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「ジュリーがいた」レゾンデートルの行方って何?

2022年07月29日 | 新聞・雑誌 記事

 

J友さんからです⇒ 「バンドのヴォーカルのつもりなんや」バンドを愛する沢田研二の実像 音楽の達人“秘話”・沢田研二(1)

国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。今回から取り上げるのは歌手の沢田研二です。

ライターの岩田由記夫さんのお名前は記憶にあって、90年代のジュリーなど、いつも好意的に書いてくださっている印象があります。今のジュリーのインタビューなども読みたいものだと思いますけど。



週刊文春の「ジュリーがいた」連載が再開されました。「レゾンデートルの行方」って何?

レゾンデートルまたはレーゾンデートルraison d'être)は、フランス語の哲学用語で、「存在意義」「存在理由」と訳される。

70年代末から80年代へ。80年代の初めは曲がNO.1ヒットをしていたわけじゃない、けれど活躍はとにかく華々しかった。歌だけではなく、映画にドラマに、さらに作曲家としてのジュリーに(ラ・セゾン等)と、数々のオファーがありました。

何につけてもどこにでもジュリーの名前が語られる。ジュリーこそがまさにスーパースターであると誰もが認める存在、それがジュリー。ファンとしてもスゴイッ!!売れてるっ!!と感じました、この頃の気持ちは もちろんアゲアゲ高揚していました。

「ジュリーがいた」の文中のラジオ番組の話など、懐かしいことばかりで、そうやったそうやったと、昔を思い出しました。しかし80年代と言うと、最後の数行でそこにも触れずには進まないと思うと、この先はちょっとユ・ウ・ウ・ツ 島崎さんはジュリー本人のインタビューが出来ないものの、これまで全てのジュリーを総括したいとの思いなんでしょう。

文中にあった、YOUNGの記事

週刊文春は買っても、本文は毎回ろくに読んでもいないのですが、今回はちょっと読みました。中で、能町みね子さんのコラムには、ほぉ・・と頷いてしまいましたわ。



写真集は今日も発送通知が届きませんでした。佐川急便さんはお忙しい・・  気長に待ちます(^^;

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おやじのように生きてきたのか

2022年07月26日 | 新聞・雑誌 記事

ライブ初日情報のフンコーのあまり、すっかりアップが遅くなりました。

24日の朝日新聞・朝刊 声欄

心に残る投稿は、間違いなくジュリーファンの男性

「親父のように」、切ないメロディーに歌詞、ジュリーの歌い方も思い入れがたっぷりと哀愁が深くて、好きな曲です。9人兄弟だというサリー、どんなお父さまだったんでしょうね。


ラジオ関西、火曜日のPlaylist of Harborland「ジュリーにチェックイン!」先ほど聴きましたが、私の初日まで封印しておきたかったセットリストを、番組のお陰で少しだけ知ってしまいました。しかも、最近 チェックイン!でかかった曲が、5曲もかぶっていたとか(笑) なにそれ~😓 先見の明があったのか? たまたまだと思いますが。(^^;)

まあ、セットリストは知ってもすぐに忘れるし、ちょっとくらいは全然大丈夫です!!(^^) 「ジュリーにチェックイン!」は、ぼちぼち編集致します。

 


音楽ナタリー⇒ 沢田研二ツアーファイナルは75歳の誕生日、さいたまスーパーアリーナで

今回のライブの衣装もアップされますように


 

島田陽子さんが亡くなられました。

島田陽子さんの代表作なら「犬神家の一族」「将軍」で、「山河燃ゆ」ではないと思います。それでもこの画像が使われたのは、隣にいるのがジュリーだからと思いました。

島田陽子さんはデビュー作の「氷点」や「白い巨塔」などを見ていたので、まだお若く残念なことだと思います。美しい方でした、裕也さんとも噂がありましたっけ・・こちら

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【真夜中の六本木60年史・前編】錚々たる文化人が集ったキャンティは「教室」だった

2022年07月16日 | 新聞・雑誌 記事

女性セブン⇒【真夜中の六本木60年史・前編】錚々たる文化人が集ったキャンティは「教室」だった

キャンティについて書かれた箇所⇒「ファッションのプロデュースを仕切っていたのは梶子さんでした。彼女は当時ザ・タイガースで大人気だった沢田研二さん(74才)の黒のベルベットの上着に白いパンツというデザインを担当して、大好評を博した。このファッションを気に入ったジュリーはすぐにキャンティの常連になりました」

キャンティの常連と言うと、トッポやピーのほうが頭に浮かびます。亡くなったザ・タイガースのマネージャーだった、中井さんと親しくしていたJ友さんが、中井さんから直接伺ったお話では、ジュリーがキャンティに行くことを好ましく思っていなかったそうです。そこで色々な影響を受けることを良しと思わなかったそうです。

記事にはユーミンの名前も有りますが、ちょうど先週のバブル時代をテーマにした番組で、川添象郎氏とユーミンの事を語っていました。

記事はまだ前編、後半に続きます。


 

キャンティには一度行ってみたくて、2019年11月にタローさんのコンサートの前に行きました。⇒⑥聖地巡礼・キャンティ(食事)

キャンティには一度行けたので、気が済みましたわ。キャンティで食事の後は、昔 追っかけをしていた方に案内していただいて、六本木を聖地巡礼⇒ 聖地巡礼、サウンドシティ

J友さんがジュリーとキャンティで遭遇⇒⑦聖地巡礼・キャンティの想い出(J友さんより)

六本木に行ったのはコロナ禍に見舞われる直前のことで、外出に不安も何も感じていなかったと、懐かしく思い出します。


 

J友さんのお庭

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京都新聞・6月16日記事「沢田研二74歳の誕生日に」

2022年06月16日 | 新聞・雑誌 記事

「おきなわいちば」はオンラインショップでは完売したそうですと、J友さんから教えて頂きました(^-^) 中江監督のエッセイは、反響が大きかった事と思います。

はまゆりさんからはコメ欄に、編集部のお報せ ⇒『[おきなわいちば編集部です。
77号を発売して10日ほどが経ちましたが、私たちも驚くほど手にとっていただく方が多く、オンラインショップで販売する分の在庫がなくなってしまい、完売となりました。]』

何故売れているのか、編集部の方はジュリーの影響に気がついておられないのでは・・(^^;)



京都新聞・6月16日記事「沢田研二74歳の誕生日に」

土を喰らう十二ヵ月さんtwitter


京都のJ友さんから、京都新聞記事を送っていただきました。

大きな記事だそうです。

近影、地味なスーツを着込んで芸能人ぽく無い・・

ロックスターには見えないわ~ 真面目にすました表情が

大学教授とか、文化人ぽいです(^^;) 

近影が見られたのは、文化功労者に選ばれたお陰かな?

70年代前後は、ベトナム戦争や学生運動など

今よりもっと身近に感じられましたが

アイドルが声に出すのは出来なかったことでしょう。

今は休止する韓国のBTSは、政治的な発言もしています。

が、日本のアイドルには、この先も出来ないでしょうね。

こちら記事の全体像もJ友さんから送っていただきました。

どうも有難うございます(^-^)

 

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プレーバック、志村けんさん。

2022年05月01日 | 新聞・雑誌 記事

昨日の朝日の別版、beを開いたら、見開きの大きな両面記事に

志村けんさんの アイ~ン!!

久しぶりの志村さんの表情の迫力と破壊力にタジタジ・・

ジュリーのこともちょっとくらい書いてないかなと

読んでみたら

有りました。

そこだけ抜き出しました。下↓

これを読んでいると、ジュリーと志村さんがいかに

長いお付き合いであるのか、よく分かります。

ジュリーは志村さんの下積から、ずーっと知っているのですね。

私がジュリーのコンサートにいきはじめた頃は

ワンマンショーで、前座は有りませんでしたが

志村さんのコンビを実際にご覧に

なった方はいらっしゃるのでしょうね。

去年の今頃、キネマの神様の志村さんを偲ぶ

新聞広告に、ファンが大きくどよめいたと、

思い出します。

 

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ジュリー「存在自体が芸能史の大事件」サザエさんをさがして

2022年03月27日 | 新聞・雑誌 記事

土曜日に終わった「マー姉ちゃん」は、主人公の妹が長谷川町子さん、その作品の「サザエさん」にはジュリーも登場しています。J友さんから、以前にこんな記事が有りましたねとメールをいただき、そうそう!と思い出しました。『ジュリー「存在自体が芸能史の大事件」』 2015年に紹介した記事ですが再び。

「サザエさんをさがして」という、昔の連載した「サザエさん」の作品から、掲載された当時の世相を読み解くコラムです。

1968年3月2日、朝日新聞朝刊に掲載された「サザエさん」

※記事の全体(朝日新聞、土曜別版be)2015年6月13日

掲載されたのは2015年6月の朝日新聞別版Be。この記事を読んで嬉しくて、be会員の私は感想を送ったら、翌週の編集後記に掲載されました。「ファンからの熱狂的な声が集まりました」私以外の方からも沢山の声が集まったんですね!(^^;



 

土曜日に終わった「マー姉ちゃん」は、1979年の放送当時には視聴率40%越えだったそうです。時計代わりと言われたとはいえ、当時の朝ドラ人気のほどがわかります。

主演の姉を演じた熊谷真実さんは当時19歳と若く、妹の漫画家・長谷川町子を演じた田中裕子さんは23~24歳で、年齢が逆だと、当時は話題になっていたとtwitterを見て思い出しました。熊谷真実さんは30代を演じていた時には、その実際の若さを感じさせない演技でした。

しかし、今と昔のドラマの作りの違いというのか、価値観の違いというのか、43年後の令和になると、このドラマは私には煩すぎました。

何かというと家族に他人まで家に大勢集まって、ギャーギャーギャーギャー。つまらんことに、すぐに大声で怒鳴る、掴みかかる全く人の話を聞かない、おっさん達。些細なことを大袈裟に騒ぎ立てる家族。婆さんにおばさん連中は、なぜそこまで他人の家族に肩入れするのか、気色悪かったわ。すぐに目を回す3姉妹。自分は働きもせず、金もないのに勝手にバンバン寄付するお母様。(-_-;) どの人物にも全く共感できなかったわ。

ウザイ、ウザすぎる。どないかしてくれんかと呆れながら見ました。やめればいいのにね、ついつい習慣で('_') あまりに戯画化されすぎの登場人物。。 ああ、そうか「サザエさん」は漫画やった・・ 山口崇さん演じる三郷さんだけが、穏やかで優しかった。

twitterではどんな評判だったのかと検索したら、面白かったという人もいたけれど、概ね私と同意見でした。当時とは時代が違うのね。

で、実際の長谷川家はtwitterによると、末娘さんは今もご存命ながら、お姉さんらとは絶縁したのだとか。わかるわ、あの近すぎる関係に息が詰まったんとちゃうやろか・・・

以下はtwitterより



1979年放送朝ドラ #マー姉ちゃん その後、
1992年長谷川町子72歳で死去
洋子は毬子から絶縁されており連絡されず
姉妹社解散
2012年マー姉ちゃんこと毬子、94歳で死去
末妹の長谷川洋子さんは2022年97歳でご存命。


男手なしの女所帯で社会的成功を治めた一家というのは、1979年当時でも珍しかっただろうし、それだけでも世の励みになったんでしょうね。そして周囲から協力者を呼び込む、はるさんの「分かち合い精神」が、病気と言われつつも世知辛い現代への批判として描かれていた。



以上の考察に、そうなのか~と納得ができました。女性家族だけで成功を掴んだ長谷川家。

そして、母親のはるさんの寄付金病ですが、前川清さんのお母様がキリスト教徒で、寄付をするのが大好きで、前川さんからお金をくれくれとせびっていたとか。はるさんと同じ、それが「分かち合い精神」なのか。しかし、前川清さんならお金は持っているけど、金がないのに寄付する はるさんには「やめろ!!」と言いたくウズウズムカムカ、毎回気色悪くなったわ(-_-;)

これで朝からのウズウズムカムカから解放されます、あ~良かった(-_-;)

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京都新聞に、沢田研二さん文化賞受賞の記事

2022年01月30日 | 新聞・雑誌 記事

28日の京都新聞に、京都府文化賞の記事が載ったそうです。

2月1日が表彰式、ジュリー以外は殆どが京都在住の方が多くて、ジュリーは表彰式に出るのかしら? ところで住所が東京になってるのは何故なんでしょう?

(全体)



J友さんから教えて頂きました。週刊朝日の記事がネット記事になりました。

沢田研二、4年ぶりのバンド熱唱でファン歓喜 高い人気でチケットが20万円に高騰?

幼馴染からも、AERAの記事をネットで見たよ、とラインがありました。

『ジュリーのライブすごい褒めてる。見に行ったの?大御所と言われている人も、歳をとると声量も音域も危うくなって、聴いているのが可哀そうになる人が多いのに、73歳で若い時より良いと言われるのは凄いね!・・・三か所もライブに行ったの?!スゴイ!!ジュリーも幸せもんだね。私は歌手も俳優もそこまでファンになった人がいないので、そういう対象がいるのは羨ましい(^-^)』

私は単なるミーハーかなぁ(^^; 最近は好きなアイドル達を「推し」というようだけど、ファンとどう違うの?と思ったら「推し」には「人に薦めたいほど好きな「推し」、という意味合いもあるんだそうです。

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渡辺えりさん「再スタートの時」日経新聞夕刊

2022年01月19日 | 新聞・雑誌 記事

J友さんから、1月14日の日経新聞夕刊の、渡辺えりさんのコラムを頂きました。職場の上司の方が、新聞記事の写メを送って下さったそうです。

ジュリー関連のものが、職場の上司から送られるとは、それはまた珍しや~ しかも、画像は写メではなく、わざわざスキャンして下さっているようです。以下は、送って下さったJ友さんからです。

『職場の上司が、新聞記事の写メを送ってくれました。
14日の日経新聞夕刊だそうです😌私も同じ空間(東京フォーラム )にいたのかと思ってと、教えてくれました😌
ライブや音楽に思い入れのある部長なので、生はいいですよね、貴重なライブに是非参加してくださいと、会社としては自粛が求められているのですが、渋谷行きを、快く許可してくれました。
部長は佐野元春さんのファンで、ジュリーと縁があるのも知ってて、部長の尊敬するミュージシャン(名前は忘れました😁)がジュリー祭りを絶賛してたとか、いろんな情報をくれます😄
この前は娘さんと広島までPerfumeのライブに行ったとか。
Perfumeには、LINE CUBE渋谷のこけら落とし取られたことを部長に訴えました😜』


なんて話の分かる部長さんなんでしょう。もちろんコロナ感染には気をつけるのは当然ですが、ファンの気持ちをよくご存じで、音楽に対する思いもお有りなんでしょう。その息子さんは「勝手にしやがれ」をお気に入りに入れているそうですよ。

>『Perfumeには、LINE CUBE渋谷のこけら落とし取られたことを部長に訴えました😜』

そうなんです。渋谷公会堂が新らしく開場した時のこけら落としがPerfumeだったので、少なからずガッカリしました。しかも、チケットは電子チケットだったので、渋谷はこれから電子チケットでないと入れないのか?!と、そら怖ろしかったです(-_-;) 

結局、ジュリーのチケットはそうはなりませんでしたが、私はまだ新しくなったLINE CUBE渋谷には、いく機会はありません(^-^;

いよいよ明後日、行かれる皆さんは楽しんできてくださいね✨✨

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蜷川幸雄さん(ジュリーがいた)朝日でも日経でもどっちでもいいけど(^^;

2021年12月26日 | 新聞・雑誌 記事

12月23日の木曜日の週刊文春「ジュリーがいた」では、演出家の蜷川幸雄さんが登場しています。文中に

『蜷川のエッセイに「ジュリー」というタイトルの一文がある。1985年8月3日、沢田研二が個人事務所ココロを設立した時、1年ぶりのコンサートの演出を託され、日経新聞に寄稿したものだ。』とあって、ジュリーとの出会いを書いています。60年代末、ショーケンとジュリーの二人と出くわし、3人で帝国ホテルでお茶を飲んだ。ショーケンは映画や演技の話をし、ジュリーは一言も語らず、黙ってコミック雑誌を読んでいた(日経新聞 第二部)」というもの。

これ読んで、あれ? 日経のエッセイと、ほぼ似たような蜷川さんのエッセイを朝日新聞で読んだけど・・ 日経新聞掲載と、全く同じ日の朝日新聞・第二部の蜷川さんのエッセイ。うちは日経はとっていないので、朝日新聞の間違いじゃないのかなぁ~??

まあ、日経新聞に掲載だろうが朝日新聞だろうが、どっちでもいいですが(^^;

このエッセイは私のお気に入りで、スクラップブックに貼っていましたが、蜷川幸雄さんが2016年に亡くなった時にブログで紹介していました。一部を再び載せます。※以下の文は、2016年5月のままです


ステージの片隅から 蜷川幸雄(2016-05-19)

亡くなった蜷川幸雄さんが1985年に朝日新聞の土曜別版に寄せたエッセイです。

寡黙でおとなしいジュリーと、無邪気なほどに屈託のないショーケンとの対比が面白く、蜷川さんのジュリーを見る目の温かさ、お互いの心遣いや、尊敬を感じました。

そして、若い時から大スターであるジュリーでさえも、舞台の前では緊張するという、人間味の溢れる姿を描いていて、朝日に発表当時からずっと好きなエッセイでした。

1985年のジュリーは、順風満帆な時期では有りませんでした。次第に落ちてゆくレコード売り上げ、私生活での噂、マスコミとの葛藤。奇行だのなんだのと散々にいわれ、その後休養を経て、レコード会社を移籍、ナベプロからの独立がありました。

エッセイは蜷川さんの演出のステージで復帰したばかりの時です。ジュリー自身が、復帰のステージに賭ける思いは いかばかりか。そんなヘビーな心境の時の人間的なジュリーの姿が、さりげなく蜷川さんの手で描かれていて、私のお気に入りのエッセイです。


ジュリーは1975年、蜷川さん演出のアングラ演劇「唐版 滝の白糸」に出演していますが、残念ながら私は見に行っていません。

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京都新聞「彼から京都が見える」12月16日

2021年12月18日 | 新聞・雑誌 記事

J友さんから、ネット記事が、京都新聞の記事になりましたと、新聞の画像を送っていただきました。12月16日の京都新聞。ネットだけではなく、さらに多くの人の目に触れることは嬉しいです。

ジュリーの時代 魅せられた生き方(ノンフィクションライター 島崎今日子さんに聞く) 

「中性的魅力熱狂した一人 彼から京都が見える」

「イメージ変えて復活・・」イメージが変わったと思われているのかな、世間には。ファンの私は、歳は確かに取ったけれど、ジュリーはずーーっと変わらずにジュリーだと思っています。



1985年の「灰とダイヤモンド」で、バイオリンを担ったマレー明日香さんが、今朝のBSテレ東「おんがく交差点」12月18日(土)あさ8時~8時30分放送!! に出演。私は見ていなかったのですが、J友さんから、ご報告を頂きました。

『マレー明日香さんの出演番組を見ました!冒頭に沢田研二さんのツアーサポートをした時、上手く弾けたら、ジュリーはピースしてくれたと (^^♪
飛鳥さんの弾き方を見ていると🎵「灰とダイヤモンド」を思い出しましたが、やっぱり1985年当時よりは年をとっておられました😊』

「灰とダイヤモンド」は、イントロから、バイオリンの哀しいような音色がとても印象に残る曲です。当時はまだマレー明日香さんは大学生であったとか。⇒YOUTUBE「灰とダイヤモンド」

ついでに、繰上和美さんのEテレのインタビュー番組は、ジュリーの写真の一枚も出なかったそうで、録画したけど見ないで消します(^^;

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