NHKの朝ドラ「カーネーション」が10月に放送になって以来、すっかりこのドラマにはまっています。
岸和田のバリバリ関西人のゴッドマザーの、何事にもへこたれない、くじけない
がむしゃらで、力強い生き方の気持ちよさ。
かなりのアクの強さも、実在の人物だと思えば 嘘くささがなく、受け入れられる。
そして娘たちは、いずれも有名な三姉妹。
日本のファッション界の黎明期から、現代への変遷までもが見られる、華やかさ。
どれをとってもワクワクします。
お婆ちゃんに、ほっしゃん、それに出番の少ない脇役人でも、それぞれが個性的で
魅力的な人物ぞろいです。
そんな時、本日 大阪の天満橋のドーンセンターで、大阪府社会労務士会主催で次女のコシノジュンコさんの講演会があると知り、早速行ってきました。しかも無料が嬉しいわ~
大阪城を臨む場所にある、大阪ドーンセンターの会場は、開演前からドラマファンとおぼしき女性たちで満員です。ジュンコさん曰く「ちょっと年齢の高い方が多いようですね」 (笑)
満員でいささか主催者が手間取ってしまい、少し遅れて始まりました。
ジュンコさん、登場~☆彡 紫の光沢のある丈の短めのテーラージャケットに
黒いたっぷりとドレープのある、足首で細くなったパンツスタイル、トレードマークの
おかっぱヘアに大きなシルバーのぶらさがるイヤリング。靴はサンダルです。
※本日の講演会のお題は『人生これからや』
ドラマで世間を騒がせております。TVを見て、私の知らないこともあって、
あー我が家はそうだったんだ、といまさら知ったこともあります。
母は6月15日生まれで、花詞はカーネーションなんです。最初、ドラマの題名が
なかなか決まらなかったんです。カーネーションにやっと決まりましたが、朝ドラで
最後に「ん」のつくドラマはあたるんです。「おしん」「おはなはん」とか。
NHKは視聴率が20%超えて喜んでいます。東北では28%もあったそうです。
昨日、ドラマで直子(ジュンコさん)が結婚して、お祝いのカーネーションの花が
いっぱい届きました。
ブラジルへいったら、今は4世の時代になっていますが、そこでは皆がNHKを
見ていて、ブラジルへ行っても「見てるよ」といわれました。
母は80歳で「私はこれからや」と言っていました。好奇心がいっぱいで、マイナーな
言葉使わない。しんどいとか、愚痴をいわない人。
腰が悪かったけど、88歳で日本舞踊をして、あの勢いは岸和田のダンジリです。
ダンジリの上で踊っている人は、上から下の引く人に指示しているんです。
あれは日本の文化、日本の社会もダンジリのように、しっかりして欲しい。
母は日記を毎日書いていました。忘れられない言葉は『向こう岸、見ているだけでは渡れない』
(※ジュンコさん、お話が時々 前後します)
私は喧嘩は強かったですね。周りに喧嘩相手がいっぱいいたから。
TVでは、姉の優子が美大を受験しましたが、実は美大に行きたかったのは私です。
TVの女優さんは美人ですが、ほんとのお婆ちゃんはあんなに綺麗じゃありません。
お婆ちゃんがいつも、「そうやなー ふんふん」と言って自分からは、何も言わないけど
いつも愚痴を聞いてくれました。母は忙しいから、「後で」と言って、話を聞いてくれま
せんでした。母が忙しい状態を知っているので仕方がないですが、ドラマを観て
お婆ちゃんは、よく話を聞いてくれたなと、気がつきました。あのテレビのままです。
装苑賞は(ドラマでは装麗賞)私の「山」でした。19歳で最年少の受賞は、今も
破られていません。「山」に登るにはどうしたらいいのか。私は上京して岸和田弁を
笑われて、岸和田弁がネックでした。恥ずかしかった。だから半年間だまりこんで、
黙々と絵を書き、頂点を目指しました。他の人は「装苑賞」を取ったらそこで止まって
しまい、そのままの人がいっぱいです。「装苑賞」は40年の歴史があり、
今は年に二回あるので80人くらい受賞してしているが、名前が残っている人は
ケンゾー、ヨウジヤマモト、あと寛斎くらい。後はどこかへ行ってしまった。
賞をとって安心していたらダメ、もっと大きな山を目指して、世界という山があった。
自分なりの各国の山を目指すのは面白い。外国にはマッサラの気持ちで行きます。
やった事がない事がやりたい。
母は晩年、脳梗塞になってしゃべれなくなりました。「与うるは受くるより幸いなり」と
「もらうより、あげたほうがええよ」と言っていました。歳をとっても、綺麗な大阪弁を
しゃべりたいと学校へ行っていました。
母の白寿の祝を、皆が忙しいので私一人でやろうと思いました。黒柳徹子さんと親交があり、
徹子さんや、三枝さん達は合唱団をやっています。私もユ二フォームを作った関係で
合唱団に入っています。母が合唱団に入りたいといったので、90歳のお祝いに舞台に椅子に
座って出ました。
母は人生を楽しんでやってきました。「私の人生は宝物だらけや」と言っていました。
80歳くらいのとき、朝ドラの「あぐり」(吉行和子さんのお母さんの物語)を見て
「私も出たい」と思ったので、NHKの集金の人にまで「TVに出たい」と頼んでいました。
私は結婚しているように見えないようですが、もう孫が三人もいます。
実は息子がロンドンで、できちゃった結婚をしたんです。孫自慢ですが、ドラマで
よく泣いて手に負えない赤ん坊が出てきましたが、実は自分の孫です。
孫の髪の毛をおかっぱに切って、TVのオーディションを受けたら、通ったんです。
TVには自分としては文句もあるんですが、もう撮り終えてしまったんです。
昨日、最終話の台本が届きました。直子をやっている女優さん、あの人は
プロレスラーなんですってね。会ってみたら、とっても可愛い人です。直子の衣装は
自分の物を送りました。そしたら、ほかの女優さんがファッショナブルだと、羨ましがっていました。
お祖父さんは、ほんとに怖かった。謡いの先生をしていました。うちのお爺ちゃんは
独特の人で、呉服屋だから反物をまたいだら 物差しで叩かれました。
映像を紹介します。
普天間の宜野湾で花火を見ました。私はオペラの衣装も色々やっています。
花火をオペラで表現したい。一昨年は、普天間だから、アメリカと日本(外国と日本)だから
蝶々夫人。去年はカルメンをやりました。
昨年は、日中友好40年。中国で大きなショーをやりました。今年は辰年で昇り龍、4月21日に
沖縄で花火をします。
(※10分ほどの映像の上映) 2010年のローマ国際映画祭での、ファッションショーの模様に、
花火やダンジリの映像を織り交ぜた、華やかな映像。音楽はトゥーランドット。
最後にジュンコさん自身が、クモの巣を(歌舞伎でよくあるクモの巣)盛大にまき散らしています。
(※まとめ)
今日が一番若いんです。私は年だからといわないで、前向きで若々しく、今日が一番
楽しいというビジョンを持って。私は朝7時半に「カーネーション」を観て、ジムに行って
走ります。何も忘れて空っぽで前のことしか考えない。前にむいてしか歩けない。
政治家の方に運動していますか?と聞いたら「選挙運動しています」との返事でしたよ。(笑)
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以上、お母様の綾子さん同様、常に前向きなジュンコさんでした。
ジュンコさん、もちろん関西弁ではなく標準語でした。作品やメークのせいで
どうしても派手で先鋭的なイメージがありますが、語り口は意外にとてもソフトな
方でした。先入観を持って、決めつけるのはいけませんね。
ドラマの裏話が聞けて楽しかったし、ジュンコさんのワールドワイドなご活躍を
知ることができ、参加して良かった!と思いました。
しかもコメントまで下さって、どうも有難うございま~す。嬉しい(^o^)丿
日記を書く気は全くなかったんですが、とにかくジュンコさんのデザインを
おちちゃんとこの「カーネーション部」の皆様に見ていただきたかったんです。
トッポのファンだったんですね。実は私も昔は、ジュリーの次ぎはトッポが好きでした。
もし、トッポも参加してタイガースが完全復活することになれば、是非ライブにも
参加してください。
これからはボチボチ日記を書きますので、どうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m