東京ディズニーランドでの感動秘話の秘密を、元副社長である上澤昇さんが書き記された”魔法の国からの贈りもの”という本を読み
ました。
本場米国のディズニーランドは、マニュアルが徹底して、サービス品質が高いレベルで標準化されているそうです。
ただ、上澤さんが米国ディズニーランドを訪れた際に、何か不足したものを感じられたとのこと。
それはマニュアル遵守が目的化して、人としての温かみを感じるサービスになっていないというもの。
一例としては、パーク内で救護が必要な方が発生した場合、救護連絡をして、引き渡しをする以外のことは、キャストは実施しない。
ということがあげられていました。
当然、処置や判断ミスがあった場合の訴訟問題を回避する目的で、リスク管理が徹底されているという取り方もできます。
ただ、日本人的には、救護が必要な人に対して、何もしないで見ているだけというのは抵抗がある!と米国にかけあったみたいです。
が、米国の主張はマニュアル通りにせよ。の一点張り。
そこで、東京ディスニーランドでは、キャストに救護の資格を取得してもらうことで、マニュアルを超えたサービスを提供することに
成功したとのことです。
この出来事以外にも、障がい者に搭乗を遠慮してもらっているアトラクションに対しても、キャストが同上するなどにより安全性を確
保し、マニュアルを超えたサービスを提供している例もあるそうです。
どうしたら、問題が起きないか!というリスク管理の観点を重視するか、どうしたら安全に搭乗してもらえるのかという観点でものご
とを考えるかの根本が異なるという表現もあり、日本人の温かさも捨てたもんじゃないな!って感じました。
ぜひぜひ、古き良き日本人の温かさを誇りに持って、素晴らしい社会を作っていきたいと感じました。
ました。
本場米国のディズニーランドは、マニュアルが徹底して、サービス品質が高いレベルで標準化されているそうです。
ただ、上澤さんが米国ディズニーランドを訪れた際に、何か不足したものを感じられたとのこと。
それはマニュアル遵守が目的化して、人としての温かみを感じるサービスになっていないというもの。
一例としては、パーク内で救護が必要な方が発生した場合、救護連絡をして、引き渡しをする以外のことは、キャストは実施しない。
ということがあげられていました。
当然、処置や判断ミスがあった場合の訴訟問題を回避する目的で、リスク管理が徹底されているという取り方もできます。
ただ、日本人的には、救護が必要な人に対して、何もしないで見ているだけというのは抵抗がある!と米国にかけあったみたいです。
が、米国の主張はマニュアル通りにせよ。の一点張り。
そこで、東京ディスニーランドでは、キャストに救護の資格を取得してもらうことで、マニュアルを超えたサービスを提供することに
成功したとのことです。
この出来事以外にも、障がい者に搭乗を遠慮してもらっているアトラクションに対しても、キャストが同上するなどにより安全性を確
保し、マニュアルを超えたサービスを提供している例もあるそうです。
どうしたら、問題が起きないか!というリスク管理の観点を重視するか、どうしたら安全に搭乗してもらえるのかという観点でものご
とを考えるかの根本が異なるという表現もあり、日本人の温かさも捨てたもんじゃないな!って感じました。
ぜひぜひ、古き良き日本人の温かさを誇りに持って、素晴らしい社会を作っていきたいと感じました。
するどいコメントありがとうございます。
この本の中にも、オリエンタルランドの理念というか、社員に意識しておいてもらいたいこととして、お給料は会社からもらうのでなく、ゲストからいただくもの!と書かれていました。
ゲストに夢と感動を与えることがキャスト(従業員)の使命との記載もあり、その使命を果たすために何をするのかの標準がマニュアルに書かれているだけで、マニュアルに書かれていないことでも、使命を果たすために必要であれば、個々人の判断で実施する体質ができているみたいです。だから感動秘話が絶えないんでしょうね。
こういうメッセージをトップが語り続け、会社に浸透させることができたら、魅力的な会社・社会になるでしょうね。
心ある対応を取りたくても、それが障害。
そして、そういう個別対応を取ると、平等性に欠けるといって処分する体質は震災後も変わりません。
さらに、震災前のマニュアルの大半が未更新のため、旧態依然の業務をしなければいけない!、というナンセンスな状況が続いています。
マニュアルって企業側の責任逃れという代物に成り下がってしまった気がするんですね。
不祥事が起こると、社長や役員は研修で習ったとおりに頭を下げますが、処分されるは管理職でもない社員個人なんですよね。マニュアル違反したとかいって。
マニュアルのメリット・デメリットを理解して、仕事をする企業は素晴らしいですね。
要は、誰のために働いているのか、わかっているってことなんでしょうね。