3月2日は母の命日。夫婦そろってお墓詣りに出かけた。お墓は城山の市営墓地にある。城山は西区役所の北東2kmに位置し、標高47mの低い山だが、お墓のたつ頂上近くまでの急坂は、高齢者にとってはかなりきつい。
坂の途中にある山桜は今が満開。一片の花びらが風に吹かれ空に舞った。明日は桃の節句。登り口に白い桃の花が咲いていた。とてもすがすがしく美しい。赤い桃の花はまだ少し早いようだ。
バケツと箒をお借りするため管理棟に立ち寄ると、管理人さんが笑顔で”こんにちは”とあいさつされた。お暇だったのか「どちらからおいでですか」と、ひとまずありきたりの世間話がつづいたあとで、城山の歴史について説明してくださった。
お墓をたててから約50年近くたつ。その間、年に数回はお墓参りをさせていただいているが、城山については何も知らなかった。管理人さんの説明をお聞きして、城山が歴史を秘めた山であることを初めて知った。 いくつになっても知らないことが多すぎる。
これからは管理人さんのお話し。
城山は花岡山、御坊山、独鈷山とともに金峰山の外縁部にあたり、中世の「上代城」があった場所。「上代城」は東西約80m、南北約100mの広さに隈本城の出城として築城され、いまも山頂には城跡の石碑がたっている。
(数年前の写真。中央はお城に登る石段)
山頂付近には、市指定史跡の「一の塚」「二の塚」「三の塚」と呼ばれる円形古墳があり、現在は、配水池が設置されていて、墓地公園にもなっている。
城山の上り口の道路横に西南の役の海軍墓地がある。
現地にある説明文には
『「2月21日、国産第1号の軍艦「清輝」が熊本沖に達し(薩軍の偵察か?)、熊本城方面で煙が上がっているのをみた井上良馨艦長が、水兵を松尾町に上陸させたと…そこで薩軍と遭遇し交戦。その時の戦死者7名がここに眠る』とある。
「清輝」が停泊したのは現在の熊本外港、当時は百貫といった。上陸したのは坪井川河口の松尾町小島。河口は水深が浅く百貫から小舟で小島へ上陸した。激戦は城山の近くで続いたと思われる。「この戦いは西南の役におけるまさに緒戦であった」といわれている。
城山の歴史を知って、これからの墓参りは、ぐっと重みが増してきた思いがする。お話しいただいた墓地の管理人さんに、今度またお会いする機会があれば、厚くお礼を申し上げたい。