大阪日本橋店の店長が、大阪日本橋店を維持するのがしんどい。月の売り上げ400万円以下なら給料不要なので移転させてと。
大阪日本橋店は、この10月1日、満10周年を迎えました。10年前、日コン連の本部は、1988年の創業からずっと難波中2丁目にありました。1988年から1997年まで村上ビル。その後、1997年から2002年までは馬場ビルに。当時は、恵美須町駅周辺・日本橋5丁目が日本橋の中心でした。
日コン連本部のあった難波中2丁目は、電気街のはずれで閑散としていました。メイン通りは、日本橋西筋商店会。西筋と言っても寂れていました。その後、オタロードに改名され、現在は、日本橋なんばの中心地区に。土日は、人であふれかえり、車の通行は困難のようです。逆に恵美須町駅・日本橋5丁目は、シャッター街に。私が村上ビルにいたころ、向かいは、日三家具の駐車場。その後、マツヤデンキが建設されたものの、店内は閑古鳥。堺筋の賑わいに比べ、西筋(現在のオタロード)に面したマツヤデンキはガラガラ。そしてマツヤデンキは1-2年ほどであっけなく閉店。その建物はそのままソフマップに。ソフマップザウルスもガラガラ。ソフマップザウルスの1-6階の全館の売り上げが、恵美須町駅横のソフマップ4号店の1階のレジの売り上げに満たないとさえいわれていました。人の流れはあくまで恵美須町駅周辺、日本橋5丁目にありました。そういう憧れの地に、2000年10月、ケーブル3号店サイバーカルト、ケーブル4号店ゲームカルトをオープンさせました。近くには、イエローサブマリン日本橋1号店、日本橋2号店が、、。
その後、ヨドパシが梅田に出来て人の流れががらっと変わりました。ゲームアクセサリーなどヨドバシと同じものを扱っていたケーブル1号店パソコンショップケーブル(難波中2丁目)とケーブル2号店ゲームカルト(日本橋西1丁目)が閉店の憂き目に。シングルカードの取り扱いをしていないヨドバシの影響を受けなかったのがカードカルトで、第一片倉ビル6階・7階だけ残りました。日コン連本部がミズホビル3階から第一片倉ビル6階に移動。カードカルトの店舗は7階だけとなりました。その後、カードカルトは三宮に進出。大阪京橋にも進出。大阪京橋店を引き上げた什器の置き場所がなかったので、新たに借りたのが難波中2丁目の萌えロード沿いのカードカルト南海難波駅前店でした。半分を霊能者の鑑定室に使い、売り場面積4坪の小さい店でしたが売り上げは月に100万円ありました。2年前の正月。大阪日本橋・南海難波駅前の2店合わせた売り上げは、月600万円を超えていました。その後、関東はじめ各地よりカードゲームショップがオタロード沿いに上陸。乱立。近くにあったイエローサブマリン日本橋1号店や日本橋2号店が閉店。難波中2丁目のオタロード付近にあるなんば店やなんば3号店に統合されました。
そして、トレジャラスというカードゲームショップもオタロード沿いに移転。日本橋5丁目・恵美須町駅付近にあるカードゲームショップは、うちだけになりました。
そして、カードゲームを求めに日本橋なんばに来る人の巡回コースからはずれ、陸の孤島と化してしまいました。が、店員たちががんばり、なんとか200万円くらいの売り上げは確保していました。それでも、客が来なくなったのでしんどいというわけで、移転することを検討したわけです。
ちなみに、移転するのは、カードカルトだけで、日コンの本部は、そのまま6階にとどまる予定。
奈良県からは完全撤退し、現在兵庫県・大阪府・京都府にカードカルトは展開していますが、10月の売り上げ1位は兵庫県、2位は京都府。3位が大阪府。
市場規模からいうと、大阪府が1番のはずなので、いかに大阪のカードカルトがへたっているのか。店員のがんばりも限界に来たというわけです。
店長いわく、もし、よそが経営していたら、この立地ではとっくに閉店しているって。
大阪日本橋店は、この10月1日、満10周年を迎えました。10年前、日コン連の本部は、1988年の創業からずっと難波中2丁目にありました。1988年から1997年まで村上ビル。その後、1997年から2002年までは馬場ビルに。当時は、恵美須町駅周辺・日本橋5丁目が日本橋の中心でした。
日コン連本部のあった難波中2丁目は、電気街のはずれで閑散としていました。メイン通りは、日本橋西筋商店会。西筋と言っても寂れていました。その後、オタロードに改名され、現在は、日本橋なんばの中心地区に。土日は、人であふれかえり、車の通行は困難のようです。逆に恵美須町駅・日本橋5丁目は、シャッター街に。私が村上ビルにいたころ、向かいは、日三家具の駐車場。その後、マツヤデンキが建設されたものの、店内は閑古鳥。堺筋の賑わいに比べ、西筋(現在のオタロード)に面したマツヤデンキはガラガラ。そしてマツヤデンキは1-2年ほどであっけなく閉店。その建物はそのままソフマップに。ソフマップザウルスもガラガラ。ソフマップザウルスの1-6階の全館の売り上げが、恵美須町駅横のソフマップ4号店の1階のレジの売り上げに満たないとさえいわれていました。人の流れはあくまで恵美須町駅周辺、日本橋5丁目にありました。そういう憧れの地に、2000年10月、ケーブル3号店サイバーカルト、ケーブル4号店ゲームカルトをオープンさせました。近くには、イエローサブマリン日本橋1号店、日本橋2号店が、、。
その後、ヨドパシが梅田に出来て人の流れががらっと変わりました。ゲームアクセサリーなどヨドバシと同じものを扱っていたケーブル1号店パソコンショップケーブル(難波中2丁目)とケーブル2号店ゲームカルト(日本橋西1丁目)が閉店の憂き目に。シングルカードの取り扱いをしていないヨドバシの影響を受けなかったのがカードカルトで、第一片倉ビル6階・7階だけ残りました。日コン連本部がミズホビル3階から第一片倉ビル6階に移動。カードカルトの店舗は7階だけとなりました。その後、カードカルトは三宮に進出。大阪京橋にも進出。大阪京橋店を引き上げた什器の置き場所がなかったので、新たに借りたのが難波中2丁目の萌えロード沿いのカードカルト南海難波駅前店でした。半分を霊能者の鑑定室に使い、売り場面積4坪の小さい店でしたが売り上げは月に100万円ありました。2年前の正月。大阪日本橋・南海難波駅前の2店合わせた売り上げは、月600万円を超えていました。その後、関東はじめ各地よりカードゲームショップがオタロード沿いに上陸。乱立。近くにあったイエローサブマリン日本橋1号店や日本橋2号店が閉店。難波中2丁目のオタロード付近にあるなんば店やなんば3号店に統合されました。
そして、トレジャラスというカードゲームショップもオタロード沿いに移転。日本橋5丁目・恵美須町駅付近にあるカードゲームショップは、うちだけになりました。
そして、カードゲームを求めに日本橋なんばに来る人の巡回コースからはずれ、陸の孤島と化してしまいました。が、店員たちががんばり、なんとか200万円くらいの売り上げは確保していました。それでも、客が来なくなったのでしんどいというわけで、移転することを検討したわけです。
ちなみに、移転するのは、カードカルトだけで、日コンの本部は、そのまま6階にとどまる予定。
奈良県からは完全撤退し、現在兵庫県・大阪府・京都府にカードカルトは展開していますが、10月の売り上げ1位は兵庫県、2位は京都府。3位が大阪府。
市場規模からいうと、大阪府が1番のはずなので、いかに大阪のカードカルトがへたっているのか。店員のがんばりも限界に来たというわけです。
店長いわく、もし、よそが経営していたら、この立地ではとっくに閉店しているって。