今朝のめざまし8。
仕事しない年収1000万円のおじさんの話題が。
今から40年程前、シャープに勤めているとき、コンピュータ事業部の第1技術部や商品企画部にいましたが、
各部に庶務担当の係長が1名づついましたね。
谷本係長や杉山係長。
高卒で入って、歳を重ねた人。
仕事内容は、掃除当番の表を作ったり、座席替えの時は、座席表を考案したり、
本当の雑務。
庶務担当の係長は各部に一人しかいませんが、、
驚きは、給料の高さ。
あるボーナスの時、
私への支給は50万円くらいでしたが、谷本係長に、なんぼぐらいもらっているのか。と聞いたら、100万円をはるかに越えているって、
大学生の子供がいるので、それくらいもらわなあわないって。
でも、掃除当番の表を作るだけで、なんで150万円もボーナスがもらえるのか。って、同期の人と不満を語っていたのを覚えています。
ちなみに、私は、シャープでは、シャープ始まって以来と言う待遇をうけていました。
橋本伸太郎副事業部長の秘書と言う感じで、自由に行動していました。
日本橋を視察に行ったり、各種ショーを見に行ったりしていました。
定時に帰宅していました。
新入社員なのに、机は、課長と同じ大きさのものをもらっていて、部長や参事と並んで、みんなの方を見る位置に向いて座っていました。
職場にソフトバンクの孫さんからよく電話がかかってきていたので、同僚からは話題になっていました。
東京転勤の話もありましたが、東京には行きたくないので、上新電機の藤原常務からシャープの上に話をしてもらって、
東京転勤の話をつぶしてもらったこともありました。
アスキーと米マイクロソフトの副社長であった西和彦さんから猛烈なヘッドハンティングを受けていましたが、シャープでの居心地が良いので、もう少し待ってと
言って、結局、4年間シャープにいました。
シャープにいたとき、出張で、東京にいたのが年間40日にも達していました。
東京に行くごとに、西和彦さんと孫正義さんに会っていました。
当時は、孫さんより、マイクロソフトの副社長をしている西さんと会う方が大変でした。
西さんはシアトルに本社のある米マイクロソフトの方に重点を置いていたので、日本には、年間の1/3しかいないので、
シャープの東京出張は、突然決まるので、スケジュール調整の関係で、西さんとは、深夜に銀座の高級クラブで会うという感じになっていました。
西さんが私の前に会っていたのは、京セラの稲森会長とか。
西さんのスケジュール表には、相当た著名人の名前が、
その中に山本隆雄の名前も。・・
深夜の2時でも3時でも、山本隆雄と会おうとする西さんの姿勢に感激しました。
あるとき、西さんに東京駅まで送ってもらったことがありました。
新幹線グリーン車かと言われたので、シャープの規定では、グリーン車には乗れません。と言うと、1万円札を差し出し、
体疲れるので、グリーン車に乗って帰り。ねこはばしたらあかんで。と。
でも、1万円はいただき、通常の車両で大阪まで帰ったことがありました。
孫さんは、前日に電話をしても、翌日会える人でした。
日コン連企画を起業してからは、東京に行くごとに、社名の命名者でもある孫さんとは会っていました。
ソフトバンクの社員が言うには、我々が孫さんと会うには、1か月前に予約を入れないといけないのに、
山本さんなら前日に言ってアポがとれるなんてとうらやましがっていたのを覚えています。