【富山その3】
前ログ(過去ログ)では、二日目における富山市内での行動や出来事を綴らせてもらったが、ここではその残りの行動と高山への移動についてコメントしたい。
【午前中は天気も頑張ったが】
午前中は、少々晴れ間ものぞくほどで天気としては「薄曇り」といったところだったため、街中(総曲輪地区や神社巡り)の散策、酒屋店巡りなどをして富山を楽しんでいた。
そして、総曲輪にあるグランドプラザ前という電停から路面電車で富山駅へ戻ったのだけど・・・。
先でお知らせしている通り、お昼から猛烈な雨に見舞われるんだよ~。
【富山に来た本来の目的】
富山へは、そもそも護国神社に行くという名目で旅行を計画していた。
(福井も石川もその流れなんだけどさ)
その流れで、知人の紹介などがあった氷見市での割烹料理店往訪という予定を組んでいたのだけど、ご存じのとおりコチラはおじゃんに。
そのため、富山駅周辺の散策という時間が出来たともいえる。
富山駅周辺は千葉でいうとどんな雰囲気かというと、稲毛より都会的で津田沼より静かといったところかなぁ。
百貨店も総曲輪まで出て行ったところにある「大和」というものしかないし。
まあ、県庁所在地のなかでも三重県の津よりは賑やかで華やかであることは間違いない。(失礼)
<駅周辺には観光客用なのか立派な案内図が交差点の各所で見られる。この辺はよそでも見習ってほしいアイディアだと思ったなぁ。>
【富山県の地酒について】
知人からは高岡の「勝駒」だけは飲んでみてこいと言われていたので、前夜は純米だったが居酒屋で頂いてきた。
たしかに純米らしからぬ雑味がない爽やかな飲み口だったが、特段めちゃめちゃスゴイ美味しいという感じもなかった。
これだったら関東でも飲める「羽根屋」のほうが断然うまいと思うが皆さんはどう思うかな?
酒屋そのものも相当小さいらしいが、販売網を絞ることで希少商売して生き残っているともいえようか。
市内4店舗の酒屋を回ったが、一般人だと全体に店頭では買えないことを各店舗で教えてくれたのは余談まで。
(大和の酒店から聞いた話だと、発売予定日には居酒屋が百貨店開店の4時間以上前より並ぶという。小売店の店頭で売っていないのに居酒屋なら飲めるというカラクリはここにある。)
ちなみに、ギフトのシーズンになると買値の4倍で流しても買い手があるという人気ぶりらしいが、これは味よりも希少性に注目されるお酒だということだな。
<富山駅周辺を散策中、”ますのすし”のお店を数多く見かけるのだけど、我々が知るあのお店だけでなくいっぱいの販売店が市内にはあるみたい。ここは、そのうちの”まつ川”というお店の前だ。>
【スカイバス事変のあとは高山へ向かう】
びしょびしょのカラダのまま立山そばを掻っ込んで富山駅へ向かったまでは過去ログに示した通りだけど、その後も想定外の事態は続くのよね。
まあ、それも旅行の醍醐味とはいえ、ちょっと堪えたんですよ・・・
【高山本線の各駅停車は”まさかの”乗客率】
富山駅からはJR高山本線に乗車するため「あいの風とやま鉄道」の改札を抜ける。
なんとも不思議な気分だが、この富山駅だと在来線の立場はJRのほうが下。
高山本線の切符自販機すらないという扱いだから徹底しているよね。
先日のうちにみどりの窓口にて買っておいた高山までの乗車券を見せて、高架ホームにあがっていくと、なんとなんと・・・・
ホームは学生を中心に埋め尽くされているではないか。
(マジで乗れないかと思うくらいで、人の多さもそうだが高山へ行けないかもとよぎったほうに焦ったヨ。)
期末試験にしては時期尚早だろうから天候のこともあって半ドンになったのかもしれない。
とにかくたった2両編成の気動車にパンパンに押し込められ、学生9割・荷物を抱えた観光客1割で高山のはるか手前の猪谷まで列車が向かうことになった。
【苦痛の苦痛が40分】
学生たちは、こんな状況なんのそのって感じで平然としていたので、ピーク時だといつもこんな感じなのかもしれん。
しかし平日の昼下がりで、しかも地方行きという列車がそんなに混むとは考えもしなかったので面食らっていたオレ。
重い荷物を抱えながら、学生が婦中鵜坂で1割、速星で5割、越中八尾で4割降りていく様子を吊革につかまりながら眺めていた。
つまり、乗車してから40分は座ることが出来ず、こうなると思わず富山で散々歩いたりしたカラダが疲労感を増加させることにもなった。
【普通列車の乗換駅「猪谷」のナゾ】
富山から発車するすべての普通列車は、最大に向かってもこの猪谷駅どまりとなっている。
(富山から高山はおろか飛騨古川まで一本で行ける列車は特急以外に存在しない。)
観光客しか乗車していない猪谷駅に停車し、当駅どまりの列車から自分を含め面倒くさそうに名古屋方面(美濃太田ゆき)の列車に全乗客が移動する様子を見せるのよ(笑)
時刻表を見ていただけでは、そのナゾの理由は全く分からなかったけれど、猪谷の手前の「楡原」という駅を過ぎたころから、段々分かってきたんだよ。
なぜならその辺を境に「山間部の集落地帯」という雰囲気から一気に「マジ山間部」へ変貌するからね。
つまり、飛騨古川から猪谷までの区間というのは、天候や状況によって非常に影響を受けやすいということを自身が(改めて)猪谷に来て理解したワケ。
(逆に富山から越中八尾の区間は、学生を支えている区間だということを今回知ったのだった。)
【PS】
猪谷から美濃太田までは、別の2両編成で向かう。
しかし自分が降りる高山までは、ほとんど乗降客もおらず、客一人が一つのロングシートを確保できるほどの乗客しかいなかった。
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