俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ホステス

2014-11-17 10:32:14 | Weblog
 銀座のクラブでアルバイトをしていたという理由で大学生が日本テレビのアナウンサーの内定を取り消された。何たる職業差別か!マスコミは何様のつもりなのだろうか。ホステスが女給だから悪いのなら芸能人などだ。芸能人ならチヤホヤするのにホステスなら賤しい職業と考える感覚が理解できない。ホステスの一部が売春紛いのことをしているのは事実だろうが、芸能人による「枕営業」も公然の秘密だ。差別したいのなら公平に差別すべきだろう。
 ホステスを蔑視する人は多分、碌でもない店しか知らないのだろう。スケベ話でしか盛り上がれないような低レベルのホステスしか知らないからそれと同一視して蔑視するのだろう。一流店のホステスは才色兼備の才媛にしか勤まらないことを知らないからこんな偏見を持つ。
 水商売だけではなく風俗店も近頃では凄まじくレベルが上がっているらしい。昔のように股を拡げれば稼げるような低レベルの仕事ではなく、知性や気配りなどが要求される。風俗店で売る商品は自分自身だけだ。だからこそ単に容姿だけではなく知性も含めた全人的魅力が求められている。これは一方では困ったことでもある。何の取り得も無い女性のためのセーフティネットが無くなったということだ。
 私自身ホステスと付き合ったことがある。短大卒業後しばらくOLをしてからホステスとして働いていた。美人であるだけではなく話術も巧みだったし多芸多才だった。私が他人に自慢できることはカラオケと水泳ぐらいしか無いが、悔しいことにどちらも彼女には負けていた。今では女医だ。
 風俗店でアルバイトをしていた女医も知っている。彼女は学生時代に学費を稼ぐために働いていたそうだ。私立大学の医学部の授業料は高い。これを稼ぐためには長時間労働が必要になり学業が疎かになりかねない。風俗店なら他のアルバイトと比べて時間給が際立って高いし、勤務時間も自由に選べるので、仕事と学業を両立することできたとのことだ。
 たまたま私は優秀な元ホステスも元風俗嬢も知っているので、こういう職業に就く人を蔑視する人の人格を疑う。多分彼らは賤しい欲望しか持っていないのだろう。賤しい目でしか見ないから相手が賤しく見える。ニーチェ曰く「豚の目で見れば一切が豚になる。」(「ツァラトゥストラ『新旧の表』」より)

デマ

2014-11-17 09:50:01 | Weblog
 未来について考えられるのは人類だけだ。動物には過去と現在しか無い。原始的な動物であれば過去さえ無く、本能に基づいて現在に対して反応するだけだ。記憶という機能を持っていなければ経験によって「学習」することはできない。学習できるのは記憶力が備わった高等動物だけだ。
 環境が安定していれば本能だけで生きられる。眼前の出来事に、予め備わった本能で対応すれば、適者は生存し不適者は淘汰される。こうして環境に適応できた原始的動物が今でも圧倒的多数、生存している。
 学習できる動物であればもっと生存の可能性が高まる。環境が変化しても試行錯誤を経て適応行動が選択される。
 人類のみが経験に基づいて未来を予測しそれに基づいた行動を選択できる。眼前のことに振り回される人は原始動物の知的レベルであり、過去に囚われて未来志向ができない人は記憶力を持つ動物のレベルだ。脳は多重構造を持っている。
 文明社会であれば情報を共有できる。身近な人だけではなく地球の裏側の数千年昔の人の知恵まで借りることができる。しかし残念ながら時間的制約があるので得られる情報量には限界がある。だから良い情報を得るために真っ先にすべきことはくだらない情報を遮断することだろう。
 娯楽と称してくだらない情報が溢れ返っている。困ったことには事実よりも嘘のほうが面白い。事実は大半が平凡な話であり何の面白味も無いが、嘘であれば読者・視聴者を喜ばせる要素に満ちている。フィクションは人の関心を引くように脚色できるので必然的に事実よりも面白い。 
 朝日新聞による従軍慰安婦の強制連行という嘘はその典型例だ。ショッキングな内容だけに強烈な印象を与えた。私もかなり長い間、騙されていた。しかし知識を統合すればこのフィクションの矛盾に気付く。当時の朝鮮は日本の一部であり公娼制を認めていた。プロがいるのに重要な任務をアマチュアに任せることなどあり得ない。売春にも高度な技術が必要だということを理解しようとしない人はこんな矛盾にさえ気付かない。これは全日本の代表チームに高校生を使うようなものだ。絶対におかしいと思っていたら、案の定、今年になってようやく嘘であることを認めた。
 未来を考えることができるのは人間だけだが、嘘をつくのも人間だけ、それも文明圏の人間だけだろう。昔の西部劇では「インディアン、嘘つかない」という言葉がしばしば使われていたがこれは「白人は無いことを言うが」の続きだったらしい。
 フィクションはノンフィクションより面白い。フィクションであれば電車に乗っても食事をしても必ず何かが起こる。しかし現実であれば殆んどの場合、何も起こらない。日常は平凡だがデマや嘘は波瀾万丈で面白い。上手い話には気を付けろと言うが、面白い話であればこそ疑う必要がある。これは現代に限った話ではない。徒然草にも「世に語り伝うること、まことはあいなきにや、多くは皆そらごとなり」(第73段)と書かれている。昔も今と同様、デマやゴシップが持て囃されていたようだ。