俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

禁止

2014-11-06 10:25:53 | Weblog
 公園で事故が起こる度に遊具が撤去される。ブランコであれ滑り台であれ、不適切な使い方をすれば事故は起こるものだ。ところが事故が起これば遊具の欠陥の有無を問わず撤去される。これは利用者の安全のためではなく管理責任を逃れるためだろう。
 大阪に住んでいた頃、近所の公園で、ある日突然キャッチボールが禁止された。多分、事故があったのだろう。これくらいなら納得できる。しかし段々エスカレートして訳の分からない禁止が増えている。ネットで調べれば呆れるような禁止条項が沢山見つかる。漫才の練習、楽器、ダンス、スポーツ、飲食、大声、談笑、撮影、凧揚げ、ボール遊び、遊戯などだ。こんなことまで禁止する必要があるのだろうか。
 比較的理解し易いのは楽器とダンスだ。多分、大音量でのダンスを規制したいのだろう。しかしこんなルールでは盆踊りやギターの練習もできない。むしろ「大音量」とすべきではないだろうか。
 遊戯禁止は理解不可能だ。これでは公園は通過するためにしか使えない。ただの空き地であって公園とは言えない。
 飲食禁止も不可解だ。缶コーヒーを飲んだり、ベンチで弁当を食べるぐらいなら構わないだろう。多分、宴会や酒盛りを禁止したいのだろうが本末転倒ではないか。
 公共施設でも図書館なら閲覧数や利用者数などの評価尺度がある。だから公共サービスの向上という意識が働く。公園には事故数や苦情といったマイナスの尺度しか無い。だから禁止条項ばかりが増える。
 公園は市民の憩いの場だ。作ればそれで完了する訳ではなく有効に活用されることが大切だ。プラス思考ではなくマイナス思考だから禁止条項ばかりが増える。いっそのこと入場禁止・立入禁止にしてしまえと言いたくなる。そうすれば世界一安全な公園になれる。
 禁止しても罰則は無いのだから、ルールを守るのは行儀の良い人だけだ。そうでない人は無視する。禁止だらけにしても秩序は保たれず、善良な市民が不便を強いられるだけだ。明らかな迷惑行為であればこんな禁止条項など無くても規制できるのだから、何とも馬鹿げたルールだ。
 アメリカのグランドキャニオンでは毎年10人近くの人が死亡事故に会うそうだ。それでも立入禁止にならないのは自己責任という理念が根付いているからだろう。これが成熟社会であり、日本の公園管理は小学校の校則のような低レベルな発想だ。公務員の知的レベルの低下と責任逃れ体質の深化の現れだ。

適者生存(続・祖父母)

2014-11-06 09:50:16 | Weblog
 ダーウィンの進化論の根本理念は適者生存だ。これを強者生存と誤解して弱肉強食を正当化しようとする人もいるが、適者は必ずしも強者ではない。蜻蛉や蝶のようなか弱い虫も環境に適応しているからこそ子孫を残す。
 4日付けの「祖父母」は私にとって久し振りの自信作だったが余り評価して貰えなかったようだ。社会制度の改革の話に唐突に進化論を持ち込んだのでこじつけと思われたのかも知れない。私が伝えたかったことは以下のとおりだ。
 適者生存は不適者死滅と言い換えても良かろう。生存競争は厳しいので不適切な性質を持った個体は淘汰される。
 生物は自らが生き延びて子孫を残せば適者だ。子孫を残せなければその血筋は途絶えるから、これは結果から不適者だったと判定される。多くの子孫を残しその子孫が繁栄すれば、その個体は適者だったということになる。
 人口の限界は、マルサスが指摘したとおり、食料によって制約される。食料調達量を越える人口は養えない。如何にして食料を充分に得るかは動物にとっても人類にとっても最重要課題だ。食料が充分であれば増殖できるし足りなければ増殖できない。縄文時代の日本の人口が一定数を超えなかったのは狩猟採集による調達量の限界に達したからであり、弥生時代に農耕が広まることによって人口増が可能になった。
 繁栄の鍵を握る食料は貴重だ。食料は最も有効に使われねばならない。食料は食料増産と繁殖の担い手である若い世代のために最優先で使われるべきであって、どちらにも貢献しない老人のために浪費されるべきではない。従って人類の適正寿命は50歳ぐらいだろう。それを越えて生きることは穀潰しが増えることにしかならない。だから50歳ぐらいで死ぬ集団が栄え、長寿の集団は滅ぶ筈だ。しかしそうならなかった。これは老人には重要な役割があったからだ。老人は子や孫を支援することによって間接的に種の繁栄に貢献していた。
 動物界ではヘルパーと呼ばれる特殊な役割を務める個体がしばしば見受けられる。これは自分の子孫を残す代わりに親や兄弟などを支援して、その結果として近親者の遺伝子を栄えさせるという戦略だ。その最も極端な例は蜂類の社会であり、大半を占める働き蜂は自らは子孫を残さず、母に当たる女王蜂とその子(彼女らにとっては姉妹)のために献身的に働き続ける。老人の場合、現役を退いたあとはヘルパーとしての役割を務めたからこそ長寿が人類の特性として定着したのだろう。これを人類の長所として再評価して、老人パワーを生かせる社会にしなければ勿体ない。残念なことに、タテマエとは裏腹に、老人を邪魔者扱いをしているのが現状だ。
 こういったことを書きたかったのだが、言葉足らずだったと反省している。私は決して私自身も含まれる老人を社会のお荷物だから早く死なせろなどと言いたかった訳ではない。その逆に老人の経験と知恵を生かすべきだと考える。誤解を招いたのは総て私の文筆力の不足に拠る。