俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

秀才

2015-09-19 10:22:58 | Weblog
 医師はエリートだろう。私立医大に裏口入学した人以外はそれなりに学力があった人だ。そんな人がなぜ低レベルな仕事しかできないのだろうか。日本の教育制度の欠陥が露呈しているように思える。
 ①白と黒・・・・学校では、正解は1つと教える。試験の正解は常に1つだけであり、正解が2つ以上あれば設問が間違いとされる。こんな教育を受けたから何もかも白と黒に分けてグレーの存在を認めなくなる。教科書に書かれていることは絶対に正しく疑うことは許されない。だから通説が否定されてもそれに対応できない。20代で教わったことを60歳になっても改めようとしない。コレステロールを目の敵にする内科医が今もいるし、傷口を消毒しなければ気が済まない外科医もいる。
 ②結果主義・・・・試験では結果が総てでありプロセスは問われない。だから結果にばかり注意を向ける欠陥人間になる。これが2つの悪弊へと繋がる。対症療法と検査数値の過大評価だ。
 対症療法を治療だと思い込むのは原因を考えることが習慣付けられていないからだ。下痢を訴える患者には下痢止めが処方される。和歌山の砒素カレー事件や堺市でのО-157集団食中毒事件などでは、下痢止めを処方された患者の死亡率が有意に高かったそうだ。なぜかを考えずに対処するから却って悪化させてしまう。
 検査数値はあくまで目安だ。数値だけでは何も分からない。ところが高得点を得ることを目標にした勉強しかしなかった受験秀才崩れにとっては、検査数値を下げることが目標になる。高血圧症の原因など放置したまま検査数値を下げることに躍起になる。受験生時代の誤った考え方から卒業できていない。学力を高めるための勉強ではなく試験で高得点を取るための勉強しかしなかったから、検査数値が結果に過ぎず原因を治療しなければ治らないということが理解できない。生活習慣病の治療のためには食生活を含めた生活全般の改善が必要なのに薬で数値を下げるだけで満足してしまう。困ったことに医師の多くは栄養学の知識を欠いている。だから食生活の改善を無視して、自らの乏しい知識で対応できしかも儲けに繋がる薬やサプリメントに頼ることになる。
 受験テクニックの弊害もあるだろう。試験では難しい問題には手を付けず易しい問題で手堅く稼ぐというテクニックが奨励されている。治療などといった難しいことなど放棄して、目の前にある「科学的な」数値だけを下げていれば患者も医師も満足できる。勿論これは幻想であり、治療されずに薬漬けにされた患者は一生薬を飲み続けることによって医原病患者にされてしまう。教育制度の不備だけが現在の歪んだ医療の原因ではあるまいが、今の教育が「考えない人」を大量生産していることは間違いあるまい。

偶然

2015-09-19 09:41:34 | Weblog
 偶然が最良を生む、などと言えば馬鹿にされるだろう。最高の知恵によって導かれなければ最高の結果に結び付く筈が無い、と誰もが考える。これを否定したのが進化論であり、だからこそ今でも進化論を否定しようとする人が少なくない。そんな馬鹿なことなどあり得ないと考えるからだ。
 生命の精妙さは人智を超える。人類は未だ微生物さえ作れていない。こんな偉業は万能の創造者にしか不可能だと長く信じられた。
 進化論が画期的なのは、偶然の変異が偶然環境に適応すれば最良の生物に進化し得るとしたことだ。こんな馬鹿げた理論が袋叩きに会うのは当然のことだろう。偶然に偶然を重ねていれば支離滅裂になって混沌へと至ると誰もが考えた。これを淘汰というたった1つのキーワードによって覆したところにダーウィンの偉大さがある。個体はそれぞれが微妙に異なる。その個体差が環境に適応していればその変異は保存され、不適応であれば淘汰される。これが数十億年に亘って繰り返されたから生物は人智を超えた能力を獲得した。
 ダーウィン以前にも進化論的な考え方はあった。例えばラマルクは、生存のために必要な器官が発達すると考えた。つまり生物の目的に従って進化が方向付けられると考えた。ダーウィンはこれを否定し、単にたまたまその時の環境に適応した者が繁栄するとした。生存と繁殖に適した個体がいかなる目的も持たずに増殖して徐々に強い生存力を獲得する。これが適者生存だ。
 これこそ「コペルニクス的転回」だろう。ダーウィンほど偶然性を重視した人はいなかった。世界が偶然によって秩序付けられるなどとはそれまで誰も考えなかった。
 何が最善策であるかなど当事者には分からない。後になってから初めて分かることだ。世界とは不確実性の塊りだ。ノーベル文学賞の受賞者でもあるフランスの哲学者のベルクソンは、将来の文学の可能性について尋ねられてこう答えた。「後になってからそれが可能だったと分かるだけで、現時点では何が可能なのか分からない。」(「思想と動くもの」の「可能性と事象性」より)これが進化論的な考え方だ。無数の選択肢があっても現時点ではどれが最良であるかなど分からない。可能性が高い選択肢を選べば成功する可能性が高いとしか言えない。偶然訪れるチャンスを逃さないことが大切だ。成功者とは挑戦することの労を厭わずに挑戦し続けて上手く運を掴んだ人だろう。挑戦し続けたからこそ運を掴むことができたと言える。