俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ディーゼル車

2015-09-25 11:10:06 | Weblog
 日米ではガソリン車が多く、ヨーロッパではディーゼル車が多い。以前からこのことが不思議で仕方が無かった。
 私は自動車について詳しくない。正直な話、嫌いと言って良い。それは大気を汚染するからだ。物品の移送に使うならともかく、個人の移動のために自動車を使うなどもってのほかであり、ドライブほど社会に有害な趣味は無いと思っている。こんな意見は少数派だ。少なくともマスコミで紹介されることは無い。これは薬害問題と同じ構造だろう。製薬業界と並ぶ大スポンサー様である自動車業界をマスコミは批判できない。
 そんな私でも、ディーゼル車のほうがガソリン車よりも燃費が良く、軽油のほうがガソリンよりも安いということぐらいは知っている。日本でディーゼル車が普及しないのは、1999年に当時の石原慎太郎都知事が痛烈に批判したように大量の粉塵を放出することと、窒素酸化物の排出量が多いことだろう。日本ではディーゼル車は環境破壊の元凶と位置付けられていた。
 日本での常識がヨーロッパでは通用しない。ヨーロッパではディーゼル車が低公害車と位置付けられている。このギャップは何なのだろうか。
 私はこれを日本のガラパゴス化ではないかと心配していた。ガソリン車に拘り、ハイブリッドなどの特殊技術に現(うつつ)を抜かしている間に、ヨーロッパでは画期的な技術革新があったと思った。ディーゼルエンジンの見直しが急務であり、トヨタの販売台数がフォルクスワーゲンに抜かれたことに象徴されるように、日本の自動車産業が凋落するのではないかと恐れていた。しかしこれは杞憂だった。
 フォルクスワーゲンが、排ガス試験の時だけ窒素酸化物の排出量を抑える特殊なソフトウェアを使っていたと知って驚愕した。これは、窒素酸化物の排出量を抑える技術が未開発か、あるいはとてつもなく高コストだからだろう。このことはディーゼル車メーカーが共有する秘密であって、検査数値を誤魔化して時間稼ぎをしている内に新技術を開発すれば良いと企んでいたのだろう。クリーンディーゼル車などSTAP細胞と同じ幻の技術に過ぎなかった。
 スズキは2011年9月にフォルクスワーゲンとの技術提携の解消を申し入れ、今年の8月にようやく決別した。スズキが怒ったのは当然だ。フォルクスワーゲンには環境技術など無く擬装技術しか無かったからだ。
 こんな大規模な擬装事件は前代未聞空前絶後だ。日本のメーカーがクリーンディーゼル車を作れなかったのは技術の遅れではなく、そもそも現時点ではディーゼル車を低公害車にする技術など開発されていなかった。違法ソフトウェアによって擬装されていただけだった。
 これで世界の自動車市場は激変する。ディーゼル車が駆逐されてガソリン車や次世代エネルギー車が我が世の春を謳歌することになるだろう。