俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

良書

2015-11-09 10:19:46 | Weblog
 最も影響を受けたのはドストエフスキーとニーチェとカントだと書きたいところだが、実はもっと私の血肉となった著述家がいる。漫画家の手塚治虫氏だ。文字を殆んど読めない頃から読み続けたから、どれが手塚氏から受け継いだ思想でどれが自分のものかさえ区別できないほどだ。
 最初に愛読したのはやはり「鉄腕アトム」だった。しかしこれはとんでもない重い話だ。決して無条件に科学を賛美する能天気な漫画ではない。最も重要なテーマはロボットの人権だ。心を持ってしまった機械の権利はどうあるべきかという、余りにも時代を先取りし過ぎたテーマだった。こんなテーマは大人でも理解できないし子供に分かる訳が無い。だからこの主題は隠されて、時々ロボットを差別する登場人物、あるいは人間に正面から戦いを挑む「青騎士」の物語などで顕在化するに留めていた。
 手塚氏自らがライフワークと位置付けた「火の鳥」もショッキングな作品だ。中でも第2話の「未来編」は恐ろしい内容だ。死ねない体になった主人公は、核戦争で人類が死滅した後たった一人で30億年間生き続ける。ロボットも人造生命も失敗した末、有機物の元を合成して生命が生まれて進化するのを待ち続けるという長い長い時間を描いた物語だ。余りのスケールに圧倒された。
 仏教についても様々な本を読んで勉強したが、私の仏教理解は多分「ブッダ」に基づく手塚仏教だと思う。漫画でありながらそれほどの深みがある。
 ペンネームに「虫」の字を入れるほどの虫好きの手塚氏は環境破壊にも憤っており、私のエコロジーは多分手塚氏から譲り受けたものだろう。
 手塚氏の全作品を読んだ私はどの作品からも感化された。これほど長期間愛読し続けるとその思想がすっかり自分のものになってしまう。だから気付かぬ内に手塚氏の言葉を復唱しているかも知れない。ある意味でこれは恐ろしいことだ。
 幼少期から晩年に至るまで手塚氏の作品を読み続けられたことは僥倖だったと思う。子供向けの童話とは違って偽善性の欠片も無い良書揃いだ。漫画という軽視され勝ちな媒体でなければ、手塚氏は日本を代表する思想家として評価されていたのではないかとさえ思う。手塚氏の功績は絶大だ。漫画やアニメを文化のレベルにまで高めたことだけではなく、思想家としても偉大であり日本人を最も教化した人ではないだろうか。「ブラック・ジャック」を読んで医学を志した人も少なくないそうだ。

偽因果

2015-11-09 09:41:33 | Weblog
 昨日(8日)朝のNHKのニュース番組で嚥下食を採り上げていた。嚥下食とは、老人などが食べ易いように食材を柔らかく加工した料理だ。見た目は普通の調理品そのままであり、食感はともかく味も再現しているそうだ。これによって老人の食生活が豊かになる。
 ここまでは良かった。ところがとんでもないことを言い出した。ネットを見ながら聞き流していたので正確な数値ではないが大体こんな内容だった。「嚥下食が寿命を伸ばすことも証明されている。3年後の生存率は、点滴なら30%、胃瘻なら40%だが、嚥下食にすれば50%以上になる。」折角の情報が台無しだ。こんな馬鹿な話を根拠にすれば嚥下食が有害物にもなりかねない。
 考えればすぐに分かることだが、健康な人であれば普通の食事をする。軽い嚥下障害があれば嚥下食に頼る。嚥下食も無理な人が胃瘻を使う。胃瘻も無理であれば点滴に頼らざるを得ない。どの人が長生きできるかは、衰弱状況だけで予測できる。衰弱が酷い人ほど不自然な栄養補給に頼らざるを得ないのであって、栄養摂取方法だけで生死が決まる訳ではない。
 こんな間違った因果関係に基づいて説明をすれば、嚥下障害を起こしている人にまで無理強いをして誤嚥性肺炎を起こさせることにもなりかねない。正しい因果は「食べる能力が残っている人は長生きできる」であって「食べさせれば長生きする」ではない。増してや「無理をしてでも食べさせるべきだ」ということにはならない。
 健康に関して人体実験をすることは許されないからどうしても統計データに頼ることになるが、このデータを正しく読み取らねば誤った結論へと導かれる。
 昔こんな報道があった。高度経済成長期には寿命が延びた。平均寿命のグラフがテレビの普及率のグラフと丁度重なることを指摘して評論家が言った。「テレビが正しい健康情報を伝えるから寿命が伸びた。」全くのお笑い種(ぐさ)だ。多分、経済成長のグラフも殆んど同じように重なるだろう。このデータから読み取るべきことは、国民が豊かになったから寿命が伸びテレビの普及率も高まったということだろう。寿命の伸びとテレビの普及率の上昇はどちらも豊かさの結果であってこの二者に因果関係は無い。
 食べる能力が残っていれば極力自力で食べたほうが良いが、能力が損なわれている人にまで無理強いをすれば却って有害だ。因果関係を正しく捕える必要がある。こんな番組を作るNHKのスタッフには因果性の理解が欠けており、こんな番組を見た多くの視聴者が誤った理解をしてしまうだろう。