J友さんからです⇒ 「バンドのヴォーカルのつもりなんや」バンドを愛する沢田研二の実像 音楽の達人“秘話”・沢田研二(1)
国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。今回から取り上げるのは歌手の沢田研二です。
ライターの岩田由記夫さんのお名前は記憶にあって、90年代のジュリーなど、いつも好意的に書いてくださっている印象があります。今のジュリーのインタビューなども読みたいものだと思いますけど。
週刊文春の「ジュリーがいた」連載が再開されました。「レゾンデートルの行方」って何?
レゾンデートルまたはレーゾンデートル( raison d'être)は、フランス語の哲学用語で、「存在意義」「存在理由」と訳される。
70年代末から80年代へ。80年代の初めは曲がNO.1ヒットをしていたわけじゃない、けれど活躍はとにかく華々しかった。歌だけではなく、映画にドラマに、さらに作曲家としてのジュリーに(ラ・セゾン等)と、数々のオファーがありました。
何につけてもどこにでもジュリーの名前が語られる。ジュリーこそがまさにスーパースターであると誰もが認める存在、それがジュリー。ファンとしてもスゴイッ!!売れてるっ!!と感じました、この頃の気持ちは もちろんアゲアゲ高揚していました。
「ジュリーがいた」の文中のラジオ番組の話など、懐かしいことばかりで、そうやったそうやったと、昔を思い出しました。しかし80年代と言うと、最後の数行でそこにも触れずには進まないと思うと、この先はちょっとユ・ウ・ウ・ツ 島崎さんはジュリー本人のインタビューが出来ないものの、これまで全てのジュリーを総括したいとの思いなんでしょう。
文中にあった、YOUNGの記事
週刊文春は買っても、本文は毎回ろくに読んでもいないのですが、今回はちょっと読みました。中で、能町みね子さんのコラムには、ほぉ・・と頷いてしまいましたわ。
写真集は今日も発送通知が届きませんでした。佐川急便さんはお忙しい・・ 気長に待ちます(^^;