私が大学生の頃、誰もが反体制派だった。反体制のほうが進歩的であり格好良いと無邪気に信じていた。ところが反体制派は内部分裂を繰り返した。まず代々木系と反代々木系、つまり日共系と非日共系に分かれ、新左翼の側では「革命的共産主義者同盟(通称『革共同』)」が「革マル派」と「中核派」に分かれて凄惨な内ゲバを繰り返した。これが後の「連合赤軍」事件と共に、学生を政治活動から離反させる大きな要因となった。
「反○○」は易しい。完璧な制度などあり得ないのだから、欠点を針小棒大に騒ぎ立てるだけで簡単に否定できる。「反○○」は小学生程度の知的レベルでもそれなりに主張できる。難しいのは何を肯定するか、だ。「反○○」で集まっても建設的な案が欠けていれば烏合の衆に過ぎず、結局内部分裂を繰り返すことになる。
私は子供の頃から多数決という仕組みに大きな不満を持っている。これだけは何とかして克服したいと思うのだが、「未来の人も含めた多数決」以外にこれといった代案も無く、これを支持してくれる人も殆んど皆無だ。だから取り敢えず多数決に従わざるを得ない。
それだけに多数決を支持する立場に立つべき政治家が多数決を否定する行動を取ることを容認できない。「強行採決」という言葉は日本にしか無いらしく外国人はこの言葉を理解できないそうだ。採決とは民主的な手法であり採決を否定することこそ反民主的と考えるのだろう。実際の話、多数決を否定すれば民主主義は機能しなくなる。
「憲法違反の安保関連法案は何としても阻止する」と一部の政治家は主張する。しかしこれは越権行為だ。憲法違反かどうかを決める権限は政党や政治家には無く、司法が握る重要な権限だ。勝手に違憲と決め付けて審議や採決の妨害をすることは、容疑者に対するリンチのようなものであって許容できない。暴力やセクハラ行為を誘導するような姑息な手段など使わずに紳士的に粛々と採決を終えたほうが、自民党のの悪辣さを浮き彫りにできただろう。そうすればその後の参院選や法廷闘争においても国民の賛同を集められただろう。法案の是非はともかく、与党の議会運営は概ね民主主義のルールを尊重して謙虚であり、野党の形振り構わずいじめや子供っぽい嫌がらせのような採決妨害のほうが遥かに見苦しかった。「どっちもどっち」と言われるような闘い方は下策だろう。
採決の否定は民主主義の否定だ。一部の学者が違憲として訴訟を起こす準備を始めているようだが、これは政治家が中心となってやるべきことだろう。足尾鉱毒事件における田中正造氏のように法廷闘争を通じて歴史に名を残した政治家もいる。民主主義の国に民主主義を否定する政治家は要らない。
「反○○」は易しい。完璧な制度などあり得ないのだから、欠点を針小棒大に騒ぎ立てるだけで簡単に否定できる。「反○○」は小学生程度の知的レベルでもそれなりに主張できる。難しいのは何を肯定するか、だ。「反○○」で集まっても建設的な案が欠けていれば烏合の衆に過ぎず、結局内部分裂を繰り返すことになる。
私は子供の頃から多数決という仕組みに大きな不満を持っている。これだけは何とかして克服したいと思うのだが、「未来の人も含めた多数決」以外にこれといった代案も無く、これを支持してくれる人も殆んど皆無だ。だから取り敢えず多数決に従わざるを得ない。
それだけに多数決を支持する立場に立つべき政治家が多数決を否定する行動を取ることを容認できない。「強行採決」という言葉は日本にしか無いらしく外国人はこの言葉を理解できないそうだ。採決とは民主的な手法であり採決を否定することこそ反民主的と考えるのだろう。実際の話、多数決を否定すれば民主主義は機能しなくなる。
「憲法違反の安保関連法案は何としても阻止する」と一部の政治家は主張する。しかしこれは越権行為だ。憲法違反かどうかを決める権限は政党や政治家には無く、司法が握る重要な権限だ。勝手に違憲と決め付けて審議や採決の妨害をすることは、容疑者に対するリンチのようなものであって許容できない。暴力やセクハラ行為を誘導するような姑息な手段など使わずに紳士的に粛々と採決を終えたほうが、自民党のの悪辣さを浮き彫りにできただろう。そうすればその後の参院選や法廷闘争においても国民の賛同を集められただろう。法案の是非はともかく、与党の議会運営は概ね民主主義のルールを尊重して謙虚であり、野党の形振り構わずいじめや子供っぽい嫌がらせのような採決妨害のほうが遥かに見苦しかった。「どっちもどっち」と言われるような闘い方は下策だろう。
採決の否定は民主主義の否定だ。一部の学者が違憲として訴訟を起こす準備を始めているようだが、これは政治家が中心となってやるべきことだろう。足尾鉱毒事件における田中正造氏のように法廷闘争を通じて歴史に名を残した政治家もいる。民主主義の国に民主主義を否定する政治家は要らない。