脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

誰のために、政治はあるのか?

2012年08月11日 21時02分07秒 | 社会時評
総理大臣が政治生命をかけた増税法案が、民・自・公の賛成により成立
した。消費税率は、2014年4月に8%に、2015年10月に10%になる。

財界は歓迎しているらしいので、集めた税金で公共事業が増えるのだろ
う。官界と財界ジジイを喜ばせることに、政治生命をかけてるなんて、
茶番もいいところだ。財源を作っては、「政治家」という名の政治業者
が差配を私物化する、そんな構図はもうやめて貰いたい。

企業経済中心の政治から、国民生活、生活者中心の政治へのシフトが、
民主党の当初のスローガンであった。が、大震災と原発事故の発生で
この党の政治力の脆弱性や拙劣さが露呈したと思う。

野田というヒトは、財政再建問題も判るが、脱・原発に道筋を付けて、
この国のエネルギー政策をどのように転換していくか、そこにこそ、
政治生命を賭けるべき時期の総理大臣だったのではなかろうか?

私は、金曜日官邸前のデモに一度も行ったことがないが、原発の再稼動
反対だけでは、原発の安全性やエネルギー問題は解決しないことであれ、
どこかの時点で脱・原発の訴えを展開していかないと、このまま、フク
シマの悲劇は風化させられかねない。

申し訳ないことを敢えて言えば、ハンタイを官邸前で叫んでも、カラ念
仏に過ぎない。だが、暑さの最中足を運んで訴える人々はエライと思う。
その正しさは、歴史に残る声々であり、姿だと思う。

ドイツでは既に脱・原発の方針を打ち出して動いているのに、どうして
日本の政治は、こうも経済に追随したがるのか? 
昔の水俣病の公害問題でも企業追及は甘かったが、経済のゆがみ、ひず
みを匡す力こそ政治の本姿ではないのか。

当面の政治日程は、10月衆院解散、11月総選挙か、どうか知らないが、
今度は自・公政権に戻って、更なる「あやまちを繰り返す」ような気
がしている。政党としてのアイデンティティを失った、今の民主党を
国民は信任しないだろう。

では小沢新党に期待できるのか、大阪の橋下か、その他政局化する要素
もあろうが、第二党としてチャレンジする「新たな民主党」が、何度で
も登場してくれて、「政治」事業者集団のような、自民党型政治の枠組
を少しずつ変えていくしか、この国の政治は前進しないのだろう。



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