手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

いよいよ明日から、私の仕事始め 

2006-01-07 16:59:53 | 無題
 私にとっては一寸長い正月休みでした。
明日は、北詩連の初吟会、此処から又新しい年の多忙が始まります。思えば去年は今頃悩みに悩んでいたのです。象堂流からの脱会、そして新しい会の立ち上げ、どんなことになるか見通しの立てれない中での決断をするべくあがいていたのでした。しかし、今1年たって、北詩連の方とも大分親しくしていただけるようになり、年賀状である上役の方から、私の会が加盟して、北詩連に活気が出てきたと書いてくださった方が有りました。
 
 確かに、40名が一度に加盟したのですから、一種の警戒感のようなものもあるでしょうし、対処にも心労が伴うと思います。
 
 私たちは、右も左もわからないまま入らせていただき、どうすればよいのかもわからず、自分たちの吟にも、自信をもてる状況でなく、まごついてばかりいたのです。ようやくぼんやり姿が見えてきたというところです。
 
 今年は2年目、本気で挑戦する必要があるのでしょう。やはり、私たちが、一定の刺激剤となり、北詩連が更に力をつけることが出来れば、素晴らしいことなのです。
 
 今年の碌峭会交歓吟詠に、北詩連の方を案内することがいいことなのかどうかわからない面が有ります。特に手稲は、皆様親戚付き合いみたいにまとまっていて、私のところだけが、はみ出しみたいな感じがあるのですから、あまり大げさにすると波風を立てる事にもなりかねません。一方、象堂流の黎明教場の方は毎年来ますといっていたけれど、このように離れてからは、必ずしもそうは行かないかもしれません。

 今年は、「和して同ぜず」、私たちは私たちの行き方を貫いていきます。私たちの吟がどのように評価されても、それで動揺することはしない心算でいきます。
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日足が伸びる   まだ早い !

2006-01-06 21:24:22 | 無題
 「日足伸ぶ」これもいいことばです。"昼間が長くなる"なんて言葉は、なんともつまらない。
 
 冬至が過ぎて、まだ20日にもならないのに、確実に日足が伸びているのです。今日、16時20分頃、「おや!、まだ明るい!」と思った。これからは1週間といわず、日足の伸びるのを感じる季節となるのです。そして、豆まきの日が来ると、太陽の光が変わってくるのです。道端の雪山も汚れが目立ち、よだれを流すように雪の様が変わるのです。それでも、まだまだ大雪のことがあるのですが、この頃の雪は腰が弱いといいますか、解けるのが早いのです。
 
 かすかな春の兆しを感じたのでした。明後日は、初吟会、北詩連での最初の会合、そして、吟もやらなければならないのですが、武田信玄の「新正口号」を吟じる事に決めました。「淑気未だ融せず゛春猶遅し」いい詩文です。北海道では、2月の末か、3月にぴったりなのでしょうが、新春なので之を択ぶことにしました。
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「茫々たり歳月七十六 心寛るやかに杯を傾け洪恩を憶う}

2006-01-05 21:03:25 | 随想

 今年の年賀状に書いた漢詩の転句と結句です。毎年、詩吟の仲間と知人の一部に漢詩一題を書いた年賀を送ることにして、もお10年以上になると思う。一度、始めるとやめるわけにいかないような気がしてやむなく作っているのです。  

 勿論、平仄なんて無視した、いわば自由詩です。漢詩を勉強されている方には、一笑に付されるのでしょうが、自己満足の代物なのです。

  転句の「茫々たり歳月」という言葉は、実は、私のインターネットで最初に知り合いになった、名古屋の藤根さんの言葉をお借りしたのです。インターネットを始めた時、自分史という項目を検索しましたら、「歳月茫々」という、藤根さんの自分史に出会ったのです。読ませていただき、とても共感することが多く感銘を受けて、メールを差し上げて以来、お付き合いいただいているのです。

 年賀状の漢詩を思案していて、今年は七十六歳と思ったとき、ふと歳月茫々が頭に浮かびました。それで、藤根さんにメールを送り、この言葉使わせていただきますとお許しを頂いたのです。

 結句を「心寛るやかに杯を傾け洪恩を憶う」としたのですが、「心寛るやかに」=「心ゆるやかに」となかなか読んでいただけないかもしれません。また「洪恩を憶う」=「こうおんをおもう」が理解されないかな?と心配したりしているのです。「洪恩」の「洪」は、洪水を連想していただければ大きな水「大きい」という意味がわかっていただけると思いましたまた「憶う」として「思う」「想う」にしなかったのも理由があるのです。「憶う」は、過去のことをおもう、即ち「記憶」を思い出す意味ですし、「想う」は、想像とか空想とかという意味につながり、「思う」は、洪恩ということを思っている意味に成ります。 「もう、俗事に煩わされることもなく、ゆったりと、新しい年を祝い、杯を傾けながら、この年まで、このように人生を楽しませて頂いているのも、多くの人の溢れるばかりの暖かい心に支えられてのものなのだと、そんな恩義を頂いた人たちを思い起こしている」といった気持ちの表現をした心算だったのですが、どうでしょう。

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お客も帰り  寂しくなりました

2006-01-04 15:25:45 | 無題
 子供や孫も昨日のうちに帰ってしまい、しずかな、一寸寂しい日と成りました。
午前中、詩吟を暫くぶりに少し稽古し、昼食後は昼寝。今、PCに向かっています。
 
 正月3日間は、雪も降らず、穏やかだったのですが、今日は午前中はそれほどでなかったものの、今はかなり勢いよく降り出しています。今晩はロードヒーティングを入れっぱなしにしなければならないかもしれません。
 
新しいカレンダーに日程を書き込みました。新年会が4つ入っていて、毎週1度は飲むことに成りそうです。
 
 
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睦月 3日  1月を何故「むつき」と呼ぶの?

2006-01-03 16:18:26 | 随想

 睦月(むつき) 旧暦1月の異称。大体、辞書にはこのように説明されているがどうして、1月が睦月なのかの説明がない。実は、私もそれだけしか知らない。 

  「睦」この字は「むつむ」「むつましい」と訓読される。しかし、この訓読からは、1月のイメージがわかない。一応、辞書を引いてみました。読みの「ボク」は「穆」ボクに通じて、「やわらぐ」の意を持つと出ています。すると、1月は春ですから、冬の気配が「やわらぐ」ことから付けられたのでしょうか。あるいは新年ですから、人々も新しいこころ、睦みあうこころを持って過ごそうとするようなことがあるとしてのものなのでしょうか。  

 日本語にはとても、趣のある言葉が多い。月の異称にしても、月齢にしても、色の名前、実に豊かな情感のある言葉、表現が多い。今、そのような日本語のよさが忘れ去られそうになっている。 今日は1月3日、正月3ケ日も今日で終わり、明日からは普通の日に変わる。でも松の内という言葉かある。又、20日正月という言葉もある。こんな言葉も死語に等しくなっている。 

  去年の運勢は、真っ黒だったのだけれど、結果として、ひどい思いをしたこともあるけれど、良い1年だったといえる。今年の運勢はまだ見たことが無いけれど、私の気持ちの中には、それなりの覚悟の必要な年なのだと期するところもある。 

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正月2日  夕方 皆でカラオケに行く

2006-01-02 19:00:59 | 身辺雑記
 朝食後、子供たち孫たちは札幌の街へ出かける。私は箱根駅伝を見たり、いつの間にか眠ったりして昼過ぎまでいた。昼から、昨日一応出来た「残響」をもう少し手をいれることにしてやりかけていたところに、街に出かけていた一行が帰宅。遅い昼飯になる。
 
 4時過ぎになってカラオケに行くということに成り、西友に出かける。屋内駐車場の表示を見ると、2階は満車、3階に行く、殆ど満車状態。でも停めるところが有り、「スガイ」の遊技場に入ると凄い人数が入っている。でもカラオケは部屋が有り、2時間楽しんでくる。孫たちの上手なのには驚いた。家内と私は演歌しか歌えない。それでも家内が2曲、私は5曲くらい歌った。
 明日は、みんな帰るから寂しくなるのでしょう。
 
 驚いたこと。まさか今日年賀状の配達があるとは、思っていなかったのですが、届きました。何通か出していなくって、届いた年賀状への年賀を書いたのですが、3日過ぎなければ、ポストへの集めには来ないのではないかと思い、本局まで持って行こうかと思ったのですが、配達するのなら集めにも繰るのだろうと、ポストに投函しました。民営化の影響で、サービスが変わったのでしょうか。とてもいいことです。
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新年おめでとうございます

2006-01-01 16:59:53 | 無題

 穏やかな2006年の元旦でした。 このブログご覧になられる方に、ご挨拶。今年も宜しく。 

 昨日、孫が来て、ワードへの写真の貼り付けどうすればいいか聞きました。何事も、先輩に教えてもらうのが一番手っ取り早い。孫は、まだ中学生だけれど、PCに関しては、私の雲の上くらいに知っている。習うと何だ、こんなことだったのかと判るわけだけれど、私は、勉強嫌いだから、マニアルで勉強しないで適当にいろいろ馬鹿みたいな間違いばかりやっているのです。これで一つレベルアップ?少しまた違うことが楽しめそうです。   

 今日、早速、この技法を生かして、随筆「残響」の表紙を作り一冊にしました。今度「いの平」に行く時持って行き、かかわった方に見ていただくことにしようと考えています。 この調子だと、いろいろまとめが出来ていくような感じ。今年の楽しみが出来ました。

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