俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

戦争

2015-11-17 10:34:06 | Weblog
 暴力は良くないと誰もが考える。しかし暴力を絶対悪と位置付けることには同意できない。攻撃された時の最善策は逃げることだろうが、反撃する権利も法的に認められている。
 「戦争反対」と主張する人のイメージは「暴力反対」と重なる。戦争は良くない。できれば回避したい。しかし戦争は核兵器とは違って絶対悪ではない。暴力が時には必要なように反撃する権利も国際法で認められている。反撃しなければ一方的に蹂躙されてしまう。侵略の方法は決して正々堂々とと攻めるものとは限らない。ゲリラ兵の上陸のほうがむしろ現実的だ。メキシコの麻薬組織の武装グループは軍隊でしか対応できないほど強力らしいが、北朝鮮や中国のゲリラ兵の武力はそれ以上であり、警察の手に負えない。
 健全な市民は平和を願う。日米戦争直前のアメリカ市民もそうだった。最強の軍事力を誇るアメリカは武力を背景にした世界秩序、つまりアメリカによる世界支配を目論んでいた。しかし国民は必ずしもそれを望んでいなかった。だからこそ窮鼠に猫を噛ませる必要があった。在米日本人の権利を剥奪し、日本に対する理不尽な経済封鎖を行って日本に戦争を仕掛けさせた。真珠湾攻撃を世界で最も喜んだのはルーズベルト大統領だった。
 日本は大失敗をしたと思う。戦争を仕掛けさせられたことではなく勝てそうにない敵と戦ったからだ。誰でもプロボクサーと素手で喧嘩をしようとは思わない。武器でも持っていない限り勝ち目は無い。戦って負けるよりは戦わずして負けるほうが上策だろう。
 孫子曰く「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。」所謂「戦わずして勝つ」だ。私はヘソ曲がりなので、戦って負けるよりは戦わずして負けるほうが遥かにマシだと考える。俗っぽい言い方をすれば「金持ち喧嘩せず」だ。
 戦犯という言葉が日常語として使われている。しかしこれは本来の、捕虜虐待などの戦争犯罪を意味せず、敗因を作った人に対して使われる。アメリカは東京裁判で戦前・戦中の日本の指導者を「平和に対する罪」や「人道に対する罪」といった法的根拠を欠く事後法によって裁いた。これは茶番劇だ。東京裁判の目的はアメリカ兵を殺したジャップに対する報復に過ぎない。こんなデタラメな裁判だからこそ戦犯という言葉の意味まで混乱してしまった。戦ったことや卑劣な戦いをしたことに対する問責ではなく負ける原因を作った者が戦犯と呼ばれている。A級戦犯は戦争を起こしたから悪いのではなく、負けると分かっている戦争をして負けるべくして負けたから戦犯なのだと日本人は勝手に曲解した。戦犯という言葉の意味がすっかり変わってしまったのは東京裁判が全く理不尽な裁判だったからに他ならない。

偏見

2015-11-17 09:49:24 | Weblog
 先日WHOが「加工肉を毎日50g食べると大腸癌に罹るリスクが18%高まる」と発表して以来、ハム・ソーセージ類の売上が2割ほど落ち込んでいるそうだ。食品に関する与太話は毎月のように公表される中でこの発表の影響はなぜこれほど大きくなったのだろうか。それは日本人の偏見と合致したからだろう。
 明治維新まで日本では獣肉食の文化がほぼ途絶えていた。動物性蛋白質は鳥と魚であり、明治の初期には「牛肉を食べれば牛になる」という噂まで流れた。ちゃんこ鍋の主要食材が鶏と魚と野菜であるのは伝統文化に基づいており決して「四つ足」を避けるという縁起担ぎが原因ではない。僧侶の多くが肉食妻帯を禁じられたのは肉食と肉欲が共に不道徳と考えられたからだろう。
 加工肉の歴史は肉食よりも浅く、ハム・ソーセージ類が定着したのは戦後でありしかも当初は主に魚肉ソーセージだった。加工肉には必ず食品添加物が使われており「買ってはいけない」などの与太本がその危険性を過剰に騒ぎ立てていた。
 こんな歴史的背景があるから「加工肉は悪い」という主張は日本人に潜んでいた偏見に見事にアピールした。だからこそ影響が大きかった。日本よりも遥かに多く加工肉を摂取する欧米ではこんな偏見とは無縁だったからこそこれほどの影響を及ぼさなかったのだろう。
 偏見は普段は隠れていることが多い。ところが偏見は情動を増幅する。関東大震災における朝鮮人虐殺やアメリカで頻発する白人警官による黒人に対する暴行などは明らかに偏見が露呈した暴力だ。
 偏見は反応を過剰にするだけではなく不合理を黙認する要因にもなる。公明党は軽減税率対象商品として一貫して「酒類を除く飲食料品」と主張している。この主張に疑問を感じないのは我々に「酒は悪い」という偏見があるからだ。確かに酒類は必需品ではない。しかし酒類には多額の酒税が掛けられている。酒税に消費税が掛けられれば二重課税になる。税金に税金を掛けるとはとんでもない話だ。これこそ究極の悪税だ。酒類については酒税が掛かっているのだから消費税免税にしても良いぐらいだ。こんな当たり前のことに気付かないのは「酒は悪い」という偏見を持っているからだ。「酒は悪い」という思い込みがあるからこそ酒税に消費税を掛けるという悪税まで黙認してしまう。
 公園の遊具の事故を過剰に騒ぎ、より重大な自転車事故を余り報じないこと、エスカレータ事故なら騒ぎ立てるがそれよりも桁違いに多い階段事故は無視すること、これらは偏見が生んだ歪な報道だろう。
 私はエスカレータでは歩く人と止まる人の共存が図られるべきだと考える。それはエスカレータ上を歩けば階段を走るのとほぼ同じスピードが得られしかも階段を走るよりも遥かに安全だからだ。マスコミは通勤時間帯での駅の階段がどれほど危険であるかを全く理解していない。