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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

対立したまま共存する

2022-06-19 | 日記
今朝の新聞の一面に建築家・安藤忠雄氏のインタビュー記事が載っている。
聞き手は池上彰氏で、安藤氏が大阪中之島公園内に設計・整備し、大阪市に寄附するとともに、運営費用については広く寄附を募った「こども本の森 中之島」の話を中心に、子どもの頃から本に触れ、読書することの大切さを語った記事である。

今年80歳の安藤氏だが、10年以上も前に癌が見つかり、胆嚢と胆管と十二指腸を摘出、さらにその数年後にも癌のため、膵臓と脾臓の全摘出手術を受けたという話はよく知られている。
その安藤氏が今も毎日一万歩を歩き、元気に仕事で世界中を駆け回っているというのは奇跡とも思えるが、仕事が彼を駆り立て、元気の源になっているというのは確かなことだろう。何かを失ったら、それを補完する方法を見つければよいだけの話なのかも知れないと、氏の話を聞いているといつの間にか前向きになっている自分に気がつく。

以前手に入れた2015年11月号の「芸術新潮」では安藤忠雄の大特集が組まれていて、折に触れてこれを見返すのだが、いつも刺激を受ける。
今日もページを繰っていて目に飛び込んできたのが、2001年にアメリカのセントルイスに完成した〈ピューリッツァー美術館〉のプロジェクトの話である。

アーティストでコミッションワークを依頼されていたリチャード・セラとエルズワース・ケリーが初期段階から建築計画に参加してきたのだが、それぞれ立ち上がるものに対して自分なりのイメージを持っている者同士の意見がぶつかり合ったことがある。
そうした事態になった時の安藤氏のスタンスはとても共感できるものだ。

「……妥協によって調和させるのではなく、対話によって対立したまま共存する道を探していく。自立した個人と個人が向き合い、しっかりと対話することが肝要です。同じ共同作業でも、それに臨む姿勢によって、できあがる空間の緊張感は大きく変わってくるのです……」

資金を持った人間や自己主張の強い人の意見にただ迎合、妥協して調和の道を探るのではなく、対話とコラボレーションによって最善の方法を見つけ、創造していくことが何より大切だ、ということだろうか。

「二項対立の脱構築」という哲学用語を思い出すのだが、まさに「対立したまま共存する」ことで解決策を見出すことの意義を感じさせてくれる言葉だ。
単に調和を目指し、妥協案を探るだけではどうしても釈然としない部分が互いの心の中に残り、わだかまりとなってしまう。
そうではなく、対立した相互の意見を尊重しながら、アイデアを出し合い、より高次な解決策を発見することで、互いが納得し、より創造的な空間や作品を作ることが出来る。

私たちの人生も社会も政治的な課題も、今世界で起こっている紛争も、まさにこうしたスタンスでの解決の道の模索こそが求められているような気がする。


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