俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ツンデレ

2014-02-17 09:49:21 | Weblog
 ゲーム理論では「しっぺ返し」が最も有効な戦略とされている。その一方で「ツンデレ」という戦略もありかなり有効であるように思える。
 ツンデレでは、最初に非協調を選択する。従ってしっぺ返しの戦略の人と強調することは難しい。二度・三度と協調を働き掛ける「お人好し」としか親しくならない。
 ではお人好しはなぜツンデレに二度・三度と断られても協調を図ろうとするのだろうか。それはツンデレが何らかの高い能力を持っているからだろう。賢いとか美しいとかいった魅力があるからこそ何度でも接近を図ろうとする。
 能力の高い人の周りには自然に人が集まる。来る者は拒まずという姿勢であれば交際に忙殺されてしまう。だからハードルを高くすることによって自分の自由な時間を確保せざるを得ない。
 美女の周りにも男が群がる。そして男はそれぞれが独り占めをしようとして争いが始まる。まるで男を弄ぶ女王様のようだ。こんな人には「悪女」あるいは「浮気女」という悪評が立つ。
 美女の戦略としては多少お高くとまったほうが本人のためにも周囲のためにも良かろう。ツンデレの美女なら恋人からは大切にされる。男は頼りにされればそれに応えようとするものだ。増してやそれが美女であれば何を犠牲にしても期待に沿おうとするだろう。
 ツンデレという戦略は特に魅力的な人にとっては有効でありかつ必要な戦略だろうがそれ以外の人にはお勧めできない。イメージの良くないツンデレという言葉を敢えて使ったが実はこれは「人見知り」のことだ。ゲーム理論は面白いが、人にはそれぞれ個性があるので一概にどんな戦略が有効かを決めることはできない。

断食芸人

2014-02-17 09:24:17 | Weblog
 鳥羽水族館のダイオウグソクムシが14日に死んだ。5年余り絶食して死んだ。これは必ずしも完全絶食していた訳ではあるまい。水中の微生物や栄養素を摂取していたのだと思う。人が流動食や点滴によって固形食の栄養を補完するようなものだ。
 多くの人がこの奇妙な動物に関心を持っていたようだ。なぜ食べないのか、が共通の疑問だろう。私はこの情報に触れる度にカフカの「断食芸人」を思い出していた。サーカスにいた断食芸人は餓死する直前に語った。「食べたい物が無かったから食べなかった」と。
 普通の人なら食べたい物が無くても空腹になれば食べる。しかし食べたい物が無ければ食べない自由もある。私は「食べない自由」という思いがけない思想に驚いた。
 欲が無いと思える人が実際にいる。地位や名誉や金銭に執着せず、理想のために生きる人がいる。彼らは欲が無い訳ではない。彼らの欲とは自己実現であり地位や名誉や金銭などによっては満たされない。それは100mを10秒で走ろうとする人が、11秒や12秒のタイムで優勝しても全然満足できないのと同じことだろう。彼の目標はレースで勝つことではないからだ。
 高い理想を持つ人は世間とは違った価値体系を持つ。自分が本当にやりたいことを自覚しているからつまらない栄誉など無視する。本当に食べたい物がある人にはつまらない物を食べない権利がある。
 地位や名誉や金銭を基準にして生きる小人ばかりではない。そういう高貴な人はこれまでに大勢いたし今後も現れ続けるだろう。競争で勝つことよりもフェアプレーを重視するスポーツマンは少なくない。宗教を現世利益と思っている小人には高級な宗教は理解できないだろう。

右派

2014-02-15 10:18:06 | Weblog
 政治としての右派と歴史観としての右派は区別される必要がある。政治は既に右傾しているから政治的右派とは極右の偏った政治思想だ。歴史観は戦後一貫して左傾したままだから正しい歴史観が右派と見なされている。右・左は相対的な概念だがこれは不当であり是正するべきだろう。
 近現代史は覇権国アメリカを正当化することが最優先されている。
 北米ではネイティブアメリカン(インディアン)が原始共産制に近い平和で平等な社会を築いていた。土地の所有という概念を持たない彼らを騙して土地を取り上げることからこの国の歴史は始まる。こんな卑劣な建国を正当化するためには総てを歪めざるを得ない。
 黒人奴隷に対する人類史上最大規模かつ長期間の「品種改良」と人体実験が当時の最新技術を駆使して行われていたらしいが、この真相が公表されることは未来永劫あるまい。そんな非人道的行為をしたのはナチスと日本軍731部隊だけだったということにされている。
 ハワイ王国も簒奪した彼らにとって極東の黄色人種(イエローモンキー)の国日本は目障りだった。だから様々な挑発を繰り返した結果、日本は愚かにも彼らの罠に嵌って開戦して予定通りに惨敗した。ここからアメリカは自国史だけではなく日本史の改竄まで始める。極東国債軍事裁判(東京裁判)によって戦勝国が敗戦国を裁くという茶番劇を演出して日本人に対する思想統制が始められた。卑怯で残酷な日本軍を正義のアメリカ軍が打倒して民主化したというファンタジーだ。こんな馬鹿げた日本史を信じるのは阿呆と左翼教師だけだ。
 アメリカが押し付けたのは憲法と米軍基地だけではない。歴史こそ最悪の寄贈物だ。原爆投下という人類史上最悪の犯罪を正当化するために嘘の上塗りを続けている。日本の近現代史はアメリカ史と同様、アメリカ人によって作られたデタラメだ。
 超大国アメリカと喧嘩しても何のメリットも無いが、言うべきことは言わねばならない。黙っていれば嘘が事実に化けてしまう。曖昧さは思慮深さの現れでもあるが、二分法でしか考えない愚か者は勝手に黙認あるいは承認と意図的に曲解して歴史を歪める。

イルカ漁

2014-02-15 09:41:06 | Weblog
 ケネディ大使はイルカ漁を非人道的と非難した。欧米人のイルカ・鯨漁に対する反応は日本人には理解し難いところがある。欧米人が鯨を食べることに反対する理由は主に次の2つだ。1つは宗教的戒律でありもう1つは家畜と野生動物の区別だ。
 旧約聖書は「水中にいてヒレとウロコの無いもの」を食べることを禁じている(「レビ記」など)。だからウロコの無い鯨やイルカやタコやイカは食べてはならない。しかしキリスト教の普及以前から漁業が盛んだった地中海沿岸地域ではこの戒律は守られていない。キリスト教徒でさえ守っていない戒律を非キリスト教徒に守らせようとすることは余りにも傲慢だ。だからこの本音は滅多に表に出ない。
 もう1つは聖書のように明文化されてはいないが、家畜と野生動物は全く別の動物とする考え方だ。家畜はある意味では人造動物だ。人が関与することによって生まれた命だから人間が造物主に該当する。だから人間は被造物を自由に処遇しても構わないが野生動物はそうではない、ということだ。
 養殖と畜養の違いを考えれば比較的理解し易いと思う。近大鮪の場合、産卵・孵化から始めて成魚に育つまで一貫して管理下にある。このように一生を完全に管理するのが養殖であり家畜化だ。この場合、個体数を任意に増減することができる。一方、地中海黒鮪や鰻の場合は捕獲した稚魚を育てるだけだ。これが畜養であり、産卵・孵化には貢献せず捕獲するだけなので捕獲量を制限しなければ種の絶滅を招きかねない。家畜なら食べても良いというのは本来こういう意味だ。
 しかし宗教的戒律でさえ例外があるようにこちらも例外だらけだ。魚・野鳥・兎などは野生動物でありながら食用にされている。逆に犬や猫は家畜でありながら食用に使えば野蛮だと非難される。このように元々矛盾だらけなのだから彼らの基準を他民族に押し付けることは無理があり過ぎる。彼らの論拠の中には正当なものもある。少なくとも種を絶滅させるほど取り過ぎるべきではなかろう。イルカや鯨の場合、今のところ絶滅の恐れは無いのだから、彼らの文化の押し付けは迷惑なだけだ。ただの白人文化至上主義だ。

慰安婦の日

2014-02-13 10:17:16 | Weblog
 韓国は8月14日を「慰安婦の日」と定めて世界に訴えようとしているらしい。私はこの新しい記念日に賛同して可能な範囲で協力したいと思う。但し私は勝手にこう解釈する。
 野蛮で残酷で、スカトロ趣味の変態日本兵であろうとも、金儲けのために自ら股を広げて受け入れた売春婦が被害者面をしてマスコミに登場したことを記念する日。
 今なお韓国は売春大国だ。国内での規制が厳しくなると出稼ぎにも励むようになった。現在ではロシアと並ぶ二大売春婦輸出大国とまで言われている。売春ほど輸出に好適な商材は少ない。麻薬に匹敵する。利益率は非常に高いし、大半の国では非合法なので現地では納税の義務さえ発生しない。社会へ与える害毒も性病も総て現地で起こり、国内では何の問題も生じない。
 韓国人はなぜか見解の相違を認めない。自分達が絶対に正しくそれに反対する者は異常者だと考える。こんな姿勢は文明人が採るべき態度とは思えない。映画の「羅生門」あるいは小説の「藪の中」で見事に描かれたように、人の見る世界はそれぞれが大いに異なり純粋な客観性はあり得ない。
 人は物自体を知覚することはできない。自分の知覚器官を通じて現象として捕え得るだけだ。現象に解釈が加えられて初めて知識や情報になる。
 同様に事件を正しく知ることは難しい。事件には無数の背景がある。どの背景を重視するかによってその事件は全く違ったものと解釈され得る。
 慰安婦問題にも様々な背景がある。韓国は言論統制によって国内では他の解釈を禁じているが外国人ならどう解釈しても構わない。常識的な解釈に基づいて「慰安婦の日」を考えるなら「国辱の日」だろう。
 もしこんな記念日が韓国側の意向によって定められたなら、我々も8月14日には売春大国韓国の一層の繁栄を祈願して盛大に祝おうではないか。悪意に対しては悪意で応じざるを得ない。悪意を無視すれば更に増長させるだけだ。

報酬

2014-02-13 09:39:05 | Weblog
 結果の平等ほどの悪平等は無い。倫理的な意味ではなく経済性で考えても不合理だ。もし結果の平等が保証されたら社会はサボリ競争になってしまう。労働の質と量が下がるほどコストパフォーマンスが高くなるからだ。口実を作ってサボルほど労働単価は高くなる。そんな社会は成立し得ない。
 しかしその一方で、成果主義によって賃金格差を拡大することはどの程度必要なのだろうか。正当に評価することは必要だ。人は評価されることによって向上するからだ。しかしそれを賃金に直接反映することが唯一の策とは思えない。人は評価されたがるものだ。しかし2倍の成果なら賃金も2倍であるべきだと考える人は殆んどいない。1%の差でも良いのではないだろうか。
 それまで楽しんでいたゲームに報酬を付ければゲームの楽しみが減るという心理実験がある。チンパンジーでさえ一旦エサで釣られると無報酬の遊びを控えるようになるそうだ。賃金で釣ることは人を堕落させかねない。人はもっと誇り高い動物だろう。
 賃金ではなくもっと軽い報酬のほうが却ってやる気を高めるように思う。社内誌での紹介や表彰、あるいは社員食堂での優待など報酬としては小さくても周囲からも分かる形での優待は優越感を満たす。定年の1か月延長権も面白かろう。あくまで権利だから延長する・しないは本人の自由だ。
 貧富の差の大きな社会は不安定になり勝ちなのだから所得格差は極力小さくしたほうが良かろう。働かない人に対するペナルティは必要だろうが、それなりに働こうとする人に対しては手厚くあるべきだ。社会として支援すべきなのは障害や能力不足のために低賃金の仕事にしか就けない人であり、不正受給者などのフリーライダーを許容すべきではない。
 私は報酬と過度に連動する成果主義は日本に禍を招くと思う。日本人は貪欲なアングロサクソンとは違って1円でも多く稼ごうなどとは考えない。生活のために充分な賃金があればそれ以外に必要なのは誇りと称賛だろう。成果に対する報酬を賃金に限定して考える必要は無かろう。

鉄メダル

2014-02-11 10:01:20 | Weblog
 一番嬉しいのは金メダルで一番悔しいのは銀メダルだそうだ。銀メダルが悔しいのは、もう少しのところで優勝できなかったからだ。あくまで極論だが、競争においては唯一人の勝者と無数の敗者が生まれる。銀メダリストとは最上位の敗者に他ならない。頂点に立った者のみが真の勝者だ。
 銀メダリストと比べて銅メダリストは素直に喜べるらしい。メダリストの仲間入りできたということで達成感も味わえるらしい。4位になった選手は銀メダリストと同様、悔しいだろうと思う。
 では前回に引き続いて今回も4位に終わった上村愛子選手が爽やかなのはなぜだろうか。彼女自身も前回とは違って嬉しそうだし我々も素直に喜べる。これは選手としてのピークを過ぎているからだろう。前回までは優勝候補でありながら力を出し切れずに入賞に終わった。今回は本人も周囲も力の衰えを感じていた。持てる力を出し切っての入賞だから4位でも「よくやった」と評価されるし本人も素直に喜べる。
 オリンピックには金・銀・銅メダルしか無い。4~8位の入賞者に与えられるのは賞状だけだ。それなら日本独自に鉄メダルを授与してはどうだろうか。あくまで国内での表彰だからIOC(国際オリンピック委員会)も文句を言わないだろう。それでも選手にとっては大きな励みになる。
 多分フランス語で書かれている賞状は額縁に入れて飾っても絵にならない。それと比べて鉄メダルは絵になる。地域のイベントに招かれた場合でもそれを首に掛ければ誰でも理解できる。賞状を持って行くことは恥ずかしい。私は選手が誇らしげに賞状をかざす姿をテレビで見た覚えが無い。
 では対象はどうするか。私は4位だけを鉄にして5位から8位はアルミニウムなど様々な素材や合金にすれば良いと思う。そのことによって鉄メダルの価値が高まる。

人力発電

2014-02-11 09:32:11 | Weblog
 東京都知事選の細川候補への応援演説で小泉氏は「私自身が再生可能エネルギーだ」と言ったそうだが、老人パワーを実際にエネルギーに変えることができる。
 70代の人の4割がスポーツクラブに所属しているそうだ。クラブに所属せずにジョギングや水泳などを楽しんでいる人もいるだろうから老人のスポーツ参加率は驚くほど高い。
 スポーツクラブには多くのトレーニングマシンがある。電動式の機械が多いが非電動のものも少なくない。これをうまく使えば発電ができる。一番簡単なのはペダル踏みだろう。これを発電機の動力にすることは簡単だ。こんな機械なら私でも作れる。同じように様々なトレーニングマシンでも発電が可能だろう。このことで3つの効果が期待できる。
 直接的な効果はスポーツ施設の省エネだ。電動マシンの電力の一部を人力発電で賄えれば確実に省エネ・省コストに繋がる。施設の使用料を値下げできるかも知れないし、個々に買い取ることも可能だ。
 2つ目は参加者のやる気の向上だ。何キロカロリー消費したという消極的な評価ではなく何キロワット発電したという積極的な数値が得られる。このことはやる気を高め生き甲斐にさえ繋がり得る。自分が石油や石炭や原発の代わりにエネルギー源になれるのだから、大気汚染や原子力発電に反対する人にとっては大きな励みになる。
 3つ目は省エネ意識の向上だ。1kW発電するためにどれだけペダルを踏まねばならないかを自らの肉体で実感していれば、無駄な電力など使えなくなるだろう。
 このように人力発電は良いことずくめだ。しかしこのことが余りにも奨励されると私のような水泳愛好家は肩身の狭い思いをすることにもなりかねない。水泳によって発電することは多分不可能なだけに、発電しない=非生産的と見なされたら困る。

物語性

2014-02-09 10:15:23 | Weblog
 「モノではなくコトが大事だ」と言われた時代があった。単なる物ではなくその背景をも知ることによって感動が生まれると言われたものだがそれが招いたのは唯の権威主義だ。物の良し悪しを判定できない人が物語性だけで評価する馬鹿げた大衆文化だ。
 有名ブランド、カリスマ○○、ノーベル賞・アカデミー賞・芥川賞、金メダル、そして全聾の作曲家、こんな物語性だけに頼った商品に踊らされた消費者こそ阿呆だ。自分で良し悪しを判断できないから権威にすがり無駄な消費をする。ステーキと信じて加工肉を食べていた人が騙されたと騒ぐ。消費者庁の役人はサケとマスを区別できるのだろうか。
 商品であれ音楽であれ誰の作品であるかに関係無く良いものは良い。ビートルズは大々的に偽装をしていた。作詞・作曲レノン&マッカートニーという嘘だ。なぜこんな嘘を使ったのか分からないが、実際にはジョンかポール個人の作品であり共作は殆んど無い。ファンは誰の作品かなど気にせずに好きな曲を選んだ。私は未だかつてこの「偽装」に怒った人を一人も知らない。
 発言で重要なのは誰が言ったかよりも何を語ったか、だ。著名人の発言なら大騒ぎして、無名人ならたとえどんなに素晴らしい発言であろうとも無視をする。是々非々の姿勢は全く見られない。言論の世界も権威主義だ。芸能人の著書は大半がゴーストライターによるものだろう。マスコミはこれも偽装として騒ぐべきではないだろうか。
 新聞の科学記事では専門家盲信で無知を曝け出す酷いものがしばしば見受けられる。公的機関の発表を、科学に疎い記者が垂れ流しにするからだが、俄仕込みでも構わないから少しは勉強したらどうかと思う。歴史に関する嘘については確信犯なのか騙されているのか本気で信じているのかは何とも判別し難い。

種の変異

2014-02-09 09:41:43 | Weblog
 漫画の「ドラゴンボール」のサイヤ人は死にそうなほど酷い目に会うと格段に強くなるという設定だが、生物には本当にそんな特性が備わっているのではないかと思う。こんな妙なことを書くのは最近2つのことを知ったからだ。
 1つ目は今年最大とも思える大事件で過去何百年の細胞生物学を根底から覆すかも知れない小保方晴子氏らによるSTAP細胞の発見だ。弱酸性液に浸けるなどのストレスを付加するだけで体細胞が万能細胞に変わるなんて考えられないことだ。
 もう1つはベニクラゲという動物が生命の危機に瀕すると一旦体細胞を崩壊させた上で万能細胞に戻って再生するという俄かには信じがたい話だ。
 体細胞がストレスによって万能細胞に変わるのなら、元々万能細胞である生殖細胞がストレスによって影響を受ける可能性は充分にある。
 自然状態では突然変異は滅多に起こらない。それは既に適応しているから変異の必要性が少ないからだろう。既に適応していれば変異の少ない個体が適者であり変異の多い個体は不適者として既に淘汰されているのだろう。だからこそ放射線を当てたりして無理やり突然変異を起こす実験が行われている。
 ではなぜ放射線を当てれば突然変異率が高まるのか。通常、放射線がDNAを破壊するからと説明されているが、ストレスが生殖細胞の変異を促しているからではないだろうか。種の絶滅に瀕するほどに環境が悪化した時には生殖細胞が変異して次世代において突然変異が顕在化しているように思える。つまり強いストレスが生殖細胞を奇形化するということだ。
 変異しない筈の体細胞でさえストレスによってSTAP細胞や癌細胞に変異するのなら、元々変異し易い万能細胞である生殖細胞はストレスによって容易に変異し得ると思う。
 環境に不適応なままでは滅んでしまうが、たとえ大半が不適応になろうとも変異することによって適応できる個体も生まれ得る。極悪な環境になればそのままでは絶滅する。そんな時には生殖細胞がストレスによって変異して様々な突然変異体が生まれる。変異しなかった者や殆んどの突然変異体は淘汰されて、環境に適応できたごく一部の変異体のみが生き残る。これが種の絶滅と新種の誕生であり、進化とはかくも過酷なものなのだろう。もし適応できる変異体が生まれなければその種の系譜はそこで途絶える。