理想の治安はどうあるべきだろうか。犯罪の全く無い社会だろう。犯罪が無ければ警察も要らない。窃盗も無いのだから鍵もロッカーも要らない。
理想の労働はどうあるべきか。自主的に、他人に役立つために働く。いつ・どこで・どんな仕事をするかは各人の裁量に任せられる。
これらは理想とは言えない。妄想だ。狂人が描く理想郷だ。こんな馬鹿げた社会を実現しようとしないのは誰もが現実を知っているからだ。現実離れした社会を想定しても無意味だ。私は、理想は現実的であるべきだと確信している。
平和のためには戦いを阻止せねばならない。武器があるから戦う。武装を放棄して世界中の人々と仲良くすれば良い。
こんな考えも妄想だ。現実を全く無視する人だけがこんな妄想を理想として掲げる。
理想を持つことを否定する気はないし、現実を無条件に肯定しようとも思わない。常に改善の余地がある。しかし改善でさえ大変であることを理解する必要がある。改善の努力を怠る人が一足飛びに理想へと飛躍できるという妄想を持つ。
沖縄にとっては基地の無い島にすることが理想だろう。しかしそれを実現するためのハードルは余りにも高く険しい。最低限必要なことは日米安保条約と日米地位協定の改訂だ。これをしなければ一歩たりとも前へ進めない。この問題を回避する限り、沖縄から米軍基地は無くならない。根本的問題を無視する限りそれは理想ではなく妄想に過ぎない。妄想に取り付かれているから「最低でも県外」という空虚な主張に糠喜びさせられる。
スポーツをすれば分かることだが、ほんの少しレベルアップするためにも大変な努力が必要だ。努力を怠る人は「やればできるがやりたくない」という欺瞞を使って自己を正当化する。彼らは100mを10秒で走れるとさえ勝手に思い込んでいる。
大風呂敷を拡げれば自分を誤魔化せる。ノーベル文学賞を狙うという妄想を持つ人は芥川賞などの賞をちっぽけなものと否定する。
究極の平和を唱えれば中途半端な平和など軽蔑できる。軍事力のバランスに基づく平和を偽りの平和と一蹴する。彼らは平和教の狂信者だ。「戦争反対」と唱えていれば平和が実現すると信じている。「犯罪反対」と叫んでも何の足しにもならないように「戦争反対」も空虚な理念だ。現実性も具体性も欠いている。
「理想主義者」の本音は「今のまま」だ。達成不可能な理想を掲げることによって、改善しようとして必死で努力している人々をあざ笑う。彼らは現状維持を正当化することだけを目的にして空虚な理想を掲げる。
理想の労働はどうあるべきか。自主的に、他人に役立つために働く。いつ・どこで・どんな仕事をするかは各人の裁量に任せられる。
これらは理想とは言えない。妄想だ。狂人が描く理想郷だ。こんな馬鹿げた社会を実現しようとしないのは誰もが現実を知っているからだ。現実離れした社会を想定しても無意味だ。私は、理想は現実的であるべきだと確信している。
平和のためには戦いを阻止せねばならない。武器があるから戦う。武装を放棄して世界中の人々と仲良くすれば良い。
こんな考えも妄想だ。現実を全く無視する人だけがこんな妄想を理想として掲げる。
理想を持つことを否定する気はないし、現実を無条件に肯定しようとも思わない。常に改善の余地がある。しかし改善でさえ大変であることを理解する必要がある。改善の努力を怠る人が一足飛びに理想へと飛躍できるという妄想を持つ。
沖縄にとっては基地の無い島にすることが理想だろう。しかしそれを実現するためのハードルは余りにも高く険しい。最低限必要なことは日米安保条約と日米地位協定の改訂だ。これをしなければ一歩たりとも前へ進めない。この問題を回避する限り、沖縄から米軍基地は無くならない。根本的問題を無視する限りそれは理想ではなく妄想に過ぎない。妄想に取り付かれているから「最低でも県外」という空虚な主張に糠喜びさせられる。
スポーツをすれば分かることだが、ほんの少しレベルアップするためにも大変な努力が必要だ。努力を怠る人は「やればできるがやりたくない」という欺瞞を使って自己を正当化する。彼らは100mを10秒で走れるとさえ勝手に思い込んでいる。
大風呂敷を拡げれば自分を誤魔化せる。ノーベル文学賞を狙うという妄想を持つ人は芥川賞などの賞をちっぽけなものと否定する。
究極の平和を唱えれば中途半端な平和など軽蔑できる。軍事力のバランスに基づく平和を偽りの平和と一蹴する。彼らは平和教の狂信者だ。「戦争反対」と唱えていれば平和が実現すると信じている。「犯罪反対」と叫んでも何の足しにもならないように「戦争反対」も空虚な理念だ。現実性も具体性も欠いている。
「理想主義者」の本音は「今のまま」だ。達成不可能な理想を掲げることによって、改善しようとして必死で努力している人々をあざ笑う。彼らは現状維持を正当化することだけを目的にして空虚な理想を掲げる。