甲州街道は酒折宮で突然左直角にまがります。
いわゆる桝形ってやつです。
街道の途中で酒折宮の石柱がありました。
この石柱、よく見ると二カ所折れたものを繋ぎ合わせたように見えますね。
何かあったのでしょうかね?
酒折宮は日本武尊(ヤマトタケル)に所縁のある神社のようです。
ですから、創建は不詳です。
とにかく、相当古い!らしい。
ということで、是非とも立ち寄らなけ . . . 本文を読む
行動の方が先走りしてしまい、書き溜まってしまった旅ラン記録ですが、ようやく2020年代の記録を書けるようになりました。
この時の旅ランの日付は3月6日(金)になります。
この時期は新型コロナウィルスが問題になりはじめ、外出時には皆一様にマスクをかけ始め、しょっちゅう手を洗い始めた頃でした。
ただ、今ほどデリケートではなく、世間一般の新型コロナに対する認知度としては、それ程ではなかったかと . . . 本文を読む
峠を越え、アスファルト道路に出てみたものの、すぐさま山道になりました。
静かに特訓していたチューバの白鳥を聴きながら再び山の中に入っていきます。
矢印の方に降りていきます。
ですが、すぐまたアスファルト道路に出ます。
道路がクネクネして山を下りていて、それを突きさすように旧道があるようです。
場所によっては旧道に入るために道路ガードを跨がなければなりません。
旧道の為に . . . 本文を読む
始めに、現況のお知らせです。
今回の投稿は昨年の2019年8月4日に走った内容を思い出しながら追っかけて書いています。
実際は2020年3月26日に旧甲州街道は完走いたしました。
どうしても、行動の方が先走りしてしまい、記録の方が遅れがちです。
ですが、暇を見つけながら、記録の方も早く実際の行動に追いつきたいと思っています。
今後の街道ランの予定としては旧中仙道ランが和田峠手前の佐久平のあ . . . 本文を読む
写真は稲村神社の合体道祖神の前にて
小さな宿場である白野宿(しらのしゅく)を目指しました。
庚申塚
白野宿
特に甲州街道の案内というものがない宿場跡でしたね。
国道20号線とJR中央線の間に挟まれた位置にあるが、ただただ、静かな宿場です。
旅籠よろず屋跡
臨済宗、宝林寺
ここには風林火山の武田軍に家を滅ぼされ、信玄に夫(笠原新三郎)の仇である小山田 . . . 本文を読む
雑木林と背の高い雑草の中の旧甲州街道を走って初狩宿に向かいます。
全く人気を感じない道です。
目にはみえませんが、時たまクモの糸を引きちぎる感じがしたりしましたから、人が通っていないことが判ります。
旧甲州道の初狩宿にむかう・1
旧甲州道の初狩宿にむかう・2
砂利採石場がありました。
ココも人気はないです。
下初狩宿の踏切を渡る
踏切を渡るとすぐ「聖護院道興歌碑」がありました . . . 本文を読む
右手の岩殿山が家々の間からチラチラ見えていましたが、商店街の中にはいると見えなくなりました。
煉瓦舗装された綺麗な旧甲州街道(さつき通商店街)
狭い道幅と、くねくねと道が曲がっているのが旧道だと感じられるところでしょうか?
所々、飲食店などがあり、かつては賑やかな商店街であったんだろうと思われます。
大月駅の駅前ロータリー
ここは、今でこそ大きな町であり、大き . . . 本文を読む
猿橋宿の青面金剛王庚申塔
猿橋宿の宿場町らしい雰囲気がなくなり、平凡な国道20号線の景色をしばらく走ると、その景色に不釣り合いな「紅富士大太鼓道場」という建物が目にはいりました。
---------以下、紅富士大太鼓のHPより抜粋
紅富士太鼓の結成は平成9年(1997)1月。そのきっかけとなったのは母体である日本ステンレス工業(株)が行った阪神大震災のボランティア活動。共に . . . 本文を読む
朝は曙、薄暗い時間から起きて、近くの駅からJR中央本線の始発で鳥沢駅に向かうことにしました。
こんな時間だというのに、出発駅のホームで酔っ払いが寝ていました。
始発前のホームにいるということは、この近くで飲んでいて夢うつつの状態でなんとか始発に乗ろうとしたのでしょう。
ただ、駅ホームに着いたとたん、安心して気が抜け寝てしまったに違いありません。
あそらく始発には乗れず、駅員に起こされるまで . . . 本文を読む
旧甲州街道にしては狭い苔むした坂を登っていきました。
道の踏み跡からあまり人が通らない道の様でした。
矢坪坂の古戦場跡へ(旧甲州街道ラン)
途中の神社の名前が気になりました。
武甕槌神社(タケミカヅチジンジャ)
別称:鹿島神、鹿島大神、鹿島大明神
鹿島神宮や香取神社の主神で雷神、かつ剣の神だそうです。
さらに、先を進みます。
この先に難所の座頭転ばしがあるはずです。
. . . 本文を読む
つづいて野田尻宿に向かっていきます。
中央高速の建設により砦跡が全て破壊されてしまって石碑がたってました。
---------〔現地解説板より 上野原市教育委員会〕
鳶が崎から矢坪坂付近までの丘陵を長峰と呼んでいました。この長峰の鳶が崎や鳶の巣はたびたび北条氏と武田氏が小競り合いをした中世の古戦場でした。ここに加藤丹後守景忠が砦を築き、外敵進攻に備えたと言われます。
ここは古から交通の要 . . . 本文を読む
ハーッ、ハーッ
ヒーッ、ヒーッ
フーッ、フーッ
強烈な赤の鳥居の神社がありました。
ココは江戸日本橋から18番18里に当たる上野原市の塚場一里塚の跡地です。
実際には神社裏手の小高くなった竹やぶの中辺りにある直径9m高さ2mの円丘がそうらしいです。
さらには、その円丘は、この辺りの古墳群の一部らしいです。
塚場という地名は、その辺りからきているのでしょうね。
そし . . . 本文を読む