16日(土)、東京芸術劇場展示ギャラリーでの障害者美術展「ときめき想造展」に顔を出した後、雑司ヶ谷にある「としまアートステーションZ」(豊島区立千登世橋教育文化センター地階)で開催されている「ひびのこづえ 虫をつくるワークショップ展覧会:みんなの虫あつまれ!」展に足を運んだ。(3月24日:日曜まで開催)
本展は、「としまアートステーション構想」事業のアートプロジェクトとして、2012年7月から毎月開催されてきた「虫をつくるワークショップ」での制作作品が一堂に会するものだ。
このワークショップは、コスチューム・アーティスト:ひびのこづえ氏が、としまアートステーション「Z」の空間を、参加者がのんびり時間を過ごしながら、創作活動を行い、制作や作品を通し、周りの人とコミュニケーションをとることのできる時間や場所にしたいとの思いから実現したもの。
ひびの氏のアドバイスのもと、ひびの氏自身が舞台衣装等の作品制作で使用した生地を使い、参加者一人ひとりが想像する「虫」のブローチをつくってきた。
参加者それぞれがイメージしたものを自分の力で作り上げるというもので、安全ピンをつけ、ブローチとして胸に飾って撮影を終えたら完成となる。
ワークショップには、子どもからお年寄りまでさまざまな人々が参加し、つくられた虫は600匹以上。今回はその中から集まった虫たち約270匹を展示、さらに参加者それぞれが虫のブローチを胸につけた写真も会場の壁一面に展示されている。
ワークショップ参加者からは、「いろんな人と同じ場所でつくることが楽しかった」「皆それぞれ個性的な虫を作っていて刺激的だった」との声が上がっており、他の人が作り上げた「虫」を見に来る人も多く、新たなコミュニケーションの場ともなっている。
としまアートステーション構想事務局のスタッフは、「制作者一人ひとりの個性豊かな虫が展示されています。作品を通じての出会いがあるかもしれません。是非、楽しんでいただければ。」と来場を呼びかけている。(以上、展覧会の報道資料から)
実に面白い。展示を見ながらいろいろなことを感じたのだが、「虫をつくる」ということで集まった見知らぬ人々が、同じ場所、同じ時間を共有しながらそれぞれの作業を進め、お互いの作品を見て観察し、感想を言い合ったり、世間話をしたりするなかで緩やかに結びつくさまが何ともいえず良いではないか。
大上段に振りかぶった「地域コミュニティ」や「絆」の創出などではなく、アートを介して自然に会話が生まれ、コミュニケーションが育まれていく。既成の制度化された地縁としてのコミュニティとは異なる場所から新たに生まれるソーシャル・キャピタルのような予感がそこにはある、そんな気がする。
それにしてもなぜ「虫」なのだろうか。
ご多聞にもれず、私もまたその昔「昆虫少年」だったことがある。近所の林や田畑を経巡って採集した蝶やセミ、カブトムシなどを、防腐処理を施して虫ピンでとどめ置く、そんなある種倒錯した至福の根源は何によるものなのか。
宇宙全体をわが物とする、という言いぐさはいかにも大げさだけれど、ひと箱の昆虫標本にはその時々の自分自身がまるごと凝縮されている、そんな感慨は誰にも共通のものなのではないだろうか。
「虫をつくる」ことには、そんな共通項を無意識に掘り起こす作用がはたらいていたのかも知れない。その過程で人と人が出会い、会話を重ねることには思いのほか深い意味が隠されているのだろう。
堤中納言物語に登場する「虫めづる姫君」は蝶ではなく毛虫などの恐ろしげな虫を愛し、服装や動作もことごとく伝統習俗に反逆する異端の姫君だったけれど、物事の本質や真理の大切さを誰よりも感じることのできる姫君だった。
そんな「虫めづる姫君」たちの集まった「虫をつくるワークショップ」は、意外にも想定外の部分で現代社会の本質的な課題やアートの秘密に肉迫しようとしていたのに違いない。
さて、そうして壁一面に貼り出された、ワークショップ参加者たちの胸に虫のブローチを飾ったたくさんの写真を眺めるとき、これはまるでよく出来た昆虫標本そのものではないかとも思えて、不思議な夢を見たあとのような気がするのだった。
本展は、「としまアートステーション構想」事業のアートプロジェクトとして、2012年7月から毎月開催されてきた「虫をつくるワークショップ」での制作作品が一堂に会するものだ。
このワークショップは、コスチューム・アーティスト:ひびのこづえ氏が、としまアートステーション「Z」の空間を、参加者がのんびり時間を過ごしながら、創作活動を行い、制作や作品を通し、周りの人とコミュニケーションをとることのできる時間や場所にしたいとの思いから実現したもの。
ひびの氏のアドバイスのもと、ひびの氏自身が舞台衣装等の作品制作で使用した生地を使い、参加者一人ひとりが想像する「虫」のブローチをつくってきた。
参加者それぞれがイメージしたものを自分の力で作り上げるというもので、安全ピンをつけ、ブローチとして胸に飾って撮影を終えたら完成となる。
ワークショップには、子どもからお年寄りまでさまざまな人々が参加し、つくられた虫は600匹以上。今回はその中から集まった虫たち約270匹を展示、さらに参加者それぞれが虫のブローチを胸につけた写真も会場の壁一面に展示されている。
ワークショップ参加者からは、「いろんな人と同じ場所でつくることが楽しかった」「皆それぞれ個性的な虫を作っていて刺激的だった」との声が上がっており、他の人が作り上げた「虫」を見に来る人も多く、新たなコミュニケーションの場ともなっている。
としまアートステーション構想事務局のスタッフは、「制作者一人ひとりの個性豊かな虫が展示されています。作品を通じての出会いがあるかもしれません。是非、楽しんでいただければ。」と来場を呼びかけている。(以上、展覧会の報道資料から)
実に面白い。展示を見ながらいろいろなことを感じたのだが、「虫をつくる」ということで集まった見知らぬ人々が、同じ場所、同じ時間を共有しながらそれぞれの作業を進め、お互いの作品を見て観察し、感想を言い合ったり、世間話をしたりするなかで緩やかに結びつくさまが何ともいえず良いではないか。
大上段に振りかぶった「地域コミュニティ」や「絆」の創出などではなく、アートを介して自然に会話が生まれ、コミュニケーションが育まれていく。既成の制度化された地縁としてのコミュニティとは異なる場所から新たに生まれるソーシャル・キャピタルのような予感がそこにはある、そんな気がする。
それにしてもなぜ「虫」なのだろうか。
ご多聞にもれず、私もまたその昔「昆虫少年」だったことがある。近所の林や田畑を経巡って採集した蝶やセミ、カブトムシなどを、防腐処理を施して虫ピンでとどめ置く、そんなある種倒錯した至福の根源は何によるものなのか。
宇宙全体をわが物とする、という言いぐさはいかにも大げさだけれど、ひと箱の昆虫標本にはその時々の自分自身がまるごと凝縮されている、そんな感慨は誰にも共通のものなのではないだろうか。
「虫をつくる」ことには、そんな共通項を無意識に掘り起こす作用がはたらいていたのかも知れない。その過程で人と人が出会い、会話を重ねることには思いのほか深い意味が隠されているのだろう。
堤中納言物語に登場する「虫めづる姫君」は蝶ではなく毛虫などの恐ろしげな虫を愛し、服装や動作もことごとく伝統習俗に反逆する異端の姫君だったけれど、物事の本質や真理の大切さを誰よりも感じることのできる姫君だった。
そんな「虫めづる姫君」たちの集まった「虫をつくるワークショップ」は、意外にも想定外の部分で現代社会の本質的な課題やアートの秘密に肉迫しようとしていたのに違いない。
さて、そうして壁一面に貼り出された、ワークショップ参加者たちの胸に虫のブローチを飾ったたくさんの写真を眺めるとき、これはまるでよく出来た昆虫標本そのものではないかとも思えて、不思議な夢を見たあとのような気がするのだった。
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