脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

9・1のクライシスに寄せて。

2015年08月29日 20時38分38秒 | 雑談
そろそろ夏は終わりだろうか。今年はやけに短い夏である。
その分、秋が長いのなら、わたし的には文句なしだけど。

ところで、夏休み明けの9月1日に、子供の自殺率がダントツに高ま
るということを報道で知った。私は子供時代、死ぬほど学校を毛嫌いし
思い詰めたことはなかったが、それでも、行きたくないと思ったことは
数え切れない位あったし、実際親に内緒でサボってもいたものだ。

高校時代、英語の先生があるとき言った。人生至る処、青山有りという
が、それより寧ろ、人生至る処、サル山有りであると。社会に出るまで
もなく、学校にも地域社会にも、ボス猿とその取り巻きそしてそれ以下
がいる。世の中サル山だらけだ。君たちも、そこん処をどう生きるかだ
よ、みたいな事を述べられた。

「人生至る処、サル山有り」は、高校で教師の口から学んだ、唯一の至
言として今尚私の心に残っている。学校・会社・家族親戚・地域社会等
々、人間集団・社会には、みなサル山似の序列秩序がある。人間なんぞ
進化しても、基本のところは、尻尾のないおサルさんなのである。

いや人間には、サルにはない智慧や科学技術、諸々があるではないか。
それはそうであるが、集団としての在り方や、集団と個との関係におい
ては、サルと人間は、集団社会性の世知辛いあり方において、お互い通
底し合っていると思う。

(同じ霊長類でも、ゴリラには、上下の序列や勝負を競い合う勝ち負け
が存在しないそうである。この点で、人類はゴリラの平和主義をもっ
と研究して、見習うべきなのである。)


     *      *      *      *     

我々は誰もが、○×学校だの△△会社というサル山に帰属し、集団秩序
に汲々としつつ生息するサル(の亜種?)である。ニンゲンなんてそんな
モンと、クールに見切って生きることも、処世のひとつの態度だと思う。

でもそれだけでは、自分を自虐で卑しめ他者を僻目で眺め、世を拗ね悲
観しそうである。そんな風に斜に構えて気持ちを流してしまわないため
には、真っ直ぐにホットに生きる態度も必要である。

ときには、エネルギッシュにクレージーな位熱くなること。例えば、
サッカーの試合や好きなアイドル、アーティストに向かって熱烈に声援
を送ることは、精神の健全なる均衡上、とても良いことだと思う。

家にも学校にも居場所がない若者たちがいる。そんなの昔から居るので
ある。死ぬほど辛いなら学校を休んで、図書館でも海岸でも行けばいい。
でも、一時の避難場所を求めることよりも、好きな物事を見つけて、ク
レージーなくらい過激にホットになること。

<熱狂>、その発熱・発光こそ、自分に自然と存在感を与えてくれるも
のなのである。つまり<熱狂>とは、自己充足活動なのだ。
世界を自分に取り戻した気分と、自己肯定感で満ちた瞬間なのだ。
全ての場所が、何を怖れることもなく、自分が居てよい居場所になる瞬
間でもある。だから居場所探しはいらなくなる。

その感触 ――、自分で世界を掴んだ、心の手触りを忘れないことである。
そして、自分を見失いそうな時には、いつでも何度でも思い出すことだ。
何かが、自分と深い処で確実に繋がっていて、脈動していることを。
他人が、周囲がいかようにあろうとも、掛け替えのない、唯一の
”この自分”を生きることを、そのことを信じていいのだと。



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