前回のハイキングコースの終点、門前に出る手前に五社堂がある。そこに立派なスギがあったので写真に撮りました。左側に写っている社が五つ並んでいます。五社堂の説明は
「赤神神社五社堂 赤神神社の創立はきわめて古く、赤神は漢の武帝の飛来したところと伝えられ、貞観2年(860)、慈覚大師がここに日積寺水禅院を建て、赤神をその山神としたという。
一部省略
現在の社殿は、秋田藩主代四代佐竹義格の命により大久保小左衛門が普請奉行となり、宝永4年(1707)から7年(1710)にかけて建替えられ、江戸中期様式を示す建築である。
一部省略
この地は、平安時代から天台宗山岳仏教の修験道場として発展し、後に真言宗に改宗、藩主から多くの神田を寄進され、衆徒の存在も知られ、おおいに栄えていたが、明治になり神仏分離令により赤神神社として残る。」
なまはげの説明もあり、このスギがある理由も分かりました。
「昔、漢の武帝が白い鹿の引く飛車に乗り、五匹のこうもりを従えて男鹿にやってきた。こうもりは五匹の鬼に変わりよく働いたので、武帝は正月十五日の一日だけ休みを与えた。鬼たちは初めて村里へ出られるうれしさのあまり、畑を荒らし、家畜や娘たちをさらっていった。これに怒った村人は、武器を手に手に鬼退治に出かけたが、力の強い鬼たちに散々な目にあわされた。ますます乱暴になった鬼たちに困った村人は、鬼たちと”かけ”をすることにした。
『毎年ひとりずつ娘をさし出す代わりに、五社堂まで一夜のうちに千段の石段を造ること。これができなければ二度と村へは来るな』と。
鬼たちは日暮れを待って、石段を積み始めた。大きな石をかかえ、あれよあれよという間に、石段を積み上げていく。あわてた村人は、ものまね上手を使って鬼たちが九九九段まで積み上げたところで、
「コケコッコー」と一番鶏の鳴きまねをさせた。鬼たちは飛び上がって驚き、怒り、そばにあった千年杉を引き抜き、まっさかさまに大地に突き刺し山へ帰っていった。それからというもの、鬼たちが再び村へ下りてくることはなかった。五社堂はこの鬼たちをまつったものといわれ、これが『なまはげ』の起こりといわれている。」となっていました。
何で漢の武帝がこの話の中に登場してくるのだろうか、ただ鬼がやってきて悪さをした話でも十分なはずなのだが、武帝を登場させることにより真実味を増すためだろうか、あるいは、ここに漢から渡来した人がいたのだろうか。