俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

帝国の慰安婦

2015-11-28 10:37:51 | Weblog
 「帝国の慰安婦」の著者、朴裕河・世宗大学教授が18日に韓国で起訴された。元慰安婦に対する名誉棄損の罪に問われている。
 しばらく前にこの本を入手していたがずっと「積ん読」の状態だった。朝日新聞が捏造を認めた今となっては慰安婦問題など過去の話であり、他に読みたい本が沢山あったからだ。しかしこの起訴をきっかけにして読んでみた。
 読んで驚いたことは、慰安婦の多様性だ。政治問題化して以降、白黒を付けようとする本ばかりでどの本も偏っているが、この本は政治問題化する遥か前の1973年に出版された千田夏光氏の「従軍慰安婦‘声なき声‘8万人の告発」をベースにして、韓国では出版されているが未だ邦訳されていない膨大な著書に基づいて書かれている。恥ずかしながらこの本で「従軍慰安婦」の名付け親を知った。私はずっと朝日新聞による造語だと思っていた。
 考えてみれば当然のことなのだが、かつての慰安婦だけではなく現代の風俗嬢も非常に多様だ。まず風俗嬢の範囲が広い。ホステスからソープ嬢まで無限のバリエーションがある。フードルと呼ばれる人であればアイドルと大差が無い。テレビに出ていないローカル・アイドルのようなものだ。先月末にブログが閉鎖された「Tバックの女王」飯島愛さんはホステスからAV女優を経てタレントになった。現代の風俗嬢を一括りにできないように戦時中の慰安婦も一括りにはできない。無垢の少女という位置付けも売春婦という位置付けも偏っている。
 風俗嬢をどう捕えるかについて大きな隔たりがある。男の性欲に奉仕する賤しい職業と考える人もいれば容姿と巧妙な話術を活かす知的職業と考える人もいる。私には縁の無い世界だが銀座の一流ホステスの知的レベルはかなり高いらしい。たとえ風俗嬢を「性奴隷」と位置付けることが可能であっても、彼女達の大半がこの呼称に激怒するだろう。
 現代の風俗嬢の位置付けでさえ難しいのだから戦時中の慰安婦をどう評価するかは難し過ぎる。様々な慰安所があり様々な慰安婦と兵士がいた。それぞれの主義主張を持つ人が多様な証言から取捨選択をして好き勝手なことを主張しているのが現状だ。先に結論があってそれを裏付けるための証言を拾い集めている。そんな本が多い中でこの「帝国の慰安婦」は数少ない良書でありこんな優れた研究を弾圧すべきではない。裁判所まで言論弾圧に加担するようであればOINK(Only in Korea)という悪評を補強することになって韓国のためにならない。日本でも26日に学者などのグループが抗議声明を発表した。メンバーはなぜか左寄りの人ばかりで、韓国のある新聞では「良心的日本人を代表する」人々と紹介されていた。大江健三郎氏、上野千鶴子氏、村山富市元首相などが名を連ねているがこの本は決して左寄りの本ではなくごく真っ当な研究書だ。異論を許容しなければ文明社会ではない。
 

願望

2015-11-28 09:44:30 | Weblog
 「理想は現実的でなければならない」と私は確信している。しかしこの考え方は余り理解されない。詭弁かパラドクスであるかのように誤解され勝ちだ。多くの人は、理想を現実の反対語と考える。しかし「現実」の反対語は「理想」ではなく「願望」あるいは「妄想」ではないだろうか。
 非現実的な願望は幾らでもある。天国、不老不死、神通力、永遠の愛、無税福祉社会、公正無私な政治家、エデンの園、ユートピア、これらは理想たり得ない。ただの願望であり妄想だ。こんな妄想を理想として掲げることは理想に対する冒涜だ。単なる願望が理想という名を騙っている。
 妄想は目指すべき理想の邪魔をする。例えば、天国という嘘が現世での努力を怠らせる。不老不死の仙薬を求めた始皇帝は水銀を飲んで却って命を縮めた。騎士道精神に憧れたアロンソ・キハーナは狂人ドン・キホーテになった。医療を超える霊力を求めた愚かな人が祈祷術などのオカルトの罠にはまる。現実離れした願望が求めるのは現実とは懸け離れたものだ。理想は現実を踏まえたものであって妄想や願望の対極に位置する。
 平和のためにどうするべきか。小学生ならこう答えるだろう「世界中の人みんなが仲良くなれば良い。」隣人との諍いが絶えない人がどうやって文化の異なる未知の他人と仲良くできるのだろうか。
 犯罪の無い社会はどうすれば実現できるだろうか。夢想家はこう言う「犯罪は貧困から生まれる。貧困の無い平等な社会を作らねばならない。」こんな空理空論など要らない。
 理想を掲げずに願望に頼ることは責任放棄だ。「悪人にはあの世で神罰が下る」と言って現状を放置すれば問題は解決されない。現実的な理想であればそれを実現するために努力する必要が生じる。その責任から逃れるために非現実的な願望を掲げて現実的な理想を蔑視していればその結果として現状が放置される。これは免罪符のような悪しき宗教的妄想だろう。
 「武士は食わねど高楊枝」は理想にはならない。人は食べなければ生きられない。霞を食べて生きる人などいない。現実的な問題を解決せねばならない。
 達成不可能な「理想社会」を説く人を私は信用しない。彼らは高みの見物を決め込んでいる。できもしない「理想」を掲げて努力を放棄する。理想とはそんなものではなかろう。まず現在可能な理想を実現するために邁進してそれが達成されたら更なる改善を目指す。現実的な目標こそ理想であるべきだ。最終的な高い理想を達成するためには中間的な理想を設けて少しずつ改善し続ける必要がある。