昨日こんな案内が届きました。

今は、孫正義さんとつながりはありませんが、シャープに勤めていたころ密に関係がありました。
日コン連企画という社名の名付け親でもあります。
日コン連企画とソフトバンクとの契約書。毎月40万円を日コン連企画に支払う。日コン連企画は、出版編集の企画をソフトバンクに出す。
この契約書を二人でああでもない。こうでもないといって、作ったのを覚えています。
当時、何十億の商談でも5分で決めるのに、契約書を原案から作っていくのは初めてだと言っていました。
シャープの出張で東京に行くごとに孫さんと会っていました。一緒にランチしたり。
シャープにも、よく孫さんから電話がかかってきていて、電話をとった同僚は、あの孫正義から電話と騒いでいました。
日コン連企画を作ってからもよく会っていました。
孫さんが相手にできないときはと言って、宮内課長を紹介してくれました。
宮内課長は、現在、ソフトバンクの会長をしています。
ソフトバンクとトラブルがあると、社長の孫さんにいうので、嫌われていました。
例の毎月40万円の件。京都大学マイコン研究会に任せていたのですか、うまくいかず、3か月で打ち切られてしまいました。
当然、孫さんは顔をつぶされたことになり、打ち切った出版局長は、しばらくしての人事異動で、
ソフトバンク社史編纂室長という新しいポストにうつされ、しばらくして退社しました。
日コン連企画になってからも、ソフトバンクの進めていたリクルート事業に、日本コンピュータクラブ連盟に全面協力していました。
ある時、企業が金を出して会社見学やホテルでのパーティという企画がありました。
東京と大阪で。東京では、NECなどがスポンサーになり、バスツアーでそのあとで、ホテルのパーティ。大盛況でした。
が、大阪会場は、参加希望者が多数いたのですが、1社50万円でカプコンとコナミぐらいしかスポンサーが集まらず、お金が足らず、中止となりました。
その話を聞いた孫さんは、山本さんの顔をつぶしてはいけないと、プライベートに金をだし、
大阪でも開けるようになりました。ホテルのパーティ会場では、がつがつ食べる学生の姿が印象的でした。
日コン連企画の時も、ソフトバンクの大阪の社員から、我々は、1か月前にアポロをとらないと社長に会えないのに、山本さんは、前日に言って会えるなんてうらやましいって。
1993年ごろ、私は結婚したけとひとがあります。相手がヘビィな新興宗教にはまっていたので、婚約破棄。
その時、孫さんに結婚式の招待状を送りました。
当然、残念ながら欠席で変えてきましたが、
当時は、孫さんとは結婚式の招待状を送るというそういう間柄だったのです。
最後に孫さんと連絡を取ったのは、パソコンショップケーブルをしているとき、
取引先のオーテックがソフトバンクを紹介してくれと言ってきたので。
1995年か1996年だったと思いますが、孫さんに電話してみました。
孫さんは、電話には出ませんでしたが、後で、ソフトバンクの取締役から、
どのようなご用件ですか。社長から聞くように言われたのでと。
それで、ソフトバンクの取締役にオーテックの社長を会わせることができました。
その後は、連絡を取っていません。
ただ、毎日新聞の人がソフトバンクのパーティで孫さんに山本隆雄って知っていますと聞いたことがあります。
山本隆雄と孫さんの関係の話は眉唾もので、多分知らんという答えが返ってくると期待していたら、
少しの沈黙後、孫さんからは、彼は元気にしていますか。という返答が。
これは、ホンマに知っていると思ったとか。