朱熹の勧学文の結句で覚えている方は多いと思う。私は85歳ころから「ああ老いたり」ということが多くなり、卒寿の今は心の中でうめいている。
朱熹は、ついつい時間を無駄に使って、肝心な学問を納得のいくまで身につけることが出来なかったことを惜しんでいるのだと思う。
一般的な教訓として、若い時にもう少し頑張っていたらもっと輝かしい老年を迎えることが出来たはずなのにもう遅いと嘆く凡人の姿を読んだともいえる。
「老いたり」という自覚は、残された人生も少なくなったということだ。
自分の一生を振り返り、もう少しあの時頑張ればよかったのに、残念だと嘆くとすれば、悔いを残す人生ということになるのでしょう。しかし、悔いて戻るものでもありません。
私の今の心境は、「嗚呼 老いたり」と自分を見つめ、残された時の少なさを、自覚して、今、できる何かをつづけていく覚悟です。しかし、なかなか言うは易く行うは難しとなる。
せめて声の出る間は一日一度詩吟をやる。・・・これが続ければ最高かもしれない。それと、このブログ!!!