時々とんでもない遺言状のために親族が仲違いすることがあるそうだ。そんな場合、親族で話し合って別の結論を出しても良いのではないだろうか。遺言を遺した人は既にこの世にはいない。この世のことに関してはあの世の人よりもこの世の人が優先されるべきだろう。
これは遺言ではないがこの言葉を覚えている人は少なくなかろう。「死んだら(ゴッホの「ガジェ博士の肖像」を)棺桶に入れてもらうつもりだ。」という発言があった。大昭和製紙の齊藤了英相談役の発言だ。世界中から非難されたのでこんな蛮行は行われなかったが、もしこんな類いの遺言であれば無視すべきだろう。それどころか私なら、香典の代わりに小切手か手形を棺桶に入れたいと思っている。
認知症には様々な症状がある。記憶力の衰えだけではなく判断力が歪むことも少なくない。嫁を泥棒扱いする姑は少なからず妄想に冒されており、そんな人の遺言状であれば不公平極まりないものになるだろう。そんな遺志を尊重すべきとは思えない。
心優しき日本人は故人の遺志を尊重しようとする。最期の思いを叶えたいと考える。しかし故人とはもうこの世にはいない人だ。化けて出ることもできないのだから故人の遺志に振り回されて不幸になる必要は無かろう。シェークスピアの「リア王」のように晩節を汚す老人は決して少なくない。怒りで我を忘れて本意とは異なる遺言状を書いてしまうこともあり得る。最早意思を確認できない死んだ人よりも今生きている人のほうが大切だ。相続が「争族」に繋がることもあるらしいが、死んだ人と心中する必要はあるまい。死んだ人には視覚も聴覚も無いのだから、草場の蔭から見守ることもできない。
これは遺言ではないがこの言葉を覚えている人は少なくなかろう。「死んだら(ゴッホの「ガジェ博士の肖像」を)棺桶に入れてもらうつもりだ。」という発言があった。大昭和製紙の齊藤了英相談役の発言だ。世界中から非難されたのでこんな蛮行は行われなかったが、もしこんな類いの遺言であれば無視すべきだろう。それどころか私なら、香典の代わりに小切手か手形を棺桶に入れたいと思っている。
認知症には様々な症状がある。記憶力の衰えだけではなく判断力が歪むことも少なくない。嫁を泥棒扱いする姑は少なからず妄想に冒されており、そんな人の遺言状であれば不公平極まりないものになるだろう。そんな遺志を尊重すべきとは思えない。
心優しき日本人は故人の遺志を尊重しようとする。最期の思いを叶えたいと考える。しかし故人とはもうこの世にはいない人だ。化けて出ることもできないのだから故人の遺志に振り回されて不幸になる必要は無かろう。シェークスピアの「リア王」のように晩節を汚す老人は決して少なくない。怒りで我を忘れて本意とは異なる遺言状を書いてしまうこともあり得る。最早意思を確認できない死んだ人よりも今生きている人のほうが大切だ。相続が「争族」に繋がることもあるらしいが、死んだ人と心中する必要はあるまい。死んだ人には視覚も聴覚も無いのだから、草場の蔭から見守ることもできない。