俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ゼロ戦

2015-09-26 10:26:26 | Weblog
 ゼロ戦は人命を軽視した欠陥機だと長い間信じていた。神風特攻隊のような酷い戦法を使った日本軍だから、人命よりも戦闘力を重視しても不思議ではない。しかしこれはアメリカによる悪意あるプロパガンダによって洗脳されていたのではないかと最近になって考えるようになった。
 ゼロ戦の長所は当時としては画期的な機動力だ。小回りが利くから敵機は不利な位置に追い込まれた。短所は防御力の脆弱さだ。装甲が貧弱だったために被弾には弱かった。このことから機動力のために安全性を犠牲にしたと戦後になってから非難された。
 これは欠陥だろうか。1つの設計思想ではないだろうか。画期的な新素材でも開発されない限り、装甲を厚くすれば機体が重くなって速力も機動力も劣化する。戦闘力と防御力は相反することになる。厚い装甲以外に安全性を高める方法は無いだろうか。徹底的に機動力を高めれば被弾しにくくなるから安全性が高まる。
 戦車は頑丈だが重くて遅い。ゆっくりと攻める時には地上最強の兵器だがスピードに欠ける。その弱点を補うのが装甲車だ。戦車ほど頑丈ではないし武器も貧弱だがそれなりに戦闘力が備わっており使い勝手が良い。ゼロ戦は装甲車であり、米軍機は戦車だったのではないだろうか。戦車と装甲車とどちらが優れているかを比較することが無意味であるように、ゼロ戦と米軍機の比較も余り意味が無かろう。これは設計思想の違いだ。
 レース用の自動車も自転車も徹底的に軽量化を図る。軽くすることによって速力も機動力も高まるからだ。レースにおいてさえ軽量化が重視されるのだから、戦闘機が軽量化を図るのは当然のことだろう。
 野球の捕手は重装備だが打者はヘルメット以外は最小限のプロテクターしか装着しない。これは安全性を軽視しているからではなく機動力を重視するからだ。
 新幹線は正面衝突に耐えられるほど頑丈には作られていない。これも安全性の軽視ではない。衝突に耐えられるほど頑丈に作るよりも衝突しない仕組みを作るほうが利巧だろう。ATSやCTCなどの安全装置を備えることによって今のところ新幹線の衝突事故は起こっていない。
 実は装甲を厚くしたゼロ戦も作られたそうだ。しかし性能が著しく劣ることからパイロットに嫌われたらしい。分厚い鎧兜で身を守れば歩兵の戦闘力は却って低下する。亀のように丈夫な甲羅で身を守る動物は稀であり大半の動物は俊敏な動きによって身を守る。戦闘という状況において、防御力を高めることは必ずしも安全性の向上には繋がらない。装甲の薄さを人命軽視に結び付けたのは悪意あるプロパガンダだろう。
 戦後の占領時にアメリカは日本に航空機の製造を禁止した。これは日本の航空機技術の高さを恐れたからなのではないだろうか。航空機産業から閉め出された優秀な技術者は自動車や電車の技術開発に携わることになり、このことが日本の自動車と電車の技術を世界一にまで高めた。

ウィン・ウィン

2015-09-26 09:42:49 | Weblog
 安倍首相は24日に自民党の両院議員総会で、50年後にも人口1億人を維持するという目標を掲げた。現在の出生率1.42では勿論のこと、目標とされた1.8でもこの人口は不可能だ。以前から言われている移民の増加を見込んでいるのだろうが、単純労働者の受け入れによる人口増を目論んでいるのであればとんでもない話だ。若年労働者を日本が収奪してしまえばその国では労働人口が足りなくなる。こんな他国を犠牲にした繁栄ではなく共存共栄が図られるべきだろう。具体的には難民の受け入れだ。
 ヨーロッパでは中東からの難民の大量流入に音を上げて難民の押し付け合いが始まっている。こんな時こそ国際貢献をすべきだ。紛争に加担するよりもずっと好ましいことでありこれこそ「積極的平和主義」だろう。「義を見てせざるは勇無きなり。」
 人口減少の解決は他国からの収奪ではなく、国から溢れた人の受け入れによって実現すべきだ。このことによって関係国も関係者も総てが利益を享受できるウィン・ウィンの関係が可能になる。
 ついでにと言えば失礼だが、中国の黒孩子(ヘイハイズ)も受け入れてはどうだろうか。黒孩子とは中国の一人っ子政策のために戸籍を持たない子供だ。違法に2人目の子供を持てば罰される。だから生まれていないことにされている。その数は数千万とも数億とも言われているが「闇の子」だから把握されていない。戸籍が無いから学校に行けない。学校に行かなければまともな就職もできず犯罪者になることも少なくない。こんな中国人民にとってはお荷物である黒孩子をできる限り幼い内に日本で引き取る。人身売買と非難する人もあろうが、有償でも良かろう。中国人としての記憶が無ければ本人も日本人と信じて日本人として育つ。
 ビジネスにおいても国際関係においても、一方的に利益を得る関係は長続きしない。両国にとっても当事者にとっても好ましいことが選ばれるべきだ。廃棄物から資源を得る方法があるように、人口減少の解決は収奪によってではなく、余剰人員の引き取りによって実現されるべきだろう。
 同様に、資源に恵まれない日本は他国では利用しない資源を積極的に活用すべきだ。ヒンズー教徒が食べない牛肉、ムスリム(イスラム教徒)が食べない豚肉、多くの西洋人が食べない鯨やタコを食べることは食文化の棲み分けであり、他文化圏から文句を言われるべきことではない。
 但し私は無理に人口を維持する必要は無いと考える。国としてのGDPが減っても一人当りのGDPが増えれば充分だろう。