ボリビアの首都・ラパスは標高4000メートルのところにある、「すり鉢状」をした町である。日本人の僕は5分も歩いていると、息切れがして、座り込んで休まなければならない。ラパスにも遊園地があって、「お化け屋敷」のような施設やジェット・コースターを堪能した。この町で、お金持ちが住むのは、すり鉢状の真ん中なのである。すり鉢の端の方はスラム化している。何故、金持ちがすり鉢の底に住むか分かりますか。それは、「空気が濃い」からなのです。これは、このくらいの標高になってくるととても大事な事で、ペルーのマチュピチュの遺跡を見に行った時も、4時間列車に揺られてるうちに段々頭痛も息苦しさも無くなり、次第に高度が下がっているのを実感しました。「空気」って、ほんと大切なものです。
1982年だから、23年くらい前、初めて海外旅行に行った。ヨーロッパに行くには、当時、直行便は無く、アンカレッジで一度トランジットして飛行機は飛んでいた。「ソ連」の上空を飛べなかったのも理由の一つだ。機内食も物珍しく、添乗員さんはあまり食べられなかったが、僕達学生は喜んで食べていた。機内食で出てきたスプーンやフォークを記念にしようと荷物に隠す奴もいた。「ブリティシュ・エアウェイズ」と書いてあるからだ。
ロンドンのヒースロー空港で、飛行機を降りた時、早朝だったが、興奮していた。ほんとに地図でしか知らなかったヨーロッパの地を自分の足で踏みしめているという感動が胸にせまってきた。何故、この昔の旅行の話をしたかというと、ギリシャ・アテネのホテルにチェック・インする際、フロントのホテルマンが「手を出せ」と僕の手を引っ張るのだ。不思議に思いつつも、手を出すと、彼の手の中のピーナッツが僕の手のひらに落ちてきた。そして、僕を見て、彼はにっこりと微笑んだ。なんと「粋」でユーモアがあるのだろうと感心感心。日本でこんなことやるホテルマン、いないものなぁ~。みんな、或る程度のマニュアルで動いているのだと思う。個人主義のヨーロッパだから体験できた事かもしれない。アテネは親日的な町だった。
アテネの夕食開始時間にも驚いた。午後10時頃なのである。従って、日本人の夕食を食べる午後7時頃に開いているレストランはほとんど無かった。国によって、いろいろ習慣も違う事を実感させられた。
ロンドンのヒースロー空港で、飛行機を降りた時、早朝だったが、興奮していた。ほんとに地図でしか知らなかったヨーロッパの地を自分の足で踏みしめているという感動が胸にせまってきた。何故、この昔の旅行の話をしたかというと、ギリシャ・アテネのホテルにチェック・インする際、フロントのホテルマンが「手を出せ」と僕の手を引っ張るのだ。不思議に思いつつも、手を出すと、彼の手の中のピーナッツが僕の手のひらに落ちてきた。そして、僕を見て、彼はにっこりと微笑んだ。なんと「粋」でユーモアがあるのだろうと感心感心。日本でこんなことやるホテルマン、いないものなぁ~。みんな、或る程度のマニュアルで動いているのだと思う。個人主義のヨーロッパだから体験できた事かもしれない。アテネは親日的な町だった。
アテネの夕食開始時間にも驚いた。午後10時頃なのである。従って、日本人の夕食を食べる午後7時頃に開いているレストランはほとんど無かった。国によって、いろいろ習慣も違う事を実感させられた。
「このミステリーが面白い」という本が毎年、年末に出て、その本で一位になった推理小説がまたベストセラーになるという現象がここ10年くらいの間で起きています。「情報過多」で、すべてのミステリーを読むくらいなら、人がお薦めの本を読む方が効率的だと思う人が増えているのでしょう。しかし、実際一位になった本を買って、何年か読みましたけれど、僕が読んだ違うミステリーの方がダントツに面白くて、やはり、映画や本は、10本、10冊、見て読んで、良いものにたどり着くという「過程」が必要なのかもしれません。「車」なんかでもありますが、電気製品や携帯電話の評論家の本がそのうち、溢れるのではないかと心配です。実際「MONOマガジン」とかでは、そのような特集をやっていますから。どんなに、家の机の周りが本だらけになっても、僕は自分の感性を信じます。
最近、電車や飛行機に乗って、本でも読もうと思うと、一瞬にして寝てしまう。特に電車の場合は眼が覚めた時、自分が今、会社に向かっているのか、帰りなりか、何線に乗っているのかの「状況把握」が一瞬できなくなり、オロオロする。飛行機の場合は、動きだした瞬間に熟睡を始め、着陸した音で、目を覚ます。よっぽど、疲れているのだろうか?それとも、「精神安定剤」の影響だろうか。だから、最近は出勤の際には、電車のイスに座らない様にしている。今日も飛行機の中で、意識を一瞬にして失った。昨夜の「飲み会」疲れかもしれない。かなり飲んだ。ウコンのせいか、二日酔いにはならないが、酒を飲み出すと、タバコも吸わないので、速いピッチでグラスの酒が空いていく。飲み放題だったので、空になったら、お店の人が新しい酒を持ってきてくれる。10人ちょっとの飲み会だったが、体育会系の「ノリ」でついつい、飲んでしまった。二日酔いがあった方が良いのかもしれない。「もう、お酒を飲んでこんなシンドイ状況なるのはいやだぁ~」と思えるからだ。しかし、「ワイン」や「日本酒」の二日酔いは、「便所の壁に頭を打ち付けるくらい、シンドイ。あんな目には二度と遭いたくないのだ。
大阪環状線に乗っていて、気になる「車内アナウンス」を聞きました。「この電車の前から五両目は『女性専用車両』です。マナーを守って、『快適な』車内環境作りに御協力をお願いします」という内容だったのですが、なんか、この文脈だと、「男性」は、「快適な車内環境作り」の邪魔をしているというか、「男性は汚いものだ」という深読みをしてしまいました。男女同権と言われている、今の世の中、京王線でもありますが、「女性専用車両」は如何なものなのでしょか?「痴漢対策」という意味合いもあるのかもしれませんが、鉄道会社が、そんなこと決めていいのかなぁ~と思ってしまいます。欧米ではどうしているのでしょう。「女性専用車両」なんか作ったら、「男性」からも、「女性」からもブーイングが来るのでは。「逆セクハラ」ですよね。それに黙って乗っている僕も含めて、男性はもっと主張した方が良いのかもしれません。
心が「鬱」になった時、「小さな旅」にでましょう。例えば、前に会社があった市ヶ谷に、僕は京王線・都営新宿線で通勤していました。朝乗る電車の行き先は「本八幡」。行ってみました、「本八幡」に。千葉県の下町で、結構庶民的な町でした。市ヶ谷にはたくさんの鉄道が通っていて、地下鉄有楽町線で、「和光市」と「新木場」へ行きました。南北線で、「浦和美園」と「溜池山王」(当時の「南北線」の終点)にも行きました。もっと「鬱」がひどくなると、会社から東西南北、歩けるところまで歩く、という事を試してみました。「赤坂」が「坂の多い町」だと分かったのも、その「小さな旅」でした。僕は「調布市」に住んでいるのですが、休みの日に「小さな旅」をしたくなると、「二子玉川」や「多摩センター」「新宿」まで、4~6時間かかって、歩きました。「二子玉川」まで行った時は、大衆食堂に入り、ビールをグビグビ飲み、帰りはバスで帰ってきました。「旅」の行き先は、実は身近にあるのです。ちょっと「好奇心」を持てば・・・ステキな「時間」が持てるはずです。
熱帯魚の「グッピー」は、孵化した自分の子供を食べるのです。そういうこともあって、グッピーの孵化が行なわれた後、グッピーの子供達が、水槽の下に下りていって、母親と離す二つの部分に分かれた水槽を市販しています。メスカマキリが産卵後、オスカマキリを食べるのと違って、母親が産まれたての自分の子供を食べようとするのは、自然の摂理とはいえ、かなりショックな事です。熱帯魚を母が好きで飼っていましたが、エンゼルフィッシュといい、飼育が難しいということを知りました。ある日、家族旅行から帰ってみると、水槽に穴が開いていて、水がすべて無くなり、熱帯魚はすべて死んでいました。小学校の頃です。
「すいか」の食べ方はどうしていますか?僕は「ガブリ」と噛んで、種と身を口の中で餞別し、種を皿に吐き出すという食べ方です。しかし、種をすべてとってからでないと、食べられない人って、周りにいませんでしたか?今は「種無しすいか」もあるから、そんな「種」に関する心配も無用なのでしょうが「、鍋奉行」と似ていて、「種を一生懸命、掘り出す、その人の姿」が結構面白かった記憶があります。「すいか」以外の果物で、かわった食べ方をするもの・・・ありますか。僕は「いちじく」は嫌いです。どうでもいい事ですが。バナナは好きで、バナナミルクと言われると、もっと心惹かれます。イチゴは「練乳」か「牛乳」をかけて、つぶして食べるのが好きでした。つぶす用に、スプーンの円形の部分が、イチゴ用にくぼんでいるスプーンがあり、これだとすべらないで、イチゴを食べれるので、愛用していました。今でもあるのかなぁ。結婚してから、「練乳」「牛乳」をかけて食べた事はありません。子供が「乳製品」に関してもアレルギーがあるからです。
母方の祖父は、ダンディーな明治の人で、とても厳格でした。「靴やスリッパはちゃんと揃えて脱ぐ様に」とか「おしりをちゃんと洗って風呂桶に入る事」とか・・・おしりを思いっきり洗われて、おしりが真っ赤になった事もあります。掃除もきちんとしてなければ、ダメでした。だから、廊下は「鏡」の様に磨かれて、顔が映るほどでした。髪型もきちんと、決まったところで分け、洋服もパリッとしていました。祖母は、「どんぶりでコーヒー」を飲むという様な、おおらかな人でした。僕達、孫にとっては。納屋とかで、「干瓢(かんぴょう)」を向いていた姿が印象的でした。夫婦って、「似たもの夫婦」などと言いますが、全く反対の場合もあるのですね。二人とも、今は天国で僕らを見守ってくれていると思います。時間の経つのは速いものですね。
僕の父方の祖母は、10年以上前に、90歳くらいで亡くなった。昭和45年くらいから、白内障の為、目が見えなくなり、唯一の楽しみが「俳句」を書く事だったと記憶している。あとは、ラジオを聴く事。おとなしい人だったが、一度、入院した時、お見舞いに行って、祖母が寝巻きを着るところを見た。帯の締め方が「明治の女性」らしい「きりり」とした誰も寄せ付けないものを感じた。祖母の旦那である、僕の祖父は僕の生まれる前の年(昭和34年)に亡くなっており、祖母は祖父より、30年以上、長生きをした事になる。同じ家に住みながら、あらたまって会話をした事も無い祖母のイメージは、あの「帯を締めている時の立ち姿」だ。
訂正が一つ。NHKで「ジェスチャー」の司会をしていたのは、「高橋圭三」ではなく、当時NHKアナウンサーだった「小川宏」だという事を会社の先輩から教えてもらいました。訂正致します。
訂正が一つ。NHKで「ジェスチャー」の司会をしていたのは、「高橋圭三」ではなく、当時NHKアナウンサーだった「小川宏」だという事を会社の先輩から教えてもらいました。訂正致します。
大学の友人に「産業再生機構」の事を聞こうとメールを送った。ニューヨークに駐在している同じ大学の友人の勤める会社経営が悪化していて、「産業経済機構」の事を知っている人がいたら、教えて欲しい、という連絡があったからだ。そしたら、銀行の友人が電話をかけてきた。メールの返信ではない。自分宛のメールは、すべて、「上司に読まれ、チェックされているので、申し訳ないがメールは止めて欲しい」という内容だった。彼は銀行の監査関係の部署にいたはずだ。半月ほど前、その銀行から逮捕者が出た。大学の経済部を卒業しておきながら、この手のニュースにはからきし弱い。あの銀行の友人のセクションか、心配だ。44歳にもなってくると、いろんな人生がある。会社のメールとはいえ、上司が部下の書いたメールをチェックしてもいいものか、とても疑問である。うちはチェックされてないだろーなぁー・・・。
「プロミス」には、「三井住友銀行」がついている。「キャッシュ・ワン」には、「東京三菱銀行」がついている。例え、バックに銀行のブランド名がついたって、「消費者金融」に変わりは無い。利率も、銀行がついたことで、下がる訳も無い。僕の友達で、そういう「大手消費者金融」ではなく、そこでも借りられなくなった人が来る「中小の消費者金融」のいわゆる「借りたい人が窓口ではなく機械でお金を借りるコーナー」の見えない受付のバイトをやっていた事があり、当然、友人は「お金を借りに来た人」には見えないが、逆は「モニター」できる立場にいた。「お金を借りに来た人が入力した情報」を上司に見せて、「貸す」「貸さない」の判断をしてもらい、「貸さない」場合は、その情報をボタン一つで画面に出す・・・という仕事だ。「大手消費者金融」に断られて、来るお客さんは、当然、「お金に非常に困っている状態」で来る。それをボタン一つで、お帰り頂くのだ。僕は、家と車のローン以外、借金をした事が無い。借金だけはいやなのだ。部下に500円借りても、次の日には絶対返す。レンタルビデオも延滞した事が無い。
先述の友人は、一ヶ月、バイトをやって辞めたそうだ。「人間の本当の姿」を見たのかもしれない。恐ろしい・・・・・姿を。
先述の友人は、一ヶ月、バイトをやって辞めたそうだ。「人間の本当の姿」を見たのかもしれない。恐ろしい・・・・・姿を。
高校時代の体育祭で、「棒倒し」があった。先端に紅白の旗のついた棒を倒しながら、旗を早く取った方が「勝ち」というゲームである。僕は男子校だったので、男達が、走る、走る、走る。「男くさい」においがプンプンする。こないだ書いた映画「パッチギ」でも、男達が川に飛び込んで、喧嘩をするシーンがあるが、実はああいった事を経験していれば、「電車の中で携帯でゲーム」をしたり、「音楽の世界にどっぷり浸かる」ような事にはならないのではないかと思った。つまり、人間と人間の肉体がぶつかり合う、触れ合う事が今、必要なのではないだろうか。「他人に、自分の世界に入ってきて欲しくない」という感情が街中にあふれ、僕はどんなに新宿で多くの人が歩いていたり、買い物をしている人をみても、「孤独」を感じる。ゴールデン街のいつものバーにいって、「マスターと話をしている時間」の方が「孤独感」は薄れていく。たった、二人なのに・・・。多分、そこで「僕とマスター」は互いの人生の領域に踏み込んで、話をしているんだろうと思う。普段から、そういう人付き合い、人間関係を作っていないから、インターネットの自殺サイトで、全く初対面の人々が自死を選ぶ。「死ぬ時」でさえ、「現代の孤独」を感じて、一人では死ねないのかもしれない。
エジソンは半日遅れで、「電話の特許」をベルに押さえられたといいます。もう、どちらも亡くなっていますが、こんなに今の世の中に「電話」という機械を作り出した影響が与えるとは思ってもいなかったでしょう。僕も、携帯電話が「こんなに小さく」
なるなんて、そして個人で持つなんて、「平成」が始まる頃はおもってもいませんでした。電車の中で、携帯でゲームをやっているサラリーマンやOLを見かけますが、あれは、気分転換になっているのでしょうか?テトリスとかを本当に一生懸命やっています。ipodなどで音楽を聴いている奴もいます。どちらも社会というか、その周りにいる人間の存在を無視したいという気持ちが無意識の中であるのかもしれません。僕は大阪にいる時、阪急電車を使っていました。一両にドアが3つ。京王線は4つです。山手線に至っては、ドアが6つある車両も走っています。やはり、東京のほうが人口密度が大きいのと、通勤圏が広いという事はあると思います。僕は午前10時が始業時間で、他の企業より遅いと思いますが、それでも、京王線と都営大江戸線は満員のラッシュです。以前、土曜の早朝に起きて、午前6時くらいに下北沢から、箱根に行こうと急行に乗ったのですが、かなり込み合っていました。何で「電話」の話が「電車」の話になったのでしょう。
なるなんて、そして個人で持つなんて、「平成」が始まる頃はおもってもいませんでした。電車の中で、携帯でゲームをやっているサラリーマンやOLを見かけますが、あれは、気分転換になっているのでしょうか?テトリスとかを本当に一生懸命やっています。ipodなどで音楽を聴いている奴もいます。どちらも社会というか、その周りにいる人間の存在を無視したいという気持ちが無意識の中であるのかもしれません。僕は大阪にいる時、阪急電車を使っていました。一両にドアが3つ。京王線は4つです。山手線に至っては、ドアが6つある車両も走っています。やはり、東京のほうが人口密度が大きいのと、通勤圏が広いという事はあると思います。僕は午前10時が始業時間で、他の企業より遅いと思いますが、それでも、京王線と都営大江戸線は満員のラッシュです。以前、土曜の早朝に起きて、午前6時くらいに下北沢から、箱根に行こうと急行に乗ったのですが、かなり込み合っていました。何で「電話」の話が「電車」の話になったのでしょう。
昨夜は久しぶりに、勉強の為に、ある本を午前1時頃まで読んでいました。部屋に暖房を入れ、寝転んで、必要な箇所を熟読し、そうでないところは飛ばして読みました。文庫本だったのですが、読むのに、4時間くらいかかりました。暖房の効いた部屋の少し冷たい床に寝転んでの読書は良いですね。かつて、本は電車の中でばかり読んでいました。中学・高校と通学時間が片道一時間半だったので、一年間で100冊近い本を読めました。コンタクトにしてから、(歳をとったのかもしれないけれど)電車の中で本を読んでいると、強い睡魔に襲われ、何度も降りる駅を乗り過ごしてしまいそうになります。疲れているのか、「精神安定剤」が効き過ぎているのか、一冊の本をダラダラと読んでいると、二週間や、下手すると一ヶ月かかってしまいます。やはり、必要に迫られて読んだ方が良いみたいです。昨夜読んでいた本の中で、推薦されていた本をインターネットで発注してしまいました。自宅の机の周りは、本の山だというのに。でも、「好奇心」を失ってはいけないと思い、昨日だけで、6冊も発注してしまいました。「人間」も「映画」も「歌」も「本」も出会いですから。「テレビを見る時間」や「睡眠時間」を減らして、「読書」に当てようと思います。夕食は10分くらいで食べてしまうので。