お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「大阪」の番組は「本音」で・・・

2005年01月26日 | テレビ番組
「大阪」だけで放送されている番組は、面白いものが多い。大阪は、東京に比べて、当然「予算」は低いので、その分、智恵を搾らなければならない。だから、時として、突拍子の無い番組ができる。中には、東京で放送するのが「危ない」番組もある。大阪人は「本音」で喋る。「本音」を喋らないと、関西人は敏感に反応して、その出演者及び番組を見なくなることもありうる。関西でしか放送しない番組では、その「本音」と「笑いの取り合い」が必ず起こる。東京の人が、大阪に出張して、そうした番組を見たら「うざい」か「やかましい」と思うだろう。でも、「本音」に浸っていれば(たとえば、長期関西に転勤になったとして)、それが「快感」に変わってくる。もちろん、大阪発のネット番組もいくつかある。それらにも、この「大阪感」を感じることはあると思う。
テレビの世界では、「6時~24時」を「全日」、「19時~22時」を「ゴールデン」、「19時~23時」を「プライム」と呼ぶ。この三つの時間帯で、どれも平均視聴率が一位になれば、いわゆる「三冠王」と呼ぶ。「プライムタイム」をレギュラーで作っているのが、基本的にキー局と準キー局(大阪)である。もちろん、キー局の作っている番組の数の方が圧倒的に多いが。いずれにしても、「視聴率」という「重い十字架」を背負っている訳である。だから、テレビ局は12月と3月には、強い番組を編成します。何とか、「年間平均視聴率」「年度平均視聴率」を少しでも上げて、「三冠王」を目指しているからだ。テレビ局も一概には言えませんが、この視聴率という「魔物」で「CMの値段」や「売れ方」が違ってくるのですから。
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「ロータリーバス」・・・回顧してます。

2005年01月25日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
缶を開けると、ムクムクとアイスシャーベットが出てくるものがあった。僕が小学校低学年の頃の事だ。棒が二本突き刺さったアイスキャンデーも、「お得感」があって、好きだった。まだ、コカコーラの自動販売機がお金を入れるとドアが開き、ロックが外れ、ビンを引っ張り出す形式のものだったし、パーコレーターでジュースを循環させ、紙コップで飲む形式の自販機も存在していた。鉄道の切符も、「最短区間」だけしか買えない機械があったり、印刷の文字のインクが手に付くという厄介なものもあった。バスに車掌がいる場合もあったりして、時代は「人間」と「機械」の過渡期だったのかもしれない。列車の行き先表示も、丸や四角の看板を終着駅でかけかえていた。路面電車などは、終点に着くと、車掌が「電線から電気を取るポール」の方向をひっくり返していた。大阪の市街地には、まだ、ロータリーバスが走っていた。ロータリーバスと言っても、今の人には分からないだろう。「バス」と「電車」の中間的存在なのだ。つまり、「走る経路の上の電線から電気を取って、走るバス」なのである。従って、電線の無いところは走れなかった。電線から電気を取る以外は、普通のバスだった。なんで、ロータリーバスという存在があったのだろう。今でいう「省エネ」かなぁ。父の持っていた「定期券」が、羨ましかった。大人が持つものだと思っていた。フジテレビの「夜のヒットスタジオ」が始まると、親は「子供の時間じゃないから、寝なさい」と必ず言った。そんな時代だった。
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「監督」の快気祝い

2005年01月25日 | 健康・スポーツ
新宿ゴールデン街で知り合った「監督」が癌になった。店のマスター、始め常連一同、心配していた。そしたら、一昨日の夜、自宅にマスターから電話がかかってきて、「監督」の癌は消滅したとの事。まことに喜ばしい。2月に入ってからの「監督」の快気祝いのお誘いだった。「監督」は、入退院を何度か繰り返し、その間も「お酒」を飲み続け、マスターの話によると、「監督」は「お酒で癌を治した」と言っているとのこと。元気な監督の姿を早くみたい。
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「テレビ局の看板」を背負うな!

2005年01月25日 | テレビ
「テレビ局」だから、それが顕著に見えてしまうのかもしれないが、「会社の看板」で仕事をしている社員が多い様に思う。男性も女性も。「○○テレビ」という「看板」を取り外した時、この会社で、何人の人がフリーで通じるかと思うと、心もとない。僕が言いたいのは、「テレビ局」に就職したのだから、その職種をちゃんとこなし、サラリーマンとして、サラリーを貰えるだけの事はして欲しい。それに、僕自身でいうと「妻子を食べさせていく」為という一つの大切な役割がある。それは、どこの会社に勤めていても、同じ事である。
僕が腹立たしく思っているのは、「私(俺)はテレビ局員だから、偉いんだ」という態度で、取引会社の人と接する人だ。相手は「○○テレビ」という看板をその人が背負っている限り、逆らえない。「○○テレビ」の看板を外して付き合え、と言っているのではない。フラットに同じ人間として、会話できないのかなぁ、という僕の想いである。見ていて、恥ずかしい。「強きに弱く、弱きに強い」というのを目の当たりに見せられるのは、嫌だ。テレビ局にも、「派遣」や「業務委託」の人達がたくさん入っている。その人達との差別感も無くして大切にして欲しいなぁ。場合によっては、「派遣」や「業務委託」の人の方が社員より、よく働くのだから。だから、僕は「仕事をしない社員」を見ていると、とても腹が立つ。
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「砂糖」と「塩」はいつできたか?

2005年01月25日 | エッセイ・日記・意見
「砂糖」は、サトウキビか、砂糖ダイコンから取れる。「塩」は、岩塩か、海の塩を使う。この「甘い」調味料の代表である「砂糖」と、「塩辛い」調味料の代表である「塩」は、いつ頃から誰が使い始めたのだろうか。サトウキビを食べているうちに、その「甘いという成分」を何とか、それだけ抽出しようとしたのだろうか。岩塩をなめているうち、料理に使おうと思ったのだろうか。太古の四大文明の時代から、どちらも使われていたのか。例えば、海の幸の獲れるところでは、「魚の生臭さ」を消す為の工夫、或いは、保存しておく為の工夫として、塩が試され、成功をおさめたので、以後、使われる様になったのかもしれない。「砂糖」より、塩の方が使われる機会は多かったのかもしれない。じゃあ、「さしすせそ」じゃないけれど、醤油やソースはどのようにして出来たのかも興味深い。
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「お酒」「覚せい剤」「タバコ」の起源は・・・

2005年01月25日 | お酒・焼酎・ウィスキー・ワイン
初めて、「お酒」を飲んだ人は誰なんだろうと、考えました。なにか(葡萄とか)が偶然発酵して、自然にワインになり、それを飲んで「気持ちが良かった」ので、昔の人が作り始めたのではないでしょうか。日本でも「どぶろく」のようなお酒が平安時代には飲まれていたようですから、これも「コメ」が特殊な状況で発酵して、できたものが「どぶろく」になったのでしょう。ここまでは「醸造酒」の話です。「ウィスキー」や「焼酎」は「蒸留酒」です。「ウィスキー」などは何年も「シェリー酒の入っていた樽」に入れて、「熟成」させます。これは一体、誰が始めたのでしょう。日本では、サントリーの創始者・鳥居さんが欧米から、その「作り方」を学んできたという事ですが、アメリカの「西部劇」を見ていると、すでに「ウィスキー」の様なものをガンマン達がバーで飲んでいるシーンが有ります。どなたか、お酒の歴史に詳しい方、教えて下さい。
南米・ペルーには、コカの葉から「コカ茶」というお茶を作ってみんな飲んでいます。高山で働くインディオにはこの「コカ茶」が必要なのです。高いところで働くという事は「空気が薄い」ので疲れやすいです。「コカ茶」を飲む事で、「元気」にさせてくれるのです。「コカ茶」の原料であるコカはもちろん、コカインとか、覚せい剤の原料です。「覚せい剤」は誰が作ったのでしょうか。南米のインディオが「疲れが激しくて」、コカから「もっと元気になる成分」を抽出しているうちに出来たのかもしれません。
タバコはどうでしょう。かのコロンブスがアメリカ大陸にタバコを伝えたという事実がある訳ですから、ヨーロッパでは中世にすでに、タバコは作られていたのかもしれません。フランスの香水の様に、最初は「体臭」を消す為に作られたのかなあとも思います。海外の小説を読んでいると「嗅ぎタバコ」や「噛みタバコ」というものが20世紀の初めの頃には流行っていたそうで、いろんな形でヨーロッパで、タバコの開発がなされていた可能性もあります。
お酒は、僕にとっても必要不可欠なものですが、覚せい剤やタバコは「人類の快楽の追及の果て」にできたものではないでしょうか。お酒も含めて。いろんな視点で、歴史を考えるのも面白い事だと思います。
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「一通のメール」で泥酔してしまいました。

2005年01月25日 | インターネット
昨夜は泥酔してしまいました。「たった一通のメール」が僕に与えた影響は・・・缶ビール2本とチューハイ2本。「コメント」をを頂いたAPさん、ありがとうございます。おっしゃる通り、100人いれば、考え方も100通りあるのですね。極力、気にしない事にしました。「メール一通の、人に与える恐ろしさ」を感じました。「僕の出すメール」も含めて。昨夜は午後11時には寝てしまったので、寝不足が解消され、今日は元気です。何にでも、少し「敏感」に感じてしまうのも善し悪しですね。東京は快晴です。陽光を浴びて元気を蓄えよーっと。
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「もうメールは送らないで下さい」

2005年01月24日 | インターネット
メールというのは、難しい。簡単にいうと、「会話」と違って、「書き言葉」、しかも「手書き」ではない活字の文章が「否応なしに」届けられるからだ。それで、ブログを始めて、「能動的伝達」を「受動的伝達」に変えたのだが。今までは、「エンタティメントメール」と言って、感動した映画を観た時、感銘を受けた本を読んだ時、BCCで情報を発信していたのだが、昨夜送った人の中の、一人の女性から今日、「こんなメールは送らないで下さい」という返事が返ってきた。ブログを始めたのだが、あまりにも面白い映画を観たので、思わず、知っている人にメールで教えようと送った結果だ。「こんなメールは送らないで下さい」とメールの文章で返されると、「こんな」情報で悪かったのか、「人の生活」に土足で「メールという手段」を使って勝手に入ってくるな!という事なのか、たぶん後者だと思うが、凄く傷ついた。とても哀しかった。そして、勝手な「怒り」を覚えた。ほんとに利己主義なのだけれど。でも、相手の立場に立ってみれば、「自分の快適な生活」の中に、「自分と関係の無い情報」が飛び込んでくるのだから、不快だったのだろう。「僕のメール」と「ダイレクトな広告メール」との違いはないのだろう、彼女にとっては。「電話」でもなく、「手紙」でも無い、「メール」という新しい「伝達媒体」に、僕を含め、人間が慣れていないせいかもしれない。
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すべてに「フタ」をしている時代

2005年01月24日 | エッセイ・日記・意見
何もかもが「フタ」をされてしまった時代。それが今。昭和40年代頃までは、都会にも、「ドブ」があり、「田んぼ」があり、「畑」があった。大阪の神崎川を阪神電車で渡る時は、「錆びた鉄」の臭いがした。馬糞の山が家の近くの畑の端に積まれ、鼻をふさがないといけない悪臭を発していた。「貧乏人」も「傷痍軍人」も「頭がおかしい子」も、みんなと一緒に歩いていた。生きていた。「ドブ」に「フタ」をするという発想が「汚いもの、見たくない・見せたくないもの」を囲い込み、どこかに隠した。一見、社会は健全に見えるが、その悪弊が今、出てきているのではないだろうか。「見栄えの良い食べ物」より、「そうでない食べ物」の方が美味しい事が多い、と渡辺文雄さんの本に書いてあったような気がする。その「フタ」が今、飽和して、外れようとしている。僕にはそう感じる。飛び出して暴れてくれ!と応援したくなる。フレフレと旗を振りたくなる。そんな「不安定」な気持ちである。
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韓国映画「ホワイト・バレンタイン」(ネタバレあり)

2005年01月24日 | 映画・DVD・ビデオ
「チョン・ジョヒョン」(「僕の彼女を紹介します」など)で、「ホワイト・バレンタイン」を借りて見ました。僕はダメでした。「ハト」に手紙をつけて、恋をする二人の話なのですが、脚本がスカスカなのか、演出が淡すぎるのか、はたまた「チョン・ジョヒョン」が若すぎて(デビュー作)、後年の色気がないのか・・・。ちょっとがっかり。「イルマーレ」の方が二回も見たのに、良かったのは何故?映画は総合芸術ですね。
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「コタツ」

2005年01月24日 | エッセイ・日記・意見
「おコタ」という言葉がある。もちろん、「コタツ」の事であるが、言葉の響きが暖かい。昔の家には、必ず「おコタ」があった。うちのおじいさんの家には「掘りごたつ」があり、中で、多分「炭か練炭」が燃えていた。隙間風の吹く、昔の日本家屋だったので、一酸化中毒の心配もなかった。僕は、足を入れると火傷するのではないかと、ビクビクしながら、「掘りごたつ」に入っていた。
大学時代は、友達の下宿の「コタツ」で、深夜、或いは早朝まで麻雀をし、そのまま後ろに倒れて、布団に包まり、惰眠をむさぼっていた。
子供の頃は、「コタツ」の中に、隠れるのが好きで、あの「密室感」がたまらなかった。ときどき、「アチチ!」と赤外線?の出ているランプに体が当たって、「コタツ」から跳び出したりもした。「コタツ」の上には「みかんの山」が似合う。ダラーっとしながら、みかんを食べ、テレビを見ているという幸せもあったのだ。
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「なりたくない病気」

2005年01月23日 | 病院・薬・病気
かつて、どんな「病気」になったら、困るだろう、という事を考えた。もちろん、「命に関わる病気」ではなく、「他人に言えないけれど、本人にとっては凄い苦痛を伴う病気だ。それは、「踏切恐怖症」。何か、「踏切」についてのトラウマが幼い頃あり、「踏切」が渡れないのだ。何キロ遠回りしても、高架やガードのあるところを通るしかない病気なのだ。例えば、修学旅行に行っていて、バスが「踏切」に差し掛かったら、主人公は「腹痛」が起きた事にして、一人、バスから降りて、「踏切」でないところを探すのだ。先生も他の生徒も不思議に思うだろう。場合によっては「修学旅行」の下見をしておいて、「踏切」の位置を把握しておいて、対策を練るという手もあるだろう。もっと、大きくなって、恋人が出来、間の悪い事に、彼女の家の前に「踏切」があったとしたら、どうだろう。この「恋」は実現するのだろうか。想像はいくらでもふくらむ。こんな事を数年前に考えていて、今、思い出した。
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「或る『小倉日記伝』」

2005年01月23日 | 本・雑誌・漫画
松本清張の「或る『小倉日記伝』」という、デビュー作の載った短編集を中学か、高校時代、学校の図書館で借りてきて読んでいた。そしたら、親が「試験前なのに、本なんか読んで」と言い、注意された。僕の中には、そのことが今でも心のどこかに残っていて、大事な仕事などの前に、「本を読んだり」「酒を飲んだり」するのは、「悪いこと」という罪悪感がある。自分が親になってみて、普段、子供に注意する事が本当に大切で、一度自分の中で反芻してみてから、注意する事にしている。とっさに、口から言葉が先に出てしまう場合もあるけれど。自分の親には感謝している。いろんなことを教えてくれた。今度は、自分が親になって試行錯誤する番だ。
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子供達いろいろ

2005年01月23日 | 子供・動物・生き物・ペット
僕は「ひとり暮らし」をした事が無い。結婚する31歳までは、両親と実家に住み、結婚して、妻と中古のマンションを買って生活を始めた。長女が小学校六年生になる。今日の昼ご飯は、妻と次男が「次男の柔道の試合」に一日行っている為、長女が「あんかけラーメン」(冷凍食品?)を僕と長男と本人の三人分を作った。うちの父も、会社に入った当初、東京で「ひとり暮らし」の経験があって、「チャーハン」や「焼きそば」を休みの日に作ってくれた。僕はインスタントラーメン以外、何も作れない。作ろうという努力もしない。そのことを知ってか、妻は今、長女に「料理の作り方」を教えているようだ。長男は「癒し系」で、次男は「機械の操作」に強い。うちではビデオを見る時、DVDレコーダーを立ち上げて、「ビデオ3」にしなければ、ビデオは見れない。そう僕が配線したからだ。次男はすぐ憶えた。自分がアニメを見たいのが理由かもしれない。今日の柔道の試合では「勝てるかな」なんて、あんかけラーメンで体が温かくなったところで、これを書いている。
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「日記」を止めます。

2005年01月22日 | エッセイ・日記・意見
「日記」を20年、毎日書いていたのを止めます。ブログを始める様になり、「日記」の代わりをしてくれていること。「日記をつけないといけない」という「強迫観念」から解放されたいという気持ちが高まってきた事です。一つ一つ、選択し、不必要と思われるものは、長年続いていてもスパッと止める事にしました。あとは「病院好き」「健康食品オタク」を止めれるかです。「お酒」は無理でしょう。従って、「酒乱」は続きます。これからも末永くよろしくお願い致します。インターネットなので、全世界に宣言したようなものかな・・・
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