俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ネオテニー

2015-09-27 10:12:43 | Weblog
 サンショウウオの一種のアホロートル(ウーパールーパー)のようなネオテニー(幼形成熟)が人類を作った。類人猿のネオテニーが人類だ。人類はあらゆる動物の中で最も未熟な状態で生まれる。妙な言い方だが、未成熟で生まれるからこそ高度に成熟できると言える。
 岸田秀氏は「人間は本能の壊れた猿」と言う。しかし本能が壊れているからこそ自由であり得る。本能が健全であればルールは予め決まっている。弱い動物を食え、発情期には交尾せよ、これらが本能だ。本能が壊れていなければ人為的なルールなど必要無い。丁度、疑問を持たずに呼吸をするように、本能に従うだけで万事上手く収まる。人間以外の動物も「学習」をするが基本は本能だ。本能に背くような行動はしないし、できない。
 iPS細胞もES細胞も、あるいは幻のSTAP細胞も人工的な未分化細胞だからこそ万能細胞たり得る。一旦分化して特定の細胞になってしまえば他の細胞にはなれない。つまり未分化や未成熟であれば巨大な可能性があるということだ。
 男女の脳は生まれつき異なる。女児の脳のほうが成熟して生まれる。保母や小学校の教師を含めて子育ての経験のある人は異口同音にこう語る。男児は乱暴で我儘でルーズだ、と。女児は生まれながらに社会的動物だ。それは出産・授乳という動物的役割があるからだ。出産・授乳に対応する本能が欠けていれば種が滅ぶから、女児の脳にはあらかじめその機能が備わっている。生まれつき特殊なソフトウェアがインストールされている。勿論これは100%確実なことではない。男児と同じくらい未成熟な状態で生まれる女児もいる。これは男性脳を持った女性であり、その特性を理解して育てる必要がある。
 男児の脳には何も無い。獣以下の状態で生まれる。女児は生まれつき人間だが男児は人間ではないどころか獣以下だ。育成されて初めて人間になる。
 男児には様々な可能性がある。未成熟だからこそ良い可能性も悪い可能性もある。つまり聖人の可能性も極悪人の可能性もあるということだ。
 ロックは人の心を白紙(タブラ・ラサ)と考えた。しかしこれはあくまで男児の脳だ。女児の脳には予め協調性などが刷り込まれている。女児であれば放置してもある程度のレベルに達するが、放置された男児は人間以下の動物にもなり得る。凶悪犯罪者の大半が男性であるのは男女の脳が先天的に異なるからだ。男児に対する初等教育は女児以上に重要だ。

傷みと痛み

2015-09-27 09:32:42 | Weblog
 日本語ではどちらも「いたみ」という言葉を使うので混同され易いが傷みと痛みは明確に区別されねばならない。
 切り傷が一番分かり易い。痛みを感じなくても傷口があれば傷んでいることが分かる。治りかけの時には最早、痛みを感じないが、傷口が開かないように充分に気を付ける。それは痛みが無くても傷みがあるからだ。
 関節痛は完全に混同されている。傷みがあるから痛むのだが、痛みが無くなっただけで傷みも無くなったと思い込む。痛みを感じなくなっても傷みが完治していない状態で普通に使い始めれば傷みが悪化して再び痛み始める。
 最悪は痛み止めだ。傷みを放置したまま痛みだけを消す。軽症であれば痛みを抑えている内に自然治癒力が働いて傷みも治るが、重度の傷みの痛みを薬で抑えて無理をすれば取り返しのつかないことにもなりかねない。昔、甲子園球場では、痛み止めを注射して肩や肘の痛みを抑えて熱投をした投手がいたが彼らの多くはは投手としての能力を失った。痛みの原因は炎症であり炎症を放置したまま痛みだけを消して投球をすれば炎症は悪化する。傷みと痛みを区別できなかったことが招いた悲劇だ。今ではこんな登板は禁じられている。
 頭痛についても同じことが言える。痛みが無くなっても安心できない。二日酔いや生理痛のような原因が明白な一過性の痛みであれば、痛み止めで症状を抑えている内に勝手に治る。しかし脳腫瘍などが原因であれば手術しなければ治らない。薬で痛みが消えても安心すべきではない。痛み止めは痛みを感じにくくするだけであって治療薬ではない。
 多くの病気は痛みや不快感を伴う。殆んどの患者は痛みや不快感の緩和を望み医者も患者の希望を叶えようとするから却って病気を悪化させてしまう。これがヤブ医者によるヘボ治療だ。風邪の諸症状の緩和に代表される対症療法は治療ではない。中でも解熱剤は最悪だ。折角、自然治癒力が働いて病原体と戦っているのに、体温を下げてしまえば病原体が生存・増殖し易い環境を作ることになり治癒しにくくなる。、