先週の2月9日にチック・コリアが亡くなっていたのを月曜日に知った。
死因は珍しい型の癌ということらしいがそれ以上詳しくはわからない。享年79歳。
とにかくちょっとショックだった。
なので月曜の夜からチック・コリアを聴いていて、しばらくの間は聴き続けてしまいそうで、やはり初期の作品が中心になりそう・・・。
彼の音楽の本質的な部分がこれらの作品に網羅されていると思っている。彼の年齢としては20代~30代の始めまでの作品だが、音楽的にはこの頃に若くしてやり尽くしてしまった感が強い。しかもそれが彼個人の能力の限界ということではなく、JAZZという音楽そのものの可能性=限界を突き詰めてしまったと言えそうだ。良し悪しではなく、そうなってしまったという事だ。
そのやり尽くしてしまった彼のその後をなお非凡なものにしているのは、音楽表現の限界がよく自覚化されていて屈託がないことに尽きると思っている、音楽に過剰な意味付与がなく、音楽を語れるのは言葉などではなく音楽でしかないという事をよく理解していた人なのだと思う。加えてこの人ほど表現にコンプレックスを感じさせない人は珍しい。だから何をやっても陰に籠らずほんとに嫌味がない。
彼は逝ってしまったが、彼自身が彼自身の表現に関して思い残すことは何もなかっただろうと信じられる。
彼を超えるジャズピアニストは今後しばらく現れないに違いない。
音「楽」家であり続けた類い稀な人だ。 R.I.P.
死因は珍しい型の癌ということらしいがそれ以上詳しくはわからない。享年79歳。
とにかくちょっとショックだった。
なので月曜の夜からチック・コリアを聴いていて、しばらくの間は聴き続けてしまいそうで、やはり初期の作品が中心になりそう・・・。
彼の音楽の本質的な部分がこれらの作品に網羅されていると思っている。彼の年齢としては20代~30代の始めまでの作品だが、音楽的にはこの頃に若くしてやり尽くしてしまった感が強い。しかもそれが彼個人の能力の限界ということではなく、JAZZという音楽そのものの可能性=限界を突き詰めてしまったと言えそうだ。良し悪しではなく、そうなってしまったという事だ。
そのやり尽くしてしまった彼のその後をなお非凡なものにしているのは、音楽表現の限界がよく自覚化されていて屈託がないことに尽きると思っている、音楽に過剰な意味付与がなく、音楽を語れるのは言葉などではなく音楽でしかないという事をよく理解していた人なのだと思う。加えてこの人ほど表現にコンプレックスを感じさせない人は珍しい。だから何をやっても陰に籠らずほんとに嫌味がない。
彼は逝ってしまったが、彼自身が彼自身の表現に関して思い残すことは何もなかっただろうと信じられる。
彼を超えるジャズピアニストは今後しばらく現れないに違いない。
音「楽」家であり続けた類い稀な人だ。 R.I.P.
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