俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

いい夫婦

2014-11-23 10:02:59 | Weblog
 久し振りに会った異性の変貌ぶりに驚くことがある。頻繁に会っていれば余り気にならないが久し振りであるほど驚きは大きい。
 人は日々老化する。本人には分からない程度に徐々に老化する。本人や頻繁に顔を合わせている人にその変化は分かりにくいが、久し振りに会えばその変化に驚く。
 仮に毎日10gずつ体重が増える女性がいたとする。毎日顔を合わせていればその変化は感じられない。ところが1年振りに会った人であればいきなり3.65㎏太った彼女に出会って驚愕する。
 こんなジョークがある。紳士衣料品店の美人店員が退職を申し出た。店長がその訳を尋ねると彼女は「釣り銭を確認する人が増えた」と答えた。
 ヤボを承知で解説するが、以前であれば総ての客が彼女から目を離さなかったのに容色が衰えたから釣り銭を見る余裕を与えてしまったということだ。彼女は美人としての称賛を得られなくなったから勤労意欲を失った。
 昨日(22日)は「いい夫婦の日」だった。何がいい夫婦なのかはよくわからないが仲睦まじくあるために最も有効なのは時間を共有することだろう。時間を共有すればお互いのことがよく分かるし話題や価値観も共有できる。そればかりではなく頻繁に顔を合わせていればお互いの老化が気にならなくなる。少しずつ老化するから相手の変貌に気付かない。常に少し前の面影を思い出し続けているからお互いの姿は現実よりも若い。
 人は決して「ありのままに」見る訳ではない。必ず以前の印象に引き摺られる。若い頃であれば再会した時に美しく育ったことに驚くこともあろうが、最盛期を過ぎれば衰える一方だ。美しく老いることは至難の業だ。老いを目立たせないためにも夫婦は多くの時間を共有すべきだ。それが夫婦円満のための秘訣だ。

独学

2014-11-23 09:34:21 | Weblog
 退職後、只管独学に励んでいる。我流の独学では何の資格も得られないが最も自由に勉強できる。哲学科の学生だった頃、私は同級生と比べてかなり好き勝手な勉強をしていた。それでも心理学・文学・動物行動学ぐらいまでしかジャンルを広げていなかった。今では全く自由だ。医学・生物学・気象学などの理科系や歴史・教育などの人文系、あるいは最も苦手だった政治・法律などの社会学系についても勉強している。似非科学として敬遠していた経済学も行動経済学というジャンルを見つけたのでそれなりに楽しんでいる。授業とは違って本は質問に答えてはくれない。それでもネットを使えばある程度なら疑問も解消できる。
 人は学問を通じて自由になれる。誤った信条に縛られる人は自由ではない。例えばオウム真理教の信者は誤った教えを信じて無差別テロまで犯した。彼らは正しいと信じて行動したのだが、それが誤りであったことは今では彼らにも分かっているだろう。彼らの人生は全く無駄に費やされた。それどころかもし可能ならリセットしたい一生だった。マスコミに踊らされている多数派の人も彼らと大差は無い。マスコミによる操作に盲従している人は自分で考えている訳ではない。思考も生き方もアウトソーシングしている状態だ。これでは自分の人生ではない。このことを疑わない人と比べれば「誰かに操縦されている」と訴える統合失調症の患者のほうが余程正常とさえ思える。情けは人のためならずと言うが、学問も人のためではない、自分自身のためのものだ。
 あるアンケートでは66%の人が学生時代に戻りたいと答えたそうだ。しかし今考えれば学生は決して自由な境遇ではなかった。まずお金の心配をせねばならない。あるいは就職・結婚といったことも考えるから雑念が多くなり学問のために最適な環境とは言い難い。それと比べて退職後なら何の制約も無い。老化と寿命だけが将来に関する不安だ。伊能忠敬のように隠居後に学識を深めることは理に適っている。
 独学の一番の欠点は人との出会いが無いことだ。大学へ行って一番良かったことは知的レベルが同等以上の良き友人に出会えたことだ。今でも数人との付き合いが続いている。