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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

言葉を発する

2011-12-31 | 言葉
 群馬県の伊勢崎市で陶芸をやりながら詩を書いている友人から何冊かの詩集・詩誌を送ってもらった。彼を含む3人の仲間で発行している詩集や彼が参加している同人誌である。
 それらを今ぼんやりと眺めるように読んでいる。
 いま、言葉を発するのが難しいときだ。それでもやむにやまれず表現しようとするのが人間なのだろう。語り得ぬものの前で沈黙するのではなく、あえて言葉を発しようとする行為、それは貴いものだと思うけれど、それをいかに受けとめるか、それは私自身の問題である。

 言葉を発することはおろか、それを読み、受容する方向に自身を押し出す力が希薄になっているようだ。これは衰退なのか、怠慢なのか。
 あふれる言葉を前にそれらの意味をつかみ取るにはそれなりの力が必要だ。
 こういう時、何となく惹かれるのが短歌や俳句、漢詩といった類の表現形式である。
 どうにも気持ちの弱ったときには、最近買った山川登美子の歌集や杜甫の詩などが不思議に心を慰めてくれる。
 これはそれらの定型的な表現様式が、とらえどころなく曖昧な言葉というものに一定の形=拠り所を与えているからなのか。

 1929年、萩原朔太郎は幼い2人の娘を伴い、老いた両親のいるふるさと前橋に戻った。
 13歳年下の妻が去り、家庭が崩壊しての帰郷だったという。
 詩集「氷島」の一編「帰郷」には、「昭和四年の冬、妻と離別し二児を抱えて」との添え書きがある。もっともこれには多分にフィクションが入っているそうだ。
 この「氷島」は朔太郎が切り開いた口語自由詩ではなく、文語調で書かれている。
 これについて朔太郎自身「明白に『退却』(リトリート)であった」と認めているそうだが、定型の詩にはそうした弱ったこころを慰めてくれる何らかの作用があることの証左かも知れない。

 さて、友人の詩をあらためて読み返していて、そのすばらしさに瞠目する瞬間がある。
3・11後の世界を彼なりの言葉で捉えようとする力があるのだ。
 「これから起こるかもしれないことと/起こってしまったことの間で/目を覚まし続ける」それらの言葉は、「結晶」となって私のもとに届けられた。

 そうした言葉の力に鼓舞される。私も目覚めなければならない。


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