状を見ていると、一時期の勢いが全く途絶えたような有様だ。「静かなブーム」といわれたこともあったのだが、いまや、若い世代からは見放された感がある。

 このままだと、詩吟も保存芸能になっちゃうかもしれない。

 この原因は、学校教育の中で・・・昔は詩吟をやる先生がいて、学校で聞く機会が多かった。私は小学校時代と、永山農業学校で先生が聞かせてくれた記憶がのこりつづけていて、詩吟を始めた。今は先生で詩吟を聞かせることのできる人が希になっている。これが一番大きいと思う。

詩吟の教室を立ち上げて30年になろうとしているが、一時期40名を越えたお弟子さんが今は20数名になって、増えてゆかない。

 今こそ詩吟も守りから攻めに入らなければならない。伝統文化としての詩吟の原点にたち、新しい挑戦をしていく必要がある。

 私は、単に吟ずる時代ではなくなっていると思い、見てもらう、聞いてもらう詩吟を模索し、大会などでプロジャクターを使って、詩文や関係する写真とか資料を映像化して見てもらい、解説を出来だけ簡潔につけて判って聞いてもらう努力をしている。

 更にどんな方法があるか考えてみたいと思っている。どうしてもやりたいのが、小学校で聞いてもらう機会を立ち上げることです。その場合、いかに楽しく子供たちに聞かせるかという組み方も大切だ。論語の素読と組み合わせる。俳句を陽旋律の楽しいリズムで聞かせる。さらには、お琴とか、日舞と組んで見てもらう。こんなやり方もあるはずだ。

 また、寸劇風に、詩吟・歌曲・民謡・日舞を組み合わせた舞台を組む、これは夢だがそんなことに挑戦する人が出てきていいのではないかと思う。

 詩吟の枠を超えた挑戦で、詩吟の面白さを追及してみたいものだ。

 それどころで無いというのが現実だが、現実を打ち破る、挑戦が今の時代だからこそ必要かもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする