俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

早脈症(続・数値)

2015-09-09 10:28:43 | Weblog
 〔寓話〕厚生労働省が「早脈症」という新種の生活習慣病についての注意を促した。脈拍の早い人は糖尿病や高血圧症など他の生活習慣病を併発することが多く、薬を使って脈拍数を抑えることが推奨された。
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 充分な運動をする人は心臓が強くなるから脈拍数が少なくなる。運動不足の人の心臓は力が弱く脈拍数を増やすことによって充分な血流を確保する。脈拍数が多いのは心臓の弱さの補完だ。この事実を無視して薬によって脈拍数を減らしても心臓が丈夫になる訳ではないのだから血流が減ることにしかならない。
 「早脈症」の原因は肥満と運動不足だろう。そのために心機能が低下しているから脈拍数を増やさざるを得ない。結果である脈拍数を減らしても心臓が強くなることなどあり得ない。薬によって脈拍数を減らしても何のメリットも無く有害なだけだ。必要なことは心機能を強化することであり、そのために生活習慣を改めるべきだ。他の生活習慣を併発し易いのは生活習慣が原因であって脈拍の早さが原因ではない。
 私が言いたいのは高血圧症の対症療法が根本的に誤っているということだ。日本人の高血圧症の大半が「本態性高血圧症」つまり「原因不明の高血圧症」だ。原因を放置したままで薬によって数値を下げることはこの寓話と同様に健康の悪化を招く。それどころか病気でない人を病人扱いして医原病患者にする最悪の偽医療だ。
 血圧は年齢と共に上昇し勝ちだ。これは心臓が丈夫になるからではない。動脈が固くなることも一因だろう。心臓の鼓動には周期性があり、収縮する時に血液を送り出す。この時、血管に弾力性があれば圧力の増加がある程度緩和されるが、固い動脈であれば血流の増加がそのまま血圧の増加として計測される。これが原因の患者であれば筋肉を弛緩させる薬を使えば血管の弾力性を高めて血圧を下げることができる。しかしこんなことが健康のために有益とは思えない。ただ単に血圧を下げているだけであってそれ以外のメリットは何もない。
 実態はもっと酷い。「本態性高血圧症」つまり「原因不明の高血圧症」と一括りにされているから治療薬もバラバラだ。筋肉を弛緩させる薬以外に、血流量を減らす薬や交感神経の働きを抑える薬など様々だ。これらを取り合えず使ってみて、血圧が下がった薬が継続して処方される。つまり病気の治療ではなく血圧を下げることが自己目的化している。多少の副作用があっても無視されて血圧を下げることが最高善とされている。これは最早医療ではない。血圧教の信者によるオカルトの世界だろう。

できないこと

2015-09-09 09:39:45 | Weblog
 できないことをできないと認める必要がある。そうしなければできないことをできると主張する大嘘つきに利用されかねない。
 哲学はカントによって理性の限界が明かされた。知覚に依存する理性が、知覚不可能な永遠や無限について幾ら考えても矛盾に陥らざるを得ないことを「二律背反」によって証明した。限界を示すことによって哲学が陳腐化した訳ではない。思弁的な空理空論を排斥することによって真の問題に直面できるようになった。
 医療においては癌や風邪などについて治療できないことを認めるべきだ。本物の癌であれば幾ら早期発見をしてもその時点で既に転移しているそうだ。治療できるのは「がんもどき」だけだと近藤誠医師は力説する。風邪の治療薬は無く、対症療法で対応しているだけだ。
 地震と火山の予知はできない。地震に周期性があると主張する学者は確率論を勉強したほうが良い。確かに千年に一度ぐらいの確率で大地震が起こる地域はある。それでも予知はできない。サイコロのそれぞれの目は6回に1回の割合で現れるが、次に出る目を予測することはできない。無数のデータがあるサイコロの目でさえ予測できないのにデータが不充分な地震が予測できるものだろうか。大体ラグビーのボールがどう跳ねるかさえ予測できない。それよりも遥かに複雑な地震がいつ起こるかなど分かる訳が無い。地震学者と比べれば火山学者は大言壮語を吐かず慎重に語る。これは彼らが正直だからではなく、すぐに検証に晒されるからいい加減な発言が抑制されているからだろう。
 危険性の無い食品もあり得ない。これはアレルギーだけの話ではない。あらゆる食品に有害物が含まれているし、総ての栄養素に毒性が確認されている。水でさえ過剰に摂取すれば水中毒に罹る。
 移動交通手段は必ず命の危険を伴う。危険と思われている航空機は、距離当たりでは最も安全な乗物だ。これを凌ぐのは日本の新幹線だけだ。その新幹線でさえ事故は起こり得る。
 理想社会もあり得ない。そもそもあの不合理で不便な多数決よりマシな意思決定手法が未だ見つけられていない。万人が幸福になることは絶対に不可能だから「最大多数の最大幸福」以上の目標も今のところ無かろう。
 このように、できないことが圧倒的に多い。できないことをしようとしても徒労に終わる。私は進歩を否定したい訳ではない。100%の確実性など求めずに99%の確実性で満足すべきだということだ。時には51%の確実性に賭けざるを得ないこともあろうが、できないことに無駄な労力を費やさなけれな、できることが増える。