オレンジさんから教えていただきました。ヤフーニュース⇒『ROYAL STRAIGHT FLUSH』シリーズに見る、スーパースター・沢田研二の軌跡
大友克洋さんの漫画『気分はもう戦争』は、当時 兄が読んでいたので私も読みました。『ジョンが亡くなっても、俺たちには沢田研二がいた』の台詞は嬉しかったな(^-^)
いよいよ今日から、2020正月ライブが始まりますね。
70年代は、毎年大阪フェスで1月2日から始まりました。私は76年からお正月の大阪フェスに参加しています。
前にも貼ったことが有るかもしれないけど、76年のチケット。75年は受験で諦めましたが、今でも行きたかったと残念です。
W列なんて、ヒドイ席でしょう~ いっつも壁際の席だった。
いい席を取りたい人は、徹夜で並ぶのですが、田舎住まいの私は無理です。でも、都会に住んでいても私は徹夜で並ばない気がする、多分。
1975年は結婚しても人気は落ちませんでした。
『ついに実現した3日間公演』ということは、それまでは2日間(4回)だったのね。
当時のお正月ライブは、ジュリーの面白おかしい、紅白の報告を聴くのが楽しみでした(^-^) 遠慮なく言いたい事を喋りまくっていましたね。
よく覚えていないんですが、日劇と渋公は、
ナベプロ友の会に現金書留で申し込んでいました。
先着順と聞いていたので、郵便局の本局に朝8時に
行って送っていました。
そのせいか、いつもいいお席でした。
お正月は、フェスのあと日劇でしたね?
当時は、昼、夜、2回公演で数日間、満席!
凄かったですね~
紅白の裏話は、楽しかったです。
>『ナベプロ友の会に現金書留で申し込んでいました。先着順と聞いていたので、郵便局の本局に朝8時に行って、送っていました。』
そうなんです。私も同じく現金書留でした。のちに、近い郵便局から出せば前の席と知って、速達で出したら 前の席が届きました。しかし、気が付くのが遅すぎました。その後、ジュリーはナベプロをやめてしまいました。
今は、なかなか良い席は届きませんが、誰にも公平になって良かったと思いますよ。
当時の3000円だったチケット代は、3年もたつと
一気に4500円に値上がりしました~(^^ゞ
大変遅くなりましたが明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
福岡で楽しまれたようでよかったですね。
私のジュリーライブデビューも1976年の大阪フェスでした。
きっとSaoさんと何度も会場ですれ違っていたのでしょうね。
一度だけ、同級生と始発の電車に乗り大阪中央郵便局へ行ってチケット代を振り込みしたことがありましたが、せっかくの努力もむなしく一番前はゲットでなかったので、それ以降は始発電車はやめました(笑)
昔は3日や4日連続でしかも2回公演の日もあったりで本当にタフでしたね。
今思えばジュリー本人も「ようやってたな~!」って思うのでしょうね。
今回のツアーは28ヶ所とか…
年齢と身体のことを考えたらそのくらいの方がいいかなと思います。
コメントどうも有難うございます♪
本当に、あっという間に2020年になり、すぐにお正月ライブが始まりましたね。
私のジュリーのライブ初参加は、ロックンツアーが始った1974年からですが、お正月は76年が最初です。昔は、お正月はジュリーの大阪フェスのライブで毎年幕開けをしていました。
>『一度だけ、同級生と始発の電車に乗り大阪中央郵便局へ行ってチケット代を振り込みしたことがありました』
私も、ようやく大阪中央郵便局から速達で出せばいいんだ、と気が付いて振込に行きました。
1列は無理ですが、前の席が来て、私的には満足でした。これからは大阪中央郵便局で出す!と決めた途端に、ジュリーはナベプロを辞めて、チケットは今のように抽選になり、この手は使えなくなりました。残念でしたが、どんな地方に住んでいても公平で、これが良いと思います(^-^)
今年のツアーの予定はどこで開催でしょうか?早くインフォが見たいです。