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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

宮澤賢治/夢の島から

2011-09-24 | 演劇
 17日、都立夢の島公園内の多目的コロシアムにおいて、フェスティバル/トーキョー11オープニング委嘱作品「宮澤賢治/夢の島から」を観た。
 2部に分かれた野外公演で、前半がロメオ・カステルッチ構成・演出作品「わたくしという現象」、後半が飴屋法水構成・演出作品「じめん」である。

 これはおそらくパフォーミング・アーツの歴史に残る作品であったと確信する。
 その場に立ち合っていることの幸せと戦慄を覚えながらも、目の前で繰り広げられているものを何と名づければよいのか、困惑もしていたのだった。
 演劇でもない、舞台芸術でもない、言い知れぬ現実感とたしかに《芸術》としか呼べないような結晶された透明な時間。それを《現象》といってよいのかも知れないのだけれど。

 実はその前日の16日にも会場に足を運んだのだが、時間の都合から2部の「じめん」のみをコロシアムの後方から観客と舞台を俯瞰する形で観たのだった。翌日には観客=参加者の一員としてその中にいたことになり、その両方を観られたことは貴重な体験だった。
 2日目には当日客が300人を数えたと聞くが、印象としては観客が初日の3倍にも膨れ上がったと感じたほどだ。1400人もの観客がコロシアムを周回しながら入場する様はまさに壮観だったと言える。その瞬間、観客もまたパフォーマーの一員として「劇的現象」のなかに参加していたのである。

 入場の際、観客は一人ひとり竿のついた大きな旗状の白いビニールの布を手渡される。それをはためかせつつ、コロシアムを取り巻くように歩みを進める群衆は果たして何者なのか。
 やがて眼前に数百もの白い椅子が整然と並べられているのを私たちは目にする。それは私たちのために用意された観客席なのではなかった。訝しみながらそれらを取り囲むように座り込んだ私たちを無人の観客席から見つめるものたち……。
 いつしか静寂が訪れ、広大なコロシアムに集った私たちの頭上を風に乗った雲が飛び交い、木々と葉叢がざわめき、またたく星月夜を背景にヘリコプターが行き交う。これは近未来における宮澤賢治の世界なのかも知れない。
 と、突然、ひとつの椅子が倒れ、それが2つ、3つと連鎖し始めたかと思う間もなく、数百の椅子が波打つようになぎ倒され、広大な草むらの上を津波となって押し流されていく。
 観客がそこに思い描くのは、3月11日に脳裏に刻んだあの光景なのだ。やがて、丘の向こうから白い服の人々が大きな旗を持って現れる。それに呼応するようにすべての観客が立ち上がり、旗を振って応える。私たちは観客であると同時に、被災者であり、避難民であったことを知るのだ。

 第2部の「じめん」は、さらに多くの隠喩や過去の映画作品からの引用に彩られ、ユーモラスな衣を纏いながらも、それゆえに悲劇性を帯びた作品といえる。
 そこに登場するのは、地質学者たる少年・宮澤賢治であり、自ら発見した物質によって被爆したマリー・キュリーであり、映画「猿の惑星」の登場人物たちである。
 さらには「2001年宇宙の旅」に現れた猿人たちに知恵を授ける謎の物体モノリスが禍々しい姿で空間を圧し、透明な風船で模られた原子爆弾がぷかぷかと空に浮かび、風に煽られては危うい形で横倒しとなる。
 そして、それらの道具立てによって「劇」の展開するその場所が、東京のゴミの埋め立て地であり、「夢の島」と名づけられた場所であることの意味・・・・・・。紛れもない、私たちの唯一無二の現実世界。
 それらが一体となってこの作品は「伝説」となったのだ。

 2日間限りの公演であったが、集まったおよそ2千数百人の観客によってこの作品はのちのちまで語り継がれるに違いない。
 そんなことを思いつつ、30数年前、同じ夢の島で上演された状況劇場の「唐版 風の又三郎」の忘れがたいシーンの数々を思い浮かべていた。

 余談。同じ日、東京・調布市の味の素スタジアムではドリームズ・カム・トゥルーのコンサートが行われ、2日間で10万人の観客が動員されたという。
 これをどう考えるか。



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