暴力は良くないと誰もが考える。しかし暴力を絶対悪と位置付けることには同意できない。攻撃された時の最善策は逃げることだろうが、反撃する権利も法的に認められている。
「戦争反対」と主張する人のイメージは「暴力反対」と重なる。戦争は良くない。できれば回避したい。しかし戦争は核兵器とは違って絶対悪ではない。暴力が時には必要なように反撃する権利も国際法で認められている。反撃しなければ一方的に蹂躙されてしまう。侵略の方法は決して正々堂々とと攻めるものとは限らない。ゲリラ兵の上陸のほうがむしろ現実的だ。メキシコの麻薬組織の武装グループは軍隊でしか対応できないほど強力らしいが、北朝鮮や中国のゲリラ兵の武力はそれ以上であり、警察の手に負えない。
健全な市民は平和を願う。日米戦争直前のアメリカ市民もそうだった。最強の軍事力を誇るアメリカは武力を背景にした世界秩序、つまりアメリカによる世界支配を目論んでいた。しかし国民は必ずしもそれを望んでいなかった。だからこそ窮鼠に猫を噛ませる必要があった。在米日本人の権利を剥奪し、日本に対する理不尽な経済封鎖を行って日本に戦争を仕掛けさせた。真珠湾攻撃を世界で最も喜んだのはルーズベルト大統領だった。
日本は大失敗をしたと思う。戦争を仕掛けさせられたことではなく勝てそうにない敵と戦ったからだ。誰でもプロボクサーと素手で喧嘩をしようとは思わない。武器でも持っていない限り勝ち目は無い。戦って負けるよりは戦わずして負けるほうが上策だろう。
孫子曰く「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。」所謂「戦わずして勝つ」だ。私はヘソ曲がりなので、戦って負けるよりは戦わずして負けるほうが遥かにマシだと考える。俗っぽい言い方をすれば「金持ち喧嘩せず」だ。
戦犯という言葉が日常語として使われている。しかしこれは本来の、捕虜虐待などの戦争犯罪を意味せず、敗因を作った人に対して使われる。アメリカは東京裁判で戦前・戦中の日本の指導者を「平和に対する罪」や「人道に対する罪」といった法的根拠を欠く事後法によって裁いた。これは茶番劇だ。東京裁判の目的はアメリカ兵を殺したジャップに対する報復に過ぎない。こんなデタラメな裁判だからこそ戦犯という言葉の意味まで混乱してしまった。戦ったことや卑劣な戦いをしたことに対する問責ではなく負ける原因を作った者が戦犯と呼ばれている。A級戦犯は戦争を起こしたから悪いのではなく、負けると分かっている戦争をして負けるべくして負けたから戦犯なのだと日本人は勝手に曲解した。戦犯という言葉の意味がすっかり変わってしまったのは東京裁判が全く理不尽な裁判だったからに他ならない。
「戦争反対」と主張する人のイメージは「暴力反対」と重なる。戦争は良くない。できれば回避したい。しかし戦争は核兵器とは違って絶対悪ではない。暴力が時には必要なように反撃する権利も国際法で認められている。反撃しなければ一方的に蹂躙されてしまう。侵略の方法は決して正々堂々とと攻めるものとは限らない。ゲリラ兵の上陸のほうがむしろ現実的だ。メキシコの麻薬組織の武装グループは軍隊でしか対応できないほど強力らしいが、北朝鮮や中国のゲリラ兵の武力はそれ以上であり、警察の手に負えない。
健全な市民は平和を願う。日米戦争直前のアメリカ市民もそうだった。最強の軍事力を誇るアメリカは武力を背景にした世界秩序、つまりアメリカによる世界支配を目論んでいた。しかし国民は必ずしもそれを望んでいなかった。だからこそ窮鼠に猫を噛ませる必要があった。在米日本人の権利を剥奪し、日本に対する理不尽な経済封鎖を行って日本に戦争を仕掛けさせた。真珠湾攻撃を世界で最も喜んだのはルーズベルト大統領だった。
日本は大失敗をしたと思う。戦争を仕掛けさせられたことではなく勝てそうにない敵と戦ったからだ。誰でもプロボクサーと素手で喧嘩をしようとは思わない。武器でも持っていない限り勝ち目は無い。戦って負けるよりは戦わずして負けるほうが上策だろう。
孫子曰く「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。」所謂「戦わずして勝つ」だ。私はヘソ曲がりなので、戦って負けるよりは戦わずして負けるほうが遥かにマシだと考える。俗っぽい言い方をすれば「金持ち喧嘩せず」だ。
戦犯という言葉が日常語として使われている。しかしこれは本来の、捕虜虐待などの戦争犯罪を意味せず、敗因を作った人に対して使われる。アメリカは東京裁判で戦前・戦中の日本の指導者を「平和に対する罪」や「人道に対する罪」といった法的根拠を欠く事後法によって裁いた。これは茶番劇だ。東京裁判の目的はアメリカ兵を殺したジャップに対する報復に過ぎない。こんなデタラメな裁判だからこそ戦犯という言葉の意味まで混乱してしまった。戦ったことや卑劣な戦いをしたことに対する問責ではなく負ける原因を作った者が戦犯と呼ばれている。A級戦犯は戦争を起こしたから悪いのではなく、負けると分かっている戦争をして負けるべくして負けたから戦犯なのだと日本人は勝手に曲解した。戦犯という言葉の意味がすっかり変わってしまったのは東京裁判が全く理不尽な裁判だったからに他ならない。