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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

同時代

2023-04-01 | 演劇
先日、ある友人から今度会った時の茶飲み話のネタにということで関容子著「名優が語る演技と人生」(文春新書)という本をいただいた。「超豪華キャスト8組16人が語らうとっておきの舞台裏ばなし」といううたい文句の本で、関容子氏が聞き役となった名優たちの対談が収められているのだが、とびきりの発見があるという内容ではないのだけれどとても懐かしい話がてんこ盛りの楽しい本である。(以下、敬称を略します)

その中の柄本明と白石加代子の対談で、柄本明が1975年に白石加代子の出演していた早稲田小劇場の舞台「アトリエ№3 夜と時計」(鈴木忠志演出)を岩松了と二人で観に行き、その時、岩松了が、芝居観て初めて面白いと思ったと言ったというエピソードを紹介しているのだが、私も同じ舞台を観ていたので何だか懐かしくなってしまった。

それをきっかけに色々なことを思い出していたのだが、その時の舞台を確か作家の大江健三郎が観に来ていたのだった。もう随分昔のことで記憶はいささかぼんやりしているのだが、その翌年に早稲田小劇場は富山県利賀村に本拠地を移してしまうので間違いはないと思うのだ。
芝居が終わり、退場する観客の中、私のすぐ前を大江氏が歩いていて、そのまま楽屋口に入って行き、そこにいた演出家の鈴木忠志と挨拶を交わしていたのを目にしたのだが、大江健三郎と演劇のつながりがその時は意外な気がしたものだった。

しかし、同時代に生きる異なる分野の芸術家が交流し、刺激し合うということは当時も今も変わらないはずだと思えば何の不思議もないのかも知れない。

昭和63年に刊行された「最後の小説」というエッセイ・評論に加え、戯曲・シナリオの草稿が収載された本の中で、大江は演出家・鈴木忠志のことを、その時期に観た舞台の感想を含め次のように書いている。

「チェホフの『三人姉妹』を、あまり会うことはないが、独自の綜合的な才能として敬意をいだいている友、鈴木忠志が、かれの方法の、ある完成度を示しながら演出した舞台を、時を置いて二度見た。そのたびごと僕がしだいに深く説得された鈴木の演出は、チェホフの戯曲を念入りに解きほぐして、抽象化し、その方向づけでリアリティーの今日的な強化をなしとげたものだ」
「……僕のなかで、鈴木忠志演出がいまや動かしがたいのだ」
「……グロテスク・リアリズムのイメージ・システムとして現実化した舞台を見ながら、僕はほかならぬ祈りの声を聴きつづけるようだったのだ。それもいかにも今日的な……」

大江健三郎文学を同時代の演劇との関連で分析した批評や研究があるのかどうか、不勉強の私には分からないのだけれど、興味深い視点ではないだろうか。
三島由紀夫が暗黒舞踏の土方巽や大野一雄を評価し、土方に私淑した唐十郎が澁澤龍彦をはじめとする同時代の文学者や文化人と交流しながら、その世界を拡大していったような影響関係が大江健三郎の周辺にもあるとしたら、とても面白いと思うのだ。

大江健三郎と同じ1935年生まれと言えば小澤征爾の名がすぐに浮かぶが、そのほか寺山修司、蜷川幸雄、美輪明宏といった人々も同年生まれの演劇関係者である。
美輪明宏が三島、寺山の舞台で花開き、ミューズとなって両者を結び付けたことはよく知られている。
また、寺山が1977年にパルコ劇場のために台本を書き下ろし、演出した舞台「中国の不思議な役人」には大江の義兄である伊丹十三が出演しているし、それ以前には1962年に大江の小説「孤独な青年の休暇」を原作に寺山がシナリオを書いたテレビドラマが放映されている。
こうした交流関係は探そうと思えばそれこそ枚挙にいとまがないのに違いない。

そういえば、1967年に刊行された大江健三郎の代表作「万延元年のフットボール」の中に登場する「日本一の大女ジン」の奇矯なイメージは、同じく1967年に寺山主宰の演劇実験室◉天井桟敷が上演した「大山デブ子の犯罪」に登場する大女と共通するものだ。

このように大江文学を演劇的想像力から読み解くことは実に興味深いと思うのだがどうだろう。


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