俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

有給休暇

2014-11-28 10:11:40 | Weblog
 人員が充分であれば有給休暇は同僚に迷惑を掛けない。だから労働者の権利として堂々と使うべきだ。しかし精密機械の部品が欠けたらどうなるか?全体が止まってしまう。
 規模の大小を問わず、民間企業は最少の人員で最大の成果を求める。欠けても支障が生じないのはクビにしたいような役立たずだけだ。公務員であればたっぷりと余剰人員を抱えているから有給休暇を使い放題だろうが、今時の民間企業にそんな余裕は無い。だから必然的に有給休暇は消化されない。
 もし誰かが有給休暇を使っても支障の無い職場があればそこには余剰人員がいるということになる。サッカーで一人が退場になれば圧倒的に不利になるように、誰かが欠ければ他の10人の負担は1割ずつ増えることになる。そんな組織が当たり前でありそれだけシビアに人員は配置されている。
 有給休暇が取り易い恵まれた職場もある。それは競争が激しくない特殊な業界と公務員およびその天下り団体だろう。補助的役割しかしていない人も代替可能だから有給休暇を取り易い。だからこそ多くの女性社員は役職に就いて責任を負わされることを嫌う。あるアンケートでは、体調不良でも無理をして出社したことのある女性が96%を占めたそうだが、こんな立場よりも多少給料が少なくてもマイペースで働けるほうが多くの人にとっては好ましい。日本人の有給休暇の取得率は48.8%とのことだが、これらの人と病弱者を除けば限りなくゼロに近いのではないだろうか。
 博覧会を担当した時、開催期間中、私は風邪で半日だけ休んだ。県庁から出向していた人の中には108日間無休だった人もいた。忙しい職場とはそういうものなのだろう。
 私は決して仕事が好きな訳ではないが、30余年の在職期間中、退職直前以外ではたった1度しか有給休暇を使わなかった。やるべきことをやらずに休めるほど無責任ではなかった。有給休暇の権利は2年で失われるが、使えない人のために買取制度があるべきではないだろうか。これは決して休む権利の剥奪ではなく休めない人のための権利であり、労働に対する正当な報酬だ。休めないほど多忙な人が報われるべきだ。有給休暇の時効制はサービス残業以上に悪質な労働者搾取であると私は考える。

する

2014-11-28 09:38:21 | Weblog
 「生きるために生きる」は同語反復であり意味を持たない。しかし多くの人の実感はこれに近いのではないだろうか。「死にたくないから生きる」も同じようなものだ。
 ショーペンハウエルは「盲目的な生への意志」と考えたが生きている人は生きることを意志しない。虫でさえ摂食と繁殖を求めて生きる。働くために働く人がいないように他のことが目標とされる。仕事が生き甲斐である人はその報酬や達成感が目標であり、「シジフォスの神話」のような虚しい労働は目標たり得ない。
 私は「するために生きる」と考える。生きることは目標ではなく何かをするための「場」だ。シェークスピアのように「人生(世界)は舞台だ」(「お気に召すまま」より)と言っても良かろう。何かをするためには時間と空間が必要だ。時間と空間が無ければ何もできない。時間と空間を提供する「場」こそ生きるということに他ならない。生きる「場」が「する」ための場になる。生きているという資格が無ければ活動する権利を失う。
 死んだ人には時間も空間も無い。勿論、視覚も聴覚も無い。死んだ人は「無」であって生まれなかった人と同じだ。
 人は生きている間だけ何かができる。死んだら何もできない。生きていれば死ぬこともできるが、死んだ人は再び死ぬこともできない。本当に何もできない状態になる。死ねば何も無く何もできない。何かをするための必要条件が「生きている」ということだ。
 生きて何をするべきかという基準は無い。各自が勝手に選べば良い。但し1つだけ気を付けるべきことがある。それは、騙されない、ということだ。キリスト教やイスラム教の教えを信じて自分を制約することは全く馬鹿馬鹿しい。これはオウム真理教に騙されることと大差は無い。もう1つの敵はマスコミだ。マスコミは自分達にとって都合の良い嘘に凝り固まっている。彼らの嘘に騙された人が多数者を占める。多数者とは良識(bon sens)を備えている人々ではなく多くは単なるマスコミの代弁者だ。嘘から解放されることが自分を生きるための第一歩になる。
 私は他人のために生きることを勧めようとは思わない。個人は巨大な有機物の一部かも知れないがその有機物には目標が無い。無意味な有機物の一部であるよりは、やりたいことをやったほうが良かろう。しかし仮に、他人を幸福にすることが心底好きな人がいれば、私は決してその人を咎めようとは思わない。やりたいことをやれば良い。