俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

種と実

2014-05-20 10:26:11 | Weblog
 虫に花粉を運ばせるために花が蜜を持っているように、種ごと食べさせるために果実は実る。実を食べた動物が糞をして種を拡散させるからだ。だから果実は文字通り「餌」に当たる。しかし種が消化されてしまったら元も子も無い。消化されないために堅い外皮を持っている。種は動物の卵と同様、生命の源だから栄養価が高い。それだけに、堅い外皮を破ってでも食べようとする動物が現れたら一大事だ。それを防ぐために多くの種が毒素を持っている。種は堅い外皮と毒素という二重の防衛機構によって守られている。
 豆類は穀物と共に人類が最も好んで食べる種だが当然毒素を持っている。多くの豆は生で食べれば有害なので人間は加熱して毒素を分解してから食べる。2006年に「ぴーかんバディ!」という番組が生に近い白インゲン豆によるダイエット法を紹介したところそれを食べた多くの人が健康を損なった。加熱が不十分だったために毒素が分解されなかったからだ。野生種のアーモンドには青酸カリに類似したとんでもない毒素が含まれておりこれは加熱しても食べられない。
 穀物が無害なのはその栄養価の低さが原因だろう。米を食べる動物は小鳥と鼠と虫ぐらいだ。多くの草食動物からは見向きもされない。稲を狙うのは雀と虫だけだ。だから私が子供の頃は雀は「害鳥」だと教えられた。
 麦の原産種は小粒でありしかも堅い殻に覆われている。だから人間以外はこんな物を食べようとしない。
 穀物が農耕に適していたのは、他の動物が食べないということが最大の要因だろう。人類が農耕を始めた時点では周囲には多くの野生動物がおり、彼らと競合する作物であれば忽ち食い荒らされていただろう。だから人類は穀物と、生では毒がある豆類に頼らざるを得なかった。
 こう考えればいつまでも穀物と豆類に頼る必要が無いことに気付く。野生動物は激減したので食物競合を心配する必要性は乏しい。本来の食物であった果物に回帰しても良かろう。穀物はその保存性の高さもあって長らく人類の主要な食物だったが、決して栄養価の高い食物とは言えない。穀物偏重の食事では健康を損なう。

利権

2014-05-20 09:45:38 | Weblog
 民主主義は変な制度だ。博識な人も無知な人も、賢い人も愚かな人も、皆一人1票だ。こんな制度が成り立っているのは人が平等を支持するからだとは思えない。全く違った理由から民主主義が許容されているのだと思う。
 それは、利権を持つ賢者よりも利権の無い凡人のほうが公正な判断を期待できる、ということだ。利権の絡む大人よりも無関係な小学生のほうがまだマシだ、ということでもある。2010年にノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏は、かつて天安門事件の直前に「6.2ハンスト宣言」でこう語った。「我々が求めるのは絶対的権力を持った一人の天使より、むしろ相互にチェックする10人の悪魔だ。」絶対的権力者の存在は当事者である選手や監督が審判を兼ねる馬鹿げたゲームだ。
 三権分立は、人が偏るということを前提にしたシステムだ。無駄は少ないが危険の多い独裁を否定して、たとえ無駄が多くても一部の者の利権に基づく最低の社会を防ごうとする仕組みだ。
 利権が絡むと公正な判断は難しい。自分自身の利権だけではなく親類・縁者の利権もあるし、利権を握る人の周囲には有象無象の連中が集まってお零れに与かろうとする。
 中国と韓国の歴史では王妃の一族がしばしば問題を起こす。玉の輿に乗った美女の親や兄弟が利権を漁って社会を混乱させる。これは中国と韓国に特有な現象だろう。ヨーロッパでは他国の王族や自国の貴族から王妃を迎えることが多く、日本では近親婚が多い。元々王族や貴族だった人が王妃になっても逸脱することは少ないが、庶民が突然王妃の親族になれば社会を狂わせる。
 誰の小説か思い出せないが、貧しい娘を妻にした大金持ちが、妻の金遣いの荒さに驚いた。慎ましい生活をしていた妻がなぜ急変したのかを尋ねたところ「これまで知らなかった素晴らしい生活に目覚めただけ」と答えた。成り上がり者こそ恐ろしい。
 境遇が変われば人は豹変する。利権を持った人はそれを手放そうとはしない。利権とは無縁の圧倒的多数を占める庶民のほうが客観的な判断ができる。だから庶民の意向こそ望ましい。利権とは無縁の庶民の意思が尊重されるということだけが民主主義の長所だ。だからこそ私は衆愚政治に陥り易い民主主義を否定して、権利を剥奪された賢者による統治、つまりプラトンが説いた哲人政治を理想の政治制度だと考える。