脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

ハロウィン考 : 居場所がなかったら、仮装(自己演出)を楽しむこと。

2015年10月31日 22時32分00秒 | 社会時評
今日で十月が終わる。今日はハロウィンか。渋谷その他の繁華街
では仮装のヒトで溢れてるらしいが、楽しそうで結構なことだ。
ハロウィンの趣旨よりも、みんな仮装が面白いのだろう。

日常の自分をズラしたい、自分から離れてみたい、他の何かに変
身してみたい。そんな気持ちが膨らんだのが、日本のハロウィン
現象のように思える。わたし的には、日本社会は「気軽に変身出
来る社会」という方向に、文化ベクトルは伸びていく気がする。

誰でも変身願望って持っていると思う。それ自体新しい話でもな
い。日頃自分が置かれている居場所、それは職場・学校であり、
様々な立場や役割であり、或いは自分の顔立ちや体型等の外見で
あったり、ヒトはときには、そのような現実的な制約からパッと
解放されてみたいものだ。

(でも又、元に戻る居場所が保証されてあるからこそ、安心なの
でもあるのかしれない。元に戻らない仮装では、別人に変身して
しまうことだが、自分の人生を切断して別物に成り代わる、そこ
まで酔狂なヒトも、今後は増えるだろう、と勝手に思っている。)


自分の居場所探しに図書館はどうですか、みたいな話があったが、
私も若い頃「居場所としての図書館」を自分なりに何箇所か持っ
ていた。公園でも居場所にはなるが、図書館は無料でひとりにな
れる静かな室内空間である。図書館でないときは、ジャズ喫茶
(勿論有料)で居眠りだったりしたものだ。

本の売れ行きが落ちるので、図書館では新刊本は一年間貸出停止
扱いにして欲しいという、一部の作家側の要望もあるそうだ。
でも、私の街の図書館では、売れっ子作家の新刊は、順番待ちが
多くて、自然と一年位待たねば読めない状態である。

また本の貸出期間は2週間なので、時間がなくて最後まで読み切
れず、返却することも多い。そのような場合、どうしても読みた
い本は、再度順番待ちに登録して何ヶ月遅れかで再読するのだが、
私のような貧乏暇ありだから、そうする訳で、本当に読みたい本
で忙しい身の上であれば、手早く書店で買って読むだろう。

私は、図書館の無料貸出制度が本の売れ行きを阻んでいるかのよ
うな説には、疑問がある。書籍の販売不振の原因は、映像の時代
である今日における、活字離れ・読書離れが根本だろう。

またプロ作家の方々だって、図書館から無料で資料等の書籍を借
りる便益を受けてるだろうし、図書館という制度に、お世話にな
ったことのない作家や著述家、研究者なんて皆無だろう。

(いくらかは職業作家の方々に譲歩すると、新刊本は半年遅れ程度
の貸出制限は可であるが、音楽CDの新譜は、早く聴きたい。)


図書館の貸出機能の話は「居場所としての図書館」とは別の話で
あるが、図書館という公共空間への立ち入りや居留を有料にする
ことには絶対反対である。

昭和30年代生まれの私にとって、空き地や原っぱは子供時代の
居場所だった。銭湯なんていうのも子供同士で行く居場所空間で
もあった。やや長じては図書館や喫茶店、映画館が居場所となる
が、無料の公的空間であり、ひとり居の居場所性を持つものは、
公立図書館(か低料金の公共スポーツジム)くらいしか身近には
存在していない。

自分の部屋から外に出た後、無料のひとり居の居場所が図書館し
かない。さらに本にも関心がないヒトだと、どこに居場所を求め
るのか? コンビニやブックオフの立ち読みか、公園のベンチか、
金があればマンガ喫茶とかか‥。

自分に居場所がない。街にも居場所がない。どうしたらいいのか?
そこにネットという居場所が登場した訳ではある。
そこからさらに、今日のハロウィンのような、自分を変身させれば、
繁華街でも見知らぬ他人同士の間にでも、自然と居場所が出来ると
いう、そんな感じの「処世」ならぬ、上手に自分を処する「処自」
というのが、生きていく上での、切実なテーマになってきているの
かなと、今思った。










最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。