俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

領土

2014-05-10 10:15:53 | Weblog
 最近の中国がやたら海洋進出に熱心なのは領土には人が付属することを思い知ったからではないだろうか。私は敢えて変な表現を選んだ。本来の主役は人であり土地ではない筈だ。人に土地が付属すると考えたほうが自然だろう。
 しかし中国にとって必要なのは領土であり領海だ。領土や領海に資源があれば活用し、資源が無ければ放置できる。ところがその土地に人が住んでいればそうは行かない。国として最低限の生活を保証する義務が生じる。少なくとも最低限のインフラ整備が必要になるだろう。
 人民は従順な羊とは限らない。牙を剥く狼でもあり得る。ウィグルやチベットなどでの抵抗運動に手を焼きながらも手放そうとしないのは資源があるからだ。中国共産党はたとえ住民を皆殺しにしてでも領土を守ろうとするだろう。
 その点、無人島は理想的な領土だ。邪魔になる住民がいない。だから尖閣諸島や西沙諸島や南沙諸島を侵略しようとする。無人島を領土に組み込めば領海も広がるので一石二鳥だ。
 13億の人民を養うために資源が必要なことは理解できる。しかし国際秩序を無視した拡張主義は前世紀の帝国主義と同質のものだ。中国は国内法で「9段線」を定めて南シナ海の殆んど全域を自国領としている。当たり前の話だが国内法によって他国の権利を奪うことはできない。これはかつて韓国の軍事独裁政権が李承晩ラインを引いて竹島を自国領としたのと同じ暴挙だ。まだ排他的経済水域の概念が広く共有されていなかった1952年に国際慣習を無視した韓国よりも遥かに悪質な侵略だ。日帝はかつて侵略戦争をした。しかし中国は今現在も侵略を続けている。歴史認識についてゴチャゴチャ言うよりも現在進行中の侵略をこそ慎むべきだろう。

良いと悪い

2014-05-10 09:45:27 | Weblog
 食品に関して、あれが良い・これが良いと昔はよくテレビで報じられていた。バナナが良い、ココアが良い、レタスが良いと報じては、スーパーでの売り上げが急増したものだった。ところが2007年の「あるある大事典Ⅱ」での納豆ダイエット捏造事件を機に、あれが良いという話は少なくなった。代わりに、あれが悪い・これが悪いという話が氾濫するようになった。
 商業的には○○が良いという話のほうが都合が良い。納豆が良いという話なら納豆メーカーからの資金援助が見込める。豆腐が良いでも同様だ。ところが○○が悪いと騒いでも支援を見込みにくい。農薬が悪いと騒いでも喜ぶのは有機栽培の農家だけだからテレビ局としてはメリットが少ない。ではなぜテレビでは懲りずに、あれも悪い・これも悪いと騒ぎ続けるのだろうか。
 善意に考えれば、悪いと言っていれば大きな間違いを犯さないからだ。食品や食品添加物に限らず、交通機関であれ遊具であれ、あるいは酸素でさえ有害性は必ずある。その有害性を針小棒大に表現しても決して間違いではない。リスク・ゼロはあり得ないからだ。一方、絶対安全と保証することは殆んど不可能だ。
 昔「買ってはいけない」という酷い本があった。安全基準の数千倍・数万倍を投与して障害を起こさせて「危険だ!」と騒ぎ立てていた。水でさえ一度に10ℓも飲めば水中毒を起こすことを知らないのだろうか。
 悪意で考えれば、いずれ槍玉に挙げるぞという脅しなのかも知れない。どんな企業であろうとも叩けば埃は出るものだ。先日のレストランの偽装表示騒動での「鮮魚」は明らかに言い掛かりだった。槍玉に挙げられたくなければスポンサーになれという無言の脅しだ。
 しかし最も有害な物を批判しないのは困ったことだ。市販されている商品の中で最も危険な物は薬だ。毎日、多くの人が薬害を蒙っているのにその有害性が報じられることは滅多に無い。カネボウの美白化粧品の有害性も多分早くから分かっていただろう。隠しようが無くなるほどに被害が広まるまで沈黙を守るようではマスコミの良心を疑う。どうやら鼻薬が効き過ぎているようだ。