国会議事堂が「採決堂」になっていることは嘆かわしいが、採決さえできないのであれば国会そのものの存在価値さえ無くなるのではないだろうか。
安保関連法案は多分違憲だろう。しかし採決さえさせないということは憲法以前の問題であり、民主主義の根幹に対する造反だ。どうせ可決されることが分かっているのだから愚かなパフォーマンスなどに終始せずさっさと可決させて法廷闘争に切り替えたらどうなのだろうか。司法には法案の審査権は無く、法として成立して初めて違憲立法審査権を行使できる。力尽くで阻止するような野蛮な方法ではなく、憲法に基づいて合法的に廃案にすべきだと私は考える。
司法が違憲と判断するとは限らないから力尽くで阻止しなければならない、という理屈は通らない。法の番人は司法であり、与党であれ野党であれ立法府は司法判断に従う義務がある。司法の権威を無視して自分達の主張を正当化することなどできない。それは驕り以外の何物でもなかろう。
多数決は不完全なシステムだ。しかし幾ら不完全で不合理な仕組みであろうと、代替案が無い以上これに従わざるを得ない。選挙という制度があってこれで選ばれた議員だけが議決権を持つ。これを否定することは選挙制度の否定であり民主主義の否定でもある。彼らはデモ隊同士で殴り合って決めろとでも言いたいのだろうか。
その点、橋下市長は潔かった。「いやぁ~、負けちゃいました」とは言わなかったものの、政治生命を掛けた大勝負で惜敗しても一言も文句を言わなかった。それどころか自らの主張を否定した民主主義を絶賛した。
日本の政治家は民主主義とは何であるかを1から学び直すべきではないだろうか。維新の党の議員も含めて、採決阻止に血眼になっている野党の議員全員に、橋下市長の爪の垢を煎じて飲ませたいものだ。
安保関連法案は多分違憲だろう。しかし採決さえさせないということは憲法以前の問題であり、民主主義の根幹に対する造反だ。どうせ可決されることが分かっているのだから愚かなパフォーマンスなどに終始せずさっさと可決させて法廷闘争に切り替えたらどうなのだろうか。司法には法案の審査権は無く、法として成立して初めて違憲立法審査権を行使できる。力尽くで阻止するような野蛮な方法ではなく、憲法に基づいて合法的に廃案にすべきだと私は考える。
司法が違憲と判断するとは限らないから力尽くで阻止しなければならない、という理屈は通らない。法の番人は司法であり、与党であれ野党であれ立法府は司法判断に従う義務がある。司法の権威を無視して自分達の主張を正当化することなどできない。それは驕り以外の何物でもなかろう。
多数決は不完全なシステムだ。しかし幾ら不完全で不合理な仕組みであろうと、代替案が無い以上これに従わざるを得ない。選挙という制度があってこれで選ばれた議員だけが議決権を持つ。これを否定することは選挙制度の否定であり民主主義の否定でもある。彼らはデモ隊同士で殴り合って決めろとでも言いたいのだろうか。
その点、橋下市長は潔かった。「いやぁ~、負けちゃいました」とは言わなかったものの、政治生命を掛けた大勝負で惜敗しても一言も文句を言わなかった。それどころか自らの主張を否定した民主主義を絶賛した。
日本の政治家は民主主義とは何であるかを1から学び直すべきではないだろうか。維新の党の議員も含めて、採決阻止に血眼になっている野党の議員全員に、橋下市長の爪の垢を煎じて飲ませたいものだ。