先日、ジィジの内科・主治医から血中タンパクのPSA検査をしたら、
数値が27ng/ml(正常値:4ng/ml未満)もあり、前立腺にガンの疑いが
あるので、大学病院の泌尿器科で精密検査を受けるよう指示があった。
昨日、ガン検査である針生検(はりせいけん)を受けるのに付き添った。
針生検とは、肛門から器具を差し込んで、直腸から前立腺に向けて針
を8~10箇所くらい刺して組織を採取し、ガン化の程度や良悪を調べ
るものである。(検査結果は一週間待ち。)
針生検は、いきつけのJ大病院では日帰り検査で、局部麻酔を施し検査
時間は20分程度、費用は三割負担で1万5千円だった。
検査中の痛みは全然なかったらしい。
検査後2、3日は血尿が出るようであるが、一週間は自転車に乗る等、
股に圧迫がかかることはしないように、感染症で高熱が出たら、すぐに
救急車で来院して欲しいという注意を受けた。
(今朝、本人に体調を訊いたら、いつもと変わらず、血尿も痛みもなし
という返事で、血尿も出ないとは良いことなのか、悪いことなのか?)
心臓に持病のあるジィジが、針生検を受ける場合、検査前一週間は
服薬中のバイアスピリンという予防薬を中止する必要があるそうで、
断薬三日目の土曜日昼間に、ジィジは私の妹一家と観劇に行った処、
突然、座席で痙攣を起こし、眼を見開いたまま失神していたらしい。
異変に気づいた隣席の妹が、肩に手を掛け呼びかけた処、正気が戻り
劇場の係員が救急車を呼びますかと駆け付けてくれた頃には、
額に大汗をかきながら、自分で大丈夫だと断ったそうである。
後遺障害は皆無のようだが、ジィジがこんな状態に陥ったことは
初めてのことで、本人は何があったのか、全く記憶がないというが、
断薬の影響なのか、微細な脳梗塞か脳出血が起こったものか、
糖尿病の進行による自律神経障害なのか、原因が気懸かりである。
昨日の検査前に、泌尿器科の担当女医にもこの件は話してみたが、
調べないと判りません、としか答えてくれなかった。
検査中に同様の事態が起きたら、適切な処置を願いたいというつもり
で話をしたのだが、専門外の症状だからなのか、逃げ腰で困った。
一応、何ごともなく検査が無事に済んだのでホッとはしたものの、
次の問題は、検査結果とその治療法である。
病勢の進行が遅い「ラテント癌」ならば抗男性ホルモン剤の服用
(心臓負担の副作用があるらしい)や、放射線治療等もあるが、
週に何度も通院が面倒だし、一切治療を受けずに余命に任せるとか、
ジィジは言い出しそうな気がしている。
ところで、昨日はまた、産廃業者のOさんが来て、
すぐ近所にもう一軒廃業する、古い町工場が出てきたらしく、
日程の相談に来たのだが、ジィジは、あぁ、あっちを先にやって
やってくれ、ウチはまだ仕事中だの言ってた。
廃業を決心してからも、親会社が、他に下請け先がないらしく、
向こう三年分位の仕事を持ってくると言ってるそうで、
ここのところ、当初のジィジの固い決意が鈍りがちである。
私が工場を片付けていると、唐突に昔話をしてきたり、
この旋盤はアメリカ製で云々カンヌンと講釈をしたり、
私が機械部品を取り上げて、「コレ、捨てていい?」と訊いても、
歯切れの悪いナマ返事で、あぁ、そいつぁー、仕事続けるんなら、
要るんだがなぁー、もう辞めるんなら、要らねぇかぁー?、などと
心が何処にあるのか、未練がましい響きの物言いをする。
ところで画像は、当工場にある最古の旋盤である。
写真中央のやや赤い色が付いて天井に伸びているのがベルトで、
このベルトは皮製ではなく綿である。大もとの動力は勿論、電力。
ベルト掛けで動力を伝達し旋転する仕組みで、
おそらくこの20年位は、この旋盤は全く使用していない。
他にもベルト駆動式のミーリング盤があり、現役で稼動中である。
この方式の旋盤がいかに古いかは、
国立科学博物館に初の国産旋盤として保存されているタイプ
(下記URL参照)とほぼ同じ代物であることからも推し量れよう。
つまり、18世紀のイギリス産業革命に遅れること百年余にして、
日本でも明治20~30年代頃に産業革命期に差し掛かる。
その後、以前には輸入され大工場に配備されていた外国製の工作機械を
国産で製作し町工場にも普及が始まる(大正~昭和初期だろうか?)。
その当初の旋盤(国産初の旋盤は1889年の池貝製)のタイプである。
(参照:http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/collection/materials/workshop1.html)
子供の頃の私は、この旋盤で仕事をする父親の姿を見て育った。
それは、イギリスならば18世紀の工場風景だろうか。
日本の東京といっても、下町の町工場なんて昔はそんなもんだった。
が、21世紀の今日まで、現場にベルト掛け旋盤を置いてある工場なんて
東京下町でも相当に珍しい事象に属するであろう。
(過去に一度、工場も設備も昭和初期風に古いので、TV番組のロケに
使われたことがある。)
私だって、我が家の工場と旋盤等、子供の頃から馴染んだこの風景を
失うことは非常に淋しいし、名残惜しい。
ジィジにしてみれば、尚更のことであろう。
このまま自分が死ぬまで、一緒に居たいのであろう。
だが現実とは、そんな感傷に流されて済む問題でもない。
工場・機械設備等、全て解体、無に帰すべし、である。
その引導を渡す資格と役目には、ジィジしかいないのである。
でも、ちょっと思ったんだけど、
区に文化財保護条例ってあるけど、
こうゆうの「産業文化財」に指定して、買い取ってくれないもんか?
いや、タダでもいいから、何処かで永久保存してくれないかなぁ。。。
数値が27ng/ml(正常値:4ng/ml未満)もあり、前立腺にガンの疑いが
あるので、大学病院の泌尿器科で精密検査を受けるよう指示があった。
昨日、ガン検査である針生検(はりせいけん)を受けるのに付き添った。
針生検とは、肛門から器具を差し込んで、直腸から前立腺に向けて針
を8~10箇所くらい刺して組織を採取し、ガン化の程度や良悪を調べ
るものである。(検査結果は一週間待ち。)
針生検は、いきつけのJ大病院では日帰り検査で、局部麻酔を施し検査
時間は20分程度、費用は三割負担で1万5千円だった。
検査中の痛みは全然なかったらしい。
検査後2、3日は血尿が出るようであるが、一週間は自転車に乗る等、
股に圧迫がかかることはしないように、感染症で高熱が出たら、すぐに
救急車で来院して欲しいという注意を受けた。
(今朝、本人に体調を訊いたら、いつもと変わらず、血尿も痛みもなし
という返事で、血尿も出ないとは良いことなのか、悪いことなのか?)
心臓に持病のあるジィジが、針生検を受ける場合、検査前一週間は
服薬中のバイアスピリンという予防薬を中止する必要があるそうで、
断薬三日目の土曜日昼間に、ジィジは私の妹一家と観劇に行った処、
突然、座席で痙攣を起こし、眼を見開いたまま失神していたらしい。
異変に気づいた隣席の妹が、肩に手を掛け呼びかけた処、正気が戻り
劇場の係員が救急車を呼びますかと駆け付けてくれた頃には、
額に大汗をかきながら、自分で大丈夫だと断ったそうである。
後遺障害は皆無のようだが、ジィジがこんな状態に陥ったことは
初めてのことで、本人は何があったのか、全く記憶がないというが、
断薬の影響なのか、微細な脳梗塞か脳出血が起こったものか、
糖尿病の進行による自律神経障害なのか、原因が気懸かりである。
昨日の検査前に、泌尿器科の担当女医にもこの件は話してみたが、
調べないと判りません、としか答えてくれなかった。
検査中に同様の事態が起きたら、適切な処置を願いたいというつもり
で話をしたのだが、専門外の症状だからなのか、逃げ腰で困った。
一応、何ごともなく検査が無事に済んだのでホッとはしたものの、
次の問題は、検査結果とその治療法である。
病勢の進行が遅い「ラテント癌」ならば抗男性ホルモン剤の服用
(心臓負担の副作用があるらしい)や、放射線治療等もあるが、
週に何度も通院が面倒だし、一切治療を受けずに余命に任せるとか、
ジィジは言い出しそうな気がしている。
ところで、昨日はまた、産廃業者のOさんが来て、
すぐ近所にもう一軒廃業する、古い町工場が出てきたらしく、
日程の相談に来たのだが、ジィジは、あぁ、あっちを先にやって
やってくれ、ウチはまだ仕事中だの言ってた。
廃業を決心してからも、親会社が、他に下請け先がないらしく、
向こう三年分位の仕事を持ってくると言ってるそうで、
ここのところ、当初のジィジの固い決意が鈍りがちである。
私が工場を片付けていると、唐突に昔話をしてきたり、
この旋盤はアメリカ製で云々カンヌンと講釈をしたり、
私が機械部品を取り上げて、「コレ、捨てていい?」と訊いても、
歯切れの悪いナマ返事で、あぁ、そいつぁー、仕事続けるんなら、
要るんだがなぁー、もう辞めるんなら、要らねぇかぁー?、などと
心が何処にあるのか、未練がましい響きの物言いをする。
ところで画像は、当工場にある最古の旋盤である。
写真中央のやや赤い色が付いて天井に伸びているのがベルトで、
このベルトは皮製ではなく綿である。大もとの動力は勿論、電力。
ベルト掛けで動力を伝達し旋転する仕組みで、
おそらくこの20年位は、この旋盤は全く使用していない。
他にもベルト駆動式のミーリング盤があり、現役で稼動中である。
この方式の旋盤がいかに古いかは、
国立科学博物館に初の国産旋盤として保存されているタイプ
(下記URL参照)とほぼ同じ代物であることからも推し量れよう。
つまり、18世紀のイギリス産業革命に遅れること百年余にして、
日本でも明治20~30年代頃に産業革命期に差し掛かる。
その後、以前には輸入され大工場に配備されていた外国製の工作機械を
国産で製作し町工場にも普及が始まる(大正~昭和初期だろうか?)。
その当初の旋盤(国産初の旋盤は1889年の池貝製)のタイプである。
(参照:http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/collection/materials/workshop1.html)
子供の頃の私は、この旋盤で仕事をする父親の姿を見て育った。
それは、イギリスならば18世紀の工場風景だろうか。
日本の東京といっても、下町の町工場なんて昔はそんなもんだった。
が、21世紀の今日まで、現場にベルト掛け旋盤を置いてある工場なんて
東京下町でも相当に珍しい事象に属するであろう。
(過去に一度、工場も設備も昭和初期風に古いので、TV番組のロケに
使われたことがある。)
私だって、我が家の工場と旋盤等、子供の頃から馴染んだこの風景を
失うことは非常に淋しいし、名残惜しい。
ジィジにしてみれば、尚更のことであろう。
このまま自分が死ぬまで、一緒に居たいのであろう。
だが現実とは、そんな感傷に流されて済む問題でもない。
工場・機械設備等、全て解体、無に帰すべし、である。
その引導を渡す資格と役目には、ジィジしかいないのである。
でも、ちょっと思ったんだけど、
区に文化財保護条例ってあるけど、
こうゆうの「産業文化財」に指定して、買い取ってくれないもんか?
いや、タダでもいいから、何処かで永久保存してくれないかなぁ。。。