私にとって、カエルになりたくないオタマジャクシという寓話は悩みの種だった。2008年の2月15日に「カエルになった夢」という記事を書いたがこれは本当に見た夢だ。私は散文的人間であり物語を作る詩人的能力を欠いている。それほど寝ても醒めても気になっていた。勿論これは大人になりたくない少女の象徴だ。少女のままでいたい少女が幼い心でどれほど苦しんでいるのかを考えれば居たたまれない気分になった。
私は高校時代に新聞記事を読んで摂食障害について初めて知った。少女にのみ起こる神経性拒食症という奇病を知って驚いた。咄嗟に2種類の患者をイメージした。生命体を食べることに罪悪感を覚える心優しい少女と、大人の肉体を不潔と感じる潔癖な少女だ。どちらの少女にも魅力を感じた。
最近、心境の変化が生じた。私自身が老人になりつつあるからだ。誰だって老化したくない。この気持ちは大人になりたくない少女と同じようなものではないだろうか。
非現実的な例え話だが、犬に転生した人は絶望するだろうか。私なら犬として精一杯生きようとする。鎖に繋がれた番犬であっても生きることを楽しめる。飼い主が散歩に誘ってくれれば尻尾を振って大喜びするだろう。永遠に続く無よりは犬に転生するほうがずっと好ましい。
成人が老人に転生しても生きたいと思うように、少女も大人の女性に転生すると考えればどうだろうか。そもそも大人の女性を醜いと思うのは彼女の主観に過ぎない。大半の人は大人の女性を美しいと感じる。カエルでさえオタマジャクシではなく大人のカエルに性的魅力を感じる。
人は同世代の異性を美しいと感じる。身近な存在であることも一因だろうが、それほど主観的なものだということだ。小学生にとって20歳はオバちゃんと思えるかも知れないが30歳にとっては違う。大人の男性に少女嗜好があるのはロリータ・コンプレックス(所謂ロリコン)の語源となった小説「ロリータ」の作者の出身地のロシアと、AKBなどのジャリタレが蔓延る日本だけではないだろうか。カエルは変態するが児童ポルノも少女性愛も変態趣味だろう。
女性の性的魅力のピークがいつであるかの意見は様々だ。ジャリタレのファンもいれば30代のグラビアアイドルや40代の熟女好きもいる。見掛けの好みは人様々だろうが、精神的成熟度も考えれば30歳前後がピークだと私は考える。
少女性愛を、大人の女性に相手にされない男の歪んだ性欲と決め付けることは乱暴過ぎる。大人の女性に魅力を感じないからこそ付き合いたいと思わない人も少なくなかろう。少女性愛者を劣等者だとは思わないが、良い趣味ではなかろう。
私は高校時代に新聞記事を読んで摂食障害について初めて知った。少女にのみ起こる神経性拒食症という奇病を知って驚いた。咄嗟に2種類の患者をイメージした。生命体を食べることに罪悪感を覚える心優しい少女と、大人の肉体を不潔と感じる潔癖な少女だ。どちらの少女にも魅力を感じた。
最近、心境の変化が生じた。私自身が老人になりつつあるからだ。誰だって老化したくない。この気持ちは大人になりたくない少女と同じようなものではないだろうか。
非現実的な例え話だが、犬に転生した人は絶望するだろうか。私なら犬として精一杯生きようとする。鎖に繋がれた番犬であっても生きることを楽しめる。飼い主が散歩に誘ってくれれば尻尾を振って大喜びするだろう。永遠に続く無よりは犬に転生するほうがずっと好ましい。
成人が老人に転生しても生きたいと思うように、少女も大人の女性に転生すると考えればどうだろうか。そもそも大人の女性を醜いと思うのは彼女の主観に過ぎない。大半の人は大人の女性を美しいと感じる。カエルでさえオタマジャクシではなく大人のカエルに性的魅力を感じる。
人は同世代の異性を美しいと感じる。身近な存在であることも一因だろうが、それほど主観的なものだということだ。小学生にとって20歳はオバちゃんと思えるかも知れないが30歳にとっては違う。大人の男性に少女嗜好があるのはロリータ・コンプレックス(所謂ロリコン)の語源となった小説「ロリータ」の作者の出身地のロシアと、AKBなどのジャリタレが蔓延る日本だけではないだろうか。カエルは変態するが児童ポルノも少女性愛も変態趣味だろう。
女性の性的魅力のピークがいつであるかの意見は様々だ。ジャリタレのファンもいれば30代のグラビアアイドルや40代の熟女好きもいる。見掛けの好みは人様々だろうが、精神的成熟度も考えれば30歳前後がピークだと私は考える。
少女性愛を、大人の女性に相手にされない男の歪んだ性欲と決め付けることは乱暴過ぎる。大人の女性に魅力を感じないからこそ付き合いたいと思わない人も少なくなかろう。少女性愛者を劣等者だとは思わないが、良い趣味ではなかろう。