俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

危険物

2014-05-12 10:12:06 | Weblog
 市販の薬は青酸カリよりも危険だ。青酸カリなら誰もが毒物と認識しているから厳重に管理される。ところが薬は毒物であることが忘れられている。用量を守っても副作用が起こり得るし、適正量の数倍を飲めば死に至ることもあるだろう。
 なぜこんな危険物が放置されているのだろうか。「痛くなったらすぐセデス」とか「効いたよね、早目のパブロン」といった服薬を煽るようなテレビCMが氾濫しているし、薬局だけではなくインターネットでも薬が買える時代だ。こんな治療どころか症状の緩和効果さえ無く、不快感を鈍感にさせるだけの薬に頼るべきではない。セデスはハデス(冥界の王)のようなものではないだろうか。薬は銃と同じくらい危険と認識すべきだろう。多くの薬には常習性があるだけではなく耐性を作るという大きな欠陥がある。例えば頭痛薬を飲み続けていればそれをやめられなくなりしかももっと量を増やすかより強力な薬に切り替える必要まで生じてしまう。当然、副作用も重大になる。
 薬の有効性を否定する気は無い。むしろ非常によく効くからこそ危険だと思う。サラリーマン時代、高熱のまま出勤して職場の診療所で貰った抗生物質を飲んだところ、数時間後に症状を全く感じなくなった。滅多に薬を飲まないから劇的に効いたのだろうが、効力に驚くと共に恐怖さえ感じた。ここまで見事に症状だけを抑え込む凄いレベルにまで対症療法技術が進んでいるのかと呆れた。
 症状が消えても治癒した訳ではない。体内には大量の病原体が残っている。こんな健康保菌者が感染を拡大させているのだろう。風邪やインフルエンザの症状を抑える程度なら許されようが、ペストやコレラなどの症状まで抑えてしまえば恐ろしいことになるだろう。
 殆んど報道されないが医原病や薬原病は極めて多い。ある長期療養者が投与された薬を飲まなかったところ主治医は「まれにみる驚異的な回復だ」と驚いたという実話もある。これは薬原病だったのだろう。
 こんな危険物を自らの意思で服用している人が残留農薬や食品添加物の危険性について騒いでいるのは滑稽でさえある。食品添加物などとは違って薬は人体に異常反応を起こさせることを目標にして作られた劇物であることを忘れてはならない。
 

農業振興

2014-05-12 09:36:05 | Weblog
 先進国では農業人口が減っている。それは農業が儲からないからではない。合理化が進むからだ。工業社会で農地を増やすことは難しい。農地面積が一定であっても、技術革新や機械化によってそれまでよりも少人数でも増産ができる。そうすると人員が余剰になる。余剰になった人が離農して工業や商業に従事すれば国力は高まる。先進国ではこうやって総ての産業が振興された。ところが日本だけはそうならなかった。兼業農家や退職後専業農家へと移行しただけだ。つまり家庭菜園付き一戸建て住宅が増えてこれが農家の6割を占めるようになったということだ。これでは農地の持ち腐れだ。限られた農地は有効に活用されるべきだろう。こんな事態を招いたのは農家に対する優遇策が手厚過ぎるからだ。相続税は格安であり、戸別所得補償やそれに類する優遇策があるのだから農家はその特権を手放そうとはしない。
 保護すべきなのは農業であって農家ではない。農業の発展に貢献しない零細農家に特権を与えているから名ばかり農家ばかりが増える。農家を支援するための政策が農業の劣化を招いている。
 米作りは非常に楽な農業らしい。殆んど放っておいても収穫できるからこそサラリーマンとの兼業や老人でも収益が得られる。金の成る木があるようなものだ。
 私は零細農家を淘汰せよと言いたい訳ではない。狭い日本の狭い農地を有効活用すべきだと言いたい。有効に活用されていない土地を、有効に活用できる事業者に転売あるいは賃貸すべきだと考える。農耕を放棄している土地にまで適用されている優遇税制を少し見直すだけで農地が集約化されて生産性が高まるだろう。
 農家の社会的使命は良質な農産物を適正価格で供給することだろう。その使命を放棄した名ばかり農家を保護する理由は全く無い。これは生活保護費の不正受給のようなものだ。世帯数では農家の6割を占めながら生産額では5%に過ぎない贋農家の離農を促さない限り、本物の農家による農業の振興はあり得ない。離農奨励策が必要なのではないだろうか。日本の農業を支えているのは少数精鋭の優良な農民であり彼らを支援する政策こそ農業振興のためには必要だろう。