祝日の休み、春めいた陽射しに誘われて、隅田川縁の都立公園へ散歩に行く。
二月の今時分は、花粉症のくしゃみが出始める頃合いだが、今年は雪が多く
降ったせいで、花粉が地面に落ちてしまい、花粉の飛散が少ないのではと思
う。でも雪解けが進むと、一挙に花粉が飛んでくるのかもしれない。
画像は東京下町を蛇行して流れる隅田川の、某川べりの馬頭観音史跡。
その昔、この当たり一帯は川の水が氾濫する湿地帯であった。人家も点在し
村々があったが、農耕馬が死ぬと皮を剥いで川べりに捨てたものらしい。
馬頭観音は、そんな馬(多分、牛も一緒)たちを供養するものであった。
東京の下町、川べりのエリアは、昔は不浄な場所でもあったのだろう。
江戸二大刑場のひとつ、小塚原刑場も隅田川から近いし、遊郭の吉原も水利
のすぐ傍にあった。この世とあの世の境に「水」が流れ、人の死や弔いと
性の歓楽が同居していたのである。
川の水を眺めていると、どしてか憂鬱になることがある。関東大震災でも東
京大空襲でも、川には大勢の死体が流れ着き、土手で大量の遺骸が燃やされ
た。水の流れには、やるせない人の世の無常が映るものなのか。
何だか大袈裟な話になってしまったが、川とか水のそばは、掘り起こせば必
ず悲しい人間の歴史にぶつかるようだ。
二月の今時分は、花粉症のくしゃみが出始める頃合いだが、今年は雪が多く
降ったせいで、花粉が地面に落ちてしまい、花粉の飛散が少ないのではと思
う。でも雪解けが進むと、一挙に花粉が飛んでくるのかもしれない。
画像は東京下町を蛇行して流れる隅田川の、某川べりの馬頭観音史跡。
その昔、この当たり一帯は川の水が氾濫する湿地帯であった。人家も点在し
村々があったが、農耕馬が死ぬと皮を剥いで川べりに捨てたものらしい。
馬頭観音は、そんな馬(多分、牛も一緒)たちを供養するものであった。
東京の下町、川べりのエリアは、昔は不浄な場所でもあったのだろう。
江戸二大刑場のひとつ、小塚原刑場も隅田川から近いし、遊郭の吉原も水利
のすぐ傍にあった。この世とあの世の境に「水」が流れ、人の死や弔いと
性の歓楽が同居していたのである。
川の水を眺めていると、どしてか憂鬱になることがある。関東大震災でも東
京大空襲でも、川には大勢の死体が流れ着き、土手で大量の遺骸が燃やされ
た。水の流れには、やるせない人の世の無常が映るものなのか。
何だか大袈裟な話になってしまったが、川とか水のそばは、掘り起こせば必
ず悲しい人間の歴史にぶつかるようだ。