俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

理想

2015-09-07 10:31:09 | Weblog
 理想の治安はどうあるべきだろうか。犯罪の全く無い社会だろう。犯罪が無ければ警察も要らない。窃盗も無いのだから鍵もロッカーも要らない。
 理想の労働はどうあるべきか。自主的に、他人に役立つために働く。いつ・どこで・どんな仕事をするかは各人の裁量に任せられる。
 これらは理想とは言えない。妄想だ。狂人が描く理想郷だ。こんな馬鹿げた社会を実現しようとしないのは誰もが現実を知っているからだ。現実離れした社会を想定しても無意味だ。私は、理想は現実的であるべきだと確信している。
 平和のためには戦いを阻止せねばならない。武器があるから戦う。武装を放棄して世界中の人々と仲良くすれば良い。
 こんな考えも妄想だ。現実を全く無視する人だけがこんな妄想を理想として掲げる。
 理想を持つことを否定する気はないし、現実を無条件に肯定しようとも思わない。常に改善の余地がある。しかし改善でさえ大変であることを理解する必要がある。改善の努力を怠る人が一足飛びに理想へと飛躍できるという妄想を持つ。
 沖縄にとっては基地の無い島にすることが理想だろう。しかしそれを実現するためのハードルは余りにも高く険しい。最低限必要なことは日米安保条約と日米地位協定の改訂だ。これをしなければ一歩たりとも前へ進めない。この問題を回避する限り、沖縄から米軍基地は無くならない。根本的問題を無視する限りそれは理想ではなく妄想に過ぎない。妄想に取り付かれているから「最低でも県外」という空虚な主張に糠喜びさせられる。
 スポーツをすれば分かることだが、ほんの少しレベルアップするためにも大変な努力が必要だ。努力を怠る人は「やればできるがやりたくない」という欺瞞を使って自己を正当化する。彼らは100mを10秒で走れるとさえ勝手に思い込んでいる。
 大風呂敷を拡げれば自分を誤魔化せる。ノーベル文学賞を狙うという妄想を持つ人は芥川賞などの賞をちっぽけなものと否定する。
 究極の平和を唱えれば中途半端な平和など軽蔑できる。軍事力のバランスに基づく平和を偽りの平和と一蹴する。彼らは平和教の狂信者だ。「戦争反対」と唱えていれば平和が実現すると信じている。「犯罪反対」と叫んでも何の足しにもならないように「戦争反対」も空虚な理念だ。現実性も具体性も欠いている。
 「理想主義者」の本音は「今のまま」だ。達成不可能な理想を掲げることによって、改善しようとして必死で努力している人々をあざ笑う。彼らは現状維持を正当化することだけを目的にして空虚な理想を掲げる。

数値

2015-09-07 09:46:31 | Weblog
 長距離走の選手など持久力の高い人の大半は脈拍数が少ないそうだ。だからと言って、薬によって脈拍数を減らしても持久力は高まらない。鍛えられた心臓が力強く鼓動するからゆっくりとした脈拍でも充分な血液が全身に回るのだろう。少ない脈拍数は強い心臓によって成し遂げられた結果であって、薬によって脈拍数を減らしても心臓が強くなる訳ではない。
 動物の体は非常に上手く作られている。丈夫な心臓はゆっくりと力強く動き、力の弱い心臓は脈拍数を増やすことのよって最適量の血液を全身に巡らせる。
 これと同じことが生活習慣病の対症療法についても言える。高血圧にせよ高血糖にせよ、臓器に何らかの不具合が起こっているから高い数値になっている。原因を放置したまま結果だけを操作することによって体調を改善できるとは考えられない。それは、薬によって脈拍数を抑えても心臓が丈夫にならないのと同じことだ。もし弱い心臓のまま脈拍数を減らしてしまえば血の巡りが悪くなり様々な障害の原因になるだろう。
 実は日本人の高血圧症の大半が「本態性高血圧症」だ。この「本態性」という言葉がとんだ食わせ物だ。広辞苑に拠れば「原因不明の症状または疾患」とされている。副業として小説を書く医師は少なくないけれども、言葉の魔術で患者を煙に巻くことは医師の常套手段だ。この病名を日常語に翻訳すれば「原因不明の高血圧症」ということになる。「本態性」という非日常的な言葉を使って患者を欺いているに過ぎない。原因不明だからこそ治療はできず薬によって検査数値の上昇を抑えているだけだ。
 医師の大半は受験秀才崩れだ。受験秀才には困った性癖がある。試験に出ない勉強を無駄と考えることだ。歴史であれば教科書だけを丸暗記する。事件の背景を知れば理解が深まるのにそれを無駄として切り捨てる。必要最小限のことしかしないことが効率の良い勉強法だと信じそれを実践することによって受験競争の勝利者となった。彼らにとっては無駄を削ることこそ成功のためのテクニックだ。
 同様に、原因不明の本態性高血圧症の原因を調べることを無駄と信じる。血圧が高ければ薬で抑えれば済むことだと考える。検査数値として客観化されることに対する処置が有効な医療であり、原因を探ろうとすることは無駄なことと信じ込んでいる。こんな医師に感化された患者は数値だけしか見なくなる。体調が良くなっているかどうかではなく検査数値に一喜一憂する。事実よりも検査数値のほうが重視される狂った世界だ。医療は受験勉強ではないのだから検査数値よりも症状を重視すべきだろう。こうして医原病患者が大量生産される。