あぁ、また、四月か。いつの間にかの、四月だ。
髪もずいぶん伸びてしまった。
今日は雨だ。春の雨。風も吹いている。
セキばかり、どうしてか一ヶ月止まらない。咳喘息?。
最近、聴いている音楽:
ダニエル・ラノワ 『Belladonna』、
ブライアン・ブレイド『Perceptual』、『Season of changes』、
ラウンジ・リザーズ 『Live in Berlin 1991』(Vol.1,2)、
他には、ジョン・ハッセル、サニー・ランドレス、
若手では、オズ・ノイとかカート・ローゼンウィンケル。
あとたまに、アート・リンゼイ。
上に挙げたのはギター系だけど、
ボーッとしたいときは、ブライアン・イーノがいい。
武満徹に浸りたいときもある。
眠りたい方におススメは、ハロルド・バッドの名盤、
『The Pavilion of Dreams』なら夢の世界に逝けるよ。
そういえば、身体障害の天才ジャズ・ピアニストとして知られる、
ミッシェル・ペトルチアーニの通称『赤ペチ』を初めて聴いた。
彼は1999年に36歳で死んでいる。先天性骨疾患で身長が1メ
ートル足らず、20歳までしか生きられないと言われていたという。
ペトルチアーニのことはドキュメンタリ映画になって、日本でも上
映されているらしい。ユーチューブにもピアノを弾いている動画が
出ているが、彼のピアノをCDで聴いたとき、世評にも言われるよ
うに、キース・ジャレットに似たタッチは感じたが、キースよりも
骨太で力感があり、聴いてるうちに両者は全く似てないとも思った。
音と音の間合いが、キースとミッシェルとでは全然違っている。
キースの祈るような繊細な間が、ミッシェルには全くない。
ミッシェルはピアノに、一瞬一瞬全身を以ってぶつかっている。
その圧巻と肉感がある。キースが全霊で鍵盤を弾くなら、ミッシェ
ルはカラダ全体でピアノという物体と相撲を取っているかのようだ。
私はジャズ・ピアニストで一番好きなのは、キース・ジャレットな
のだが、キースの音は観念的なのだろうか?
キースの音は瞑想的だ。
ならば、ミッシェルの音は実存的と呼ぶべきか?
例えば、ジョン・コルトレーンはキースに近く、ソニー・ロリンズ
はミッシェルに近いが、、、いや、この議論は不毛だ!
今私が、疑問を浮かべたのは、Spiritualという評価語だ。
音楽や芸術一般に、Spiritualである創作態度や創作物を高く評価す
る傾向があるが、キース・ジャレットのような音楽家は勿論、Spiri
tualだが、ミッシェル・ペトルチアーニのピアノを比較して甲乙だか
優劣を論じる愚かしさの話である。
Spiritualであることだけが、芸術のあるべき最高の姿ではない。
芸術(art)と仕事(work)とどっちが、人間にとって上かという比較は
バカがすることだと思っている。ここで言う仕事とは、会社労働でも
家事や育児も、みな仕事である。生きるための営為のことである。
キース・ジャレットは、芸術(ピアノ・アート)をワークしているし、
ミッシェル・ペトルチアーニは、仕事(ピアノ・ワーク)=生きる営為
をアートにしているということか。
(このお話、いまひとつ、うまくまとまりませんでした。。。再見!)
髪もずいぶん伸びてしまった。
今日は雨だ。春の雨。風も吹いている。
セキばかり、どうしてか一ヶ月止まらない。咳喘息?。
最近、聴いている音楽:
ダニエル・ラノワ 『Belladonna』、
ブライアン・ブレイド『Perceptual』、『Season of changes』、
ラウンジ・リザーズ 『Live in Berlin 1991』(Vol.1,2)、
他には、ジョン・ハッセル、サニー・ランドレス、
若手では、オズ・ノイとかカート・ローゼンウィンケル。
あとたまに、アート・リンゼイ。
上に挙げたのはギター系だけど、
ボーッとしたいときは、ブライアン・イーノがいい。
武満徹に浸りたいときもある。
眠りたい方におススメは、ハロルド・バッドの名盤、
『The Pavilion of Dreams』なら夢の世界に逝けるよ。
そういえば、身体障害の天才ジャズ・ピアニストとして知られる、
ミッシェル・ペトルチアーニの通称『赤ペチ』を初めて聴いた。
彼は1999年に36歳で死んでいる。先天性骨疾患で身長が1メ
ートル足らず、20歳までしか生きられないと言われていたという。
ペトルチアーニのことはドキュメンタリ映画になって、日本でも上
映されているらしい。ユーチューブにもピアノを弾いている動画が
出ているが、彼のピアノをCDで聴いたとき、世評にも言われるよ
うに、キース・ジャレットに似たタッチは感じたが、キースよりも
骨太で力感があり、聴いてるうちに両者は全く似てないとも思った。
音と音の間合いが、キースとミッシェルとでは全然違っている。
キースの祈るような繊細な間が、ミッシェルには全くない。
ミッシェルはピアノに、一瞬一瞬全身を以ってぶつかっている。
その圧巻と肉感がある。キースが全霊で鍵盤を弾くなら、ミッシェ
ルはカラダ全体でピアノという物体と相撲を取っているかのようだ。
私はジャズ・ピアニストで一番好きなのは、キース・ジャレットな
のだが、キースの音は観念的なのだろうか?
キースの音は瞑想的だ。
ならば、ミッシェルの音は実存的と呼ぶべきか?
例えば、ジョン・コルトレーンはキースに近く、ソニー・ロリンズ
はミッシェルに近いが、、、いや、この議論は不毛だ!
今私が、疑問を浮かべたのは、Spiritualという評価語だ。
音楽や芸術一般に、Spiritualである創作態度や創作物を高く評価す
る傾向があるが、キース・ジャレットのような音楽家は勿論、Spiri
tualだが、ミッシェル・ペトルチアーニのピアノを比較して甲乙だか
優劣を論じる愚かしさの話である。
Spiritualであることだけが、芸術のあるべき最高の姿ではない。
芸術(art)と仕事(work)とどっちが、人間にとって上かという比較は
バカがすることだと思っている。ここで言う仕事とは、会社労働でも
家事や育児も、みな仕事である。生きるための営為のことである。
キース・ジャレットは、芸術(ピアノ・アート)をワークしているし、
ミッシェル・ペトルチアーニは、仕事(ピアノ・ワーク)=生きる営為
をアートにしているということか。
(このお話、いまひとつ、うまくまとまりませんでした。。。再見!)